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「神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法」として、「社会的損失の不安」を述べます。
「社会的損失の不安」とは経済的、社会的にいまの地位を失う不安です。
STAP細胞を巡る問題でも、この「社会的損失の不安」にすべての日本人が動かされているような気がします。
自分の中の不安を揺さぶられるがゆえに、過剰反応している面もあります。
特に多くの日本人が動かされている「社会的損失の不安」は、経済的にいまの地位を失う不安です。
リストラによる、失業の不安です。
いま日本では、消費税アップによる景気の後退が心配されています。
この心配が、神経症的に強く迫っている不安です。
神経症的不安ゆえに、非生産的です。
どんなに景気の後退を心配しても、解決はしません。
さらに「社会的損失の不安」は、家族の問題である場合もあります。
浪費癖のある人が、家族にいる場合も「社会的損失の不安」は生じます。
ご主人が浪費家であるとか、奥さんが買い物依存である場合です。
最近は、子供のゲーム依存による浪費も含まれます。
このように「社会的損失の不安」は、家族からも生じます。
その場合は、家族関係の悪化も起きます。
次に「社会的損失の不安」の引きがねになることを、以下に述べます。
先ず、その人自身の過去の社会的なポジションです。
過去に経済的、社会的に困った体験の有無です。
両者ともにある場合、「社会的損失の不安」の引きがねになりがちです。
一度でも転んだ事のある人は、転ぶことを怖がります。
「あつものに懲りてなますを吹く」ことに、なります。
なますでも、あつものに見えます。
何でも、あつものに見えます。
子供のときに、経済的に不安定だった人は貧乏性です。
経済的にめぐまれても、おかねの心配をしています。
過去に拘束され、今と将来に生きられません。
貧乏性が、身にしみ込んでいます。
次の「社会的損失の不安」の引きがねは、以下です。
その人の完璧すぎる社会的基準です。
たとえば田園調布に家がなければ、社会的に認められない。
預金は、億単位でなければいけない。
このような完璧すぎる社会的基準は、自分を苦しめます。
何事も完璧主義は、不自由さをともないます。
それは「田園調布に家が建つ」ような、エリート意識にもつながります。
同時にそれは、不自由さです。
欲求は、自分自身を拘束するものです。
高い欲求は、拘束力も強いのです。
自分の我により、自分を拘束しています。
自我は、人を不幸にもします。
ある種、自我は不幸もつくりだしています。
「記憶により不幸になり、予測により不安になる」のは自我によります。
こう考えると、過去に自分の両親が経済的な不自由さにあった人はこの基準に当てはまりやすいのです。
「記憶により不幸になり、予測により不安になる」ことが、起きやすいのです。
いま経済的な不自由さになくても、過去の不自由さにより不幸になり、将来への予測により不安になるのです。
その人の思考の中に、いまの不安は潜んでいます。
さらに経済的なものが、象徴化している人もいます。
ブランドに対するある種の、こだわりです。
ブランドは社会的な成功の、象徴と考えます。
それゆえに、へんにこだわるのです。
こだわりには当然、不自由さも伴うのです。
そのマイナスのこだわりが、「社会的損失の不安」につながります。
ブランドによる自己拘束です。
それから解放されることが、必要です。
ある人はブランドが、幸せをもたらすと信じていました。
そこで次のように、アドバイスしました。
「あなたはここ2年ぐらいで、楽しく生活できたのはどんな時ですか?」
この質問の答えを、書き出してもらいました。
そうすると、「レクリエーション」という答えが多かったのです。
これはブランドとは、何も関係ないものです。
やりたいことを、自由にふるまっているときが最も楽しいときです。
喜びに、みたされているのです。
次回に、さらに述べます。