神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 61

counselor

2013年03月03日 08:46

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今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

次回に、さらに述べます。

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