神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 149

counselor

2013年05月30日 06:39

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今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。 

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

この人には現実の中で「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする方法を用いました。それは現実生活を前に進めていくことが、困ったことを解決することと直接結びついているからです。

現実生活で、この人はいつも決められた時間のトップに学校に来ていました。
それを少しずつ、変えていったのです。

そこでこの人の次に来る人の時間にあわせて、学校に行くことにしました。
最初は不安感がありましたから、いままで通りに家を出て、ファーストフード店でコーヒーを飲んで時間調整をしました。

この人の次に来る人は、30分ぐらい前に来ることが多いのです。
その人にあわせているうちに、2時間も前に来ることの無意味さに気付きました。

自分のしていることが、客観化されたのです。
いままでは、主観的に「時間に遅れるかもしれない」と苦しんでいたのです。

ところが30分ぐらい前に来る人に、あわせているうちに気付きが生まれたのです。
自分のしていることは、「自分で自分を苦しめているだけかもしれない」という気付きです。

そしてそれは同時に、自分に対する信頼感の芽生えです。
自分自身を信頼できるように、なってきたのです。

精神分析療法のように考えれば、「基本的な信頼」が確立されたのです。
それを精神分析療法では、自由連想法を通して行います。

同じようにクライエント中心療法ではカウンセラーとの関係性により行い、認知行動では認知と行動の修正により行います。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
より正確には現実の中で、現実行動により信頼感を育みました。

いままでは「時間に遅れるかもしれない」と考えて、2~3時間も前に来るぐらい「基本的な信頼」はぐらぐらしていました。その人が、30分ぐらい前に来ることでOKになったのです。

このように現実行動を通して、信頼感を育んでいくのです。
当然、そこにはクライエント中心療法のようなカウンセラーとの関係性も入り込んでいます。

広い意味では、精神分析療法のような解釈も入っています。
単純に、一つの心理療法と言いきれないのです。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
それは困っていることと、行動による解決は直線的なつながりがあるからです。

