神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法 86

counselor

2013年11月11日 05:02

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「神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法」を、述べます。

神経症の人は、時間に追われた生活になりがちです。
ゆとりを持って生きることが、できません。

ある人は、いつも身体のことが気になります。
少しでも身体がだるいと、大きな病気かもしれないと心配します。

その結果、生活にゆとりが持てないのです。
ゆとりが持てないから、生活はギクシャクしたものになりがちです。

たとえ本当に大きな病気の人でも、気持ちにゆとりが持てれば良いのです。
その人の生活は、ギクシャクしたものになりません。

本当の問題は、「ゆとりのなさ」にあります。
何ごとも「ゆとりのなさ」は、ハイパーにその人を動かします。

現実に何も身体に問題はないのに、病院に頻繁にいきます。
同じ検査を何度も繰り返します。

その結果、生活時間と生活費のほとんどは病院の支払いに充てられます。
後ろ向きな生活に、なってしまうのです。

生活そのものは、前には進みません。
常におびやかされた生活です。

その本質は、「神経症的不安」にあります。
「神経症的不安」が、身体に非生産的なこだわりをうむのです。

よっていくら検査を繰り返しても、安心することはありません。
医師が音をあげるか、医師に不信感を向けるかです。

そこからドクター・ショッピングが、始まるのです。
どの病院に行っても、安心できません。

このような悪循環におちいる人は、子供の時に大きな病気をした人に多いのです。
子供の時の病気を、まだ引きずっています。

幼少時にその人の病気のみに、家族の気持ちが向かっていたのです。
その結果、小さな身体の変化に敏感なのです。

あと子供の時に、虐待を受けた人にも多いのです。
子供の時の虐待を、引きずってしまうのです。

虐待は、子供にはどうしようもできないことです。
自分の力の、及ばないことです。

その「自分の力の及ばないこと」に、人格形成時に虐待を受けた人はいました。
その結果、病気のような「自分の力の及ばないこと」を極度に恐れます。

そこから「すぎたるは、及ばざるがごとし」という、迷路に入ってしまうのです。
ある女性をモデルに、述べてみたいと思います。

この人は、病気を恐れています。
それも死ぬかもしれない、重い病気です。

早期発見をすれば、たすかるかもしれない病気です。
それゆえに、検査を繰り返します。

身体のほんのささいな変化を、気にかけます。
ほんの少しの痛みや、はれを気にします。

この人の父親は、何年か前に癌で死んでいました。
それも死ぬかもしれないと言う不安を、強めました。

父親が死んだときの姿が、フラッシュ・バックします。
そのフラッシュ・バックにも、苦しみました。

常に母親に、癌ではないことの確認を求めます。
「私は、癌ではないね・・・」と繰り返すのです。

初めのうちは、母親も「へいき」と答えます。
しかしそのやりとりが重なるうちに、不機嫌になります。

そして怒り出します。
その人はそれを聞いて、落胆します。

自分が受け入れられなかったゆえに、苦しみも深まります。
フラッシュ・バックの程度も、深刻になります。

そこで同じように友人に癌ではないことの確認を求めます。
また「私は、癌ではないね・・・」と繰り返すのです。

このことの繰り返しです。
生産的に、前に進むことはありません。

この人も、いくつかのカウンセリングを体験しています。
あるカウンセラーは、この人のこころの中を指摘しました。

そのカウンセラーは、「内的な攻撃性」を指摘しました。
その攻撃性が、出口を求めていると語りました。

この人はそう言われても、チンプンカンプンです。
まったく思い当たることは、ありません。

このような「内的な攻撃性」を指摘するのは、精神分析療法に多いのです。
多くの場合、本人はそう言われてもチンプンカンプンです。

自分自身で納得できる、ことを知りたいのです。
そこで森田療法に、たすけを求めました。

森田療法は、説得力があります。
多くの人は、森田療法の本を読んで納得します。

森田療法では、「気にするから、それが悪循環になる」と考えます。
「その解決は『あるがまま』のきょうちにある」とするのです。

『あるがまま』が身につけば、悪循環から抜け出せるとします。
それは、『悟り』であるともするのです。

それを作業により行うのが、森田療法の特徴です。
なお森田療法は森田療法家により行われます。

この師弟関係が、いまの若い人にはなじみにくいのです。
森田療法には、戦前の日本社会の姿が潜んでいます。

ここでつまずく、若い人は多いのです。
この人もつまずき、認知行動療法に向かいました。

森田療法よりも、認知行動療法のほうが合理的です。
森田療法のような、師弟関係もありません。先生とは、対等な関係です。

その認知行動療法は、次のようにスタートしました。
「あなたの心配のプラス面と、マイナス面は?」

このように森田療法よりも、認知行動療法のほうが合理性にはたらき掛けます。
かつ自分なりの考えを、重視します。

それに質問は、先ずプラス面からスタートしています。
これにも、大きな意味はあります。

先ず、イエスです。
自分のしていることにも、プラスはあるという認識です。

この人の答えは、こうでした。
「心配しているから、手遅れにならない」

これがこの人の、こころの表面上にあるのです。
しかし芯にあるものは、まったく異なります。

多くの場合、芯にあるものは神経症的な不安です。
表面にあるものとは、まったく異なります。

ただし芯にある神経症的な不安に、直接触れる事はしません。
直接触れる事は、混乱を深めるだけである事が多いのです。

多くの場合、その神経症的な不安を導く考え方にアプローチします。
それを変えて、神経症的な不安を改善します。

神経症的な不安を導く考え方の一つは、「心配しているから、手遅れにならない」です。
それは心配のプラス面に、かくれていたのです。

逆に神経症的な不安を導く考え方は、心配のマイナス面にもかくれています。
その質問をします。

「あなたの心配のマイナス面は?」
この質問により、不安の本質により近づきます。

この人の答えは、こうでした。
「いつも心配しているから、心配に生活が妨げられます」

この人は24時間、心配している生活です。
何もできません。

心配が、生活をおおっているのです。
不安が、ただよってしまっているのです。

このような状態は、非生産的な不安に支配されているのです。
本当に体調が悪くて119番することは、生産的です。

不安が現実的な解決に進まないで、ただその不安に支配されているのです。
起こりそうもないことを、「どうしよう、どうしよう」と心配しているのです。

これは非生産的な不安の特徴です。
心配しても解決しないことを、心配しているだけです。

その心配の根底には、「過剰な自責感」があります。
自分を責めがちな傾向です。

すべてを自分の責任だと、考えます。
このような傾向に、巻き込まれているのです。

もし病気の発見が遅れたら、自分の責任だと考えます。
自分を、こんなように責めます。

それが身体にこだわる人の、特徴です。
すべてを自分の責任だと考えることは、苦しみを生みます。

それにすべてを自分の責任だと考えることは、すべて自己証明を必要とします。
「病院で検査をした、その結果は何も心配はなかった」しかし、検査ミスはあるかもしれない。

そう考えると、検査ミスをする病院を選んだ自分の責任だと考えます。
このようなことは、限りなく連鎖しがちです。

このように自分のしたことを、すべてOKだと考えることは不可能です。
それよりも、責任の限りない連鎖に陥りがちです。

心配はその連鎖そのものに、非生産性が含まれています。
それゆえに、カウンセラーは連鎖のマイナス性を指摘するのです。

心配の連鎖は、何ももたらしません。
生活を、ただ非生産的にするだけです。

さらにこの人は検査にも、のめりこんでいます。
身体の全てを把握することに、のめりこんでいます。

話は少し変わりますが、外出時に何回も鍵を閉めたか確認する人がいます。
その人も、この人と共通する要素があります。

自分では確認することにより、不安を弱めたいのです。
しかし確認すればするほど、逆に不安は強まります。

鍵を閉めたか確認する人は、このような迷路に入っています。
先ずその迷路に、気付くことです、

迷路に気付けば、半分は解決しています。
そこから出口を、見付ければ良いのです。

鍵の確認に関して言えば、こうなります。
「何回鍵を閉めたか確認しても、最後の1回しか確認していない」

そうです、「何回鍵を閉めたか確認しても、最後の1回しか確認していない」のです。
このように気付けばよいのです。

この人の病院の検査も、同じような性格を持っています。
何回検査しても、最後の1回しかしていないようなめんもあります。

鍵の確認と同じように、極端に検査を繰り返すことは迷路を深めます。
そこから、抜け出せなくしてしまうのです。

過剰な心配から抜け出せない人の、解決方法をさらに考えてみたいです。
まず「何回検査しても、最後の1回しかしていない」という自覚です。

この自覚により、方向は変えやすくなるでしょう。
後ろ向きから、前向きに変わりやすくなります。

このような自覚とともに、こころの法則も大切です。
それは「不安は最初の5分がピーク」という法則です。

正確には、次のようになります。
「不安は最初の5分がピークで、20分で慣れる」という法則です。

身体には、適応性があります。
不安を持ちながらも、適応しようとするのです。

そしてそれが「不安は最初の5分がピークで、20分で慣れる」という法則です。
この法則に、さらに踏み込んだ方法もあります。

その方法は、意識的にこころの中で不安を繰り返すのです。
この人の場合は検査と、健康不安です。

そのことを、こころの中で繰り返します。
20分ぐらい、繰り返すのです。

いつも心配していることを、集中的に心配する「心配タイム」をつくります。
その「心配タイム」にのみ、集中的に心配すれば良いのです。

この意識的にこころの中で不安を繰り返す方法は、不安に耐える方法よりも不安に働きかけます。
よって意志の力も必要です。

次回に、さらに述べます。

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