行動により、「時間に遅れるかもしれない」という考えの不合理性に気付くのです。
このように行動と、解決は直線的につながっています。

現実生活そのものが、解決の土台になります。
この点は、森田療法にも通じています。

ただし森田療法のような、師弟関係を用いることはありません。
あくまでも、カウンセラーは中立性を保ちます。

カウンセラーは客観的な中立的な立場に、軸足を置きます。
これは、科学的な立場です。

科学的な立場ゆえに、到着時間も段階的に変えていきました。
30分ぐらい前から、20分ぐらい前に到着時間を変えました。

このときに大切なことがあります。
それは30分ぐらい前の到着時間でOKと確信できたら、次に進むことです。

言いかえれば、「不安をゼロ」にしてから次のステップに進みます。
これが最も効果的な、進み方です。

この人も「不安をゼロ」にして、次のステップを進みました。
そうするうちに、到着時間に対する執着も弱まったのです。

言いかえれば、到着時間に対するこだわりも弱まったのです。
多くの神経症の人は、こだわりが強いのです。

強すぎるこだわりは、生活も拘束してしまいます。
その結果、生活が不自由になります。

この人は強すぎるこだわりを、行動を通して修正していったのです。
その方法は、現実との接触面を広く持っています。

すなわち行動を通して強すぎるこだわりを修正していくことは、現実との接触のなかで起きます。カウンセリングと、現実との面は広いのです。

この広い面は、現実の中で接触しています。触れ合っています。
ただし今までは、刺々しく触れ合っていたのです。

この刺々しく触れ合っていた面を、ソフトに触れ合うようにします。
最初は一点でも、良いのです。それを、より広く拡大します。

このように行動的なカウンセリングは、現実的な解決を進めるものです。
しかしこのような現実的な解決と、困っていることの解決が直接結びついていないケースもあります。

それは具体性の少ない、不安そのものの解決です。
モデルにより、述べます。

この人は、「何もかもうまくいかない、そしてそれはこれからも続く」という不安感に苦しんでいました。より具体的な困難よりも、不安そのものに苦しんでいました。

このようなケースには、行動的な方法は効果が弱いのです。
それよりも、ものごとの考え方や受け取り方に軸足を置く方法が効果的です。

この人には、「人の気持ちは変わるもの」ということを指摘しました。
気持ちが揺れ動いているときは、その事実に気付かないのです。

その事実に気付かないゆえに、悪循環から抜け出せません。
それをある種支えているのが、気持ちの揺れ動きです。

その気持ちの揺れ動きを止めることができるのは、「人の気持ちは変わるもの」という認識です。それが認識されたときに、悪循環から抜け出せます。

その「人の気持ちは変わるもの」という理解のために、次のような質問をしました。
「この1週間ぐらいの間で、最もハッピーであったときのことを思い出してください。」

認知療法は、このように質問により進めていくことが多いのです。
質問により、その人の認知のパターンを引き出していきます。

この人は、二日前に誕生日でした。
「誕生日が、最もハッピーでした。」と、答えました。

さらに質問により、認知のパターンを引き出していきます。
「今でも、ハッピーですか?」と、問いました。

それに対して、こう答えました。
「思い出せば嬉しいです。でも、嬉しさは減っています。」

このことは時間とともに、嬉しさという気持ちも減少することを示唆しています。
気持ちも、変化していくのです。

さらにこの気付きを広めて、深める質問をします。
「この1週間ぐらいの間で、最もハッピーでなかったときのことを思い出してください。」

それに対して、「誕生日の前日に遅刻をしたことが、最もハッピーでなかったです。」と、答えました。

先ほどと同じ質問により、認知のパターンを引き出そうとしました。
「今でも、ハッピーでないですか?」と、問いました。

それに対して、こう答えました。
「思い出せば、そうかもしれませ。でも、それも減っています。」

このように、自分自身の実例から考えていきます。
それが最も、効果的です。

このようにハッピーなこと、ハッピーでないことも時とともに消え去っていきます。
その事実を知るだけでも、大きな効果があります。

この人よりも、より現実的な問題で困っている人もいます。
その人は、住宅ローンのことであたまが一杯です。

自宅の「住宅ローンが支払えなくなったら」と、心配ばかりしています。
このような現実的な問題で、困っています。

このような現実的な問題による心配は多くの場合、さらに広まっていくのです。
お金に困る場合を、さがし出すのです。

その結果、ますます不安感は深まります。
そうなると、さらに不安そのものに巻き込まれるのです。

大きな悪循環に、入り込んでしまうのです。
抜け出そうとしても、悪循環から抜け出せなくなります。

このような悪循環に入り込んだら、立ち止まり事が大切です。
先ず、ストップしてください。

この人の場合は、その不安を放置するようにアドバイスしました。
ただ放っておくのです。

先ず1時間、放っておいてください。
そうやって、立ち止まる事です。

そうすれば、不安そのものの変化に気付きます。
1時間放っておいたことにより、不安そのものは変化しました。

正確には不安そのものは、減少したのです。
どんな気持ちであれ、その気持ちは減少していきます。

大切なことは、不安は放っておくことです。
放っておくことこそが、不安に対する最大の解決法です。

この「放っておくことが、不安に対する最大の解決法」ということを、具体的な方法として行えば良いのです。そのために、ノートと鉛筆を用います。

これから1週間、1時間ごとに自分の不安をノートに記録していってください。
当然そのとき「不安は放っておく」という姿勢で、生活してください。

不安を放っておいたときの、不安をメモしていくのです。
より正確には不安の性格と、その程度をメモしてください。

特に後者の、不安の程度は大切です。
よって、さらに客観化することも必要です。

そのさらなる客観化は、グラフの作成です。
不安の程度の変化を、折れ線グラフにするのです。

折れ線グラフにすれば、不安の変化を客観化できます。
よりよい方法は不安の変化を、1分ごとに記録して折れ線グラフにすることです。

その1分ごとに記録された折れ線グラフには、大きな特徴があります。
折れ線グラフは、最初の5分でピークに達しているのです。

言いかえれば、不安は最初の5分がピークです。
この最初の5分に対する対応が、とても大切です。

最初の5分の不安感に耐えることができれば、その後はなだらかに不安は減っていきます。
この事が、最大のポイントです。

とにかく不安は放っておくことです。
放っておくことこそが、不安に対する最大の解決法です。
そのために、不安から一歩距離を取ることが大切です。

今日からは、この不安から一歩距離を取ることに軸足を置いて述べます。
そのための方法も、併せて述べていきます。

不安から一歩距離を取るためには、「いまという一瞬」を受け入れていくことです。
いまという一瞬一瞬を、生きることです。

不安は、将来に対する予測です。
その予測から、「いまという一瞬」を受け入れられないのが神経症の人の不安です。

予測により、不安になります。
特にさし迫った状況では、そうなりやすいのです。

それゆえに、「いまという一瞬」を受け入れられることは大切です。
そうすれば神経症的な不安は、弱まります。

「いまという一瞬」を受け入れ、生きるのです。
そうすれば将来に対する不安は、弱まっていくのです。

逆に「いまという一瞬」を受け入れられなければ、予測ばかりが肥大化します。
これが神経症的な不安の、増大につながります。

常に今から、次に進もうとします。
「いまという一瞬」から、抜け出そうとします。

横断歩道の赤信号でも、そうです。
青に変わるのを、待っていられません。

「はやく、はやく」と気持ちばかり先に進みます。
しかし現実は、まだ赤信号です。

信号は、普通に動いているのです。
よって、自分が急いているだけです。

その結果、「急いてはことを仕損じる」という状態になります。
そうして仕損じれば、さらに急きます。

時の流れから、完全にそれてしまうのです。
流れの中で、溺れてしまうのです。

溺れないためには、「流れに身をゆだねる」ことです。
もっと簡単に言えば、「成り行きまかせ」で良いのです。

そうすれば、「何とかなるだろう」という考えも出てきます。
この「何とかなるだろう」という考えはいっけん、無責任さも感じます。

しかしそこには、現実に対する大きな信頼感があります。
安心感があります。

現実に対する大きな信頼感に、もとづいた安心感が大切です。
その安心感は、信頼に支えられています。

次回に、さらに述べます。

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