神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法 298

counselor

2014年06月11日 09:01

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「神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法」として、「社会的損失の不安」を述べます。

「社会的損失の不安」とは経済的、社会的にいまの地位を失う不安です。
STAP細胞を巡る問題でも、この「社会的損失の不安」にすべての日本人が動かされているような気がします。
自分の中の不安を揺さぶられるがゆえに、過剰反応している面もあります。

特に多くの日本人が動かされている「社会的損失の不安」は、経済的にいまの地位を失う不安です。
リストラによる、失業の不安です。

いま日本では、消費税アップによる景気の後退が心配されています。
この心配が、神経症的に強く迫っている不安です。

神経症的不安ゆえに、非生産的です。
どんなに景気の後退を心配しても、解決はしません。

さらに「社会的損失の不安」は、家族の問題である場合もあります。
浪費癖のある人が、家族にいる場合も「社会的損失の不安」は生じます。

ご主人が浪費家であるとか、奥さんが買い物依存である場合です。
最近は、子供のゲーム依存による浪費も含まれます。

このように「社会的損失の不安」は、家族からも生じます。
その場合は、家族関係の悪化も起きます。

次に「社会的損失の不安」の引きがねになることを、以下に述べます。
先ず、その人自身の過去の社会的なポジションです。

過去に経済的、社会的に困った体験の有無です。
両者ともにある場合、「社会的損失の不安」の引きがねになりがちです。

一度でも転んだ事のある人は、転ぶことを怖がります。
「あつものに懲りてなますを吹く」ことに、なります。

なますでも、あつものに見えます。
何でも、あつものに見えます。

子供のときに、経済的に不安定だった人は貧乏性です。
経済的にめぐまれても、おかねの心配をしています。

過去に拘束され、今と将来に生きられません。
貧乏性が、身にしみ込んでいます。

次の「社会的損失の不安」の引きがねは、以下です。
その人の完璧すぎる社会的基準です。

たとえば田園調布に家がなければ、社会的に認められない。
預金は、億単位でなければいけない。

このような完璧すぎる社会的基準は、自分を苦しめます。
何事も完璧主義は]、不自由さをともないます。

それは「田園調布に家が建つ」ような、エリート意識にもつながります。
同時にそれは、不自由さです。

欲求は、自分自身を拘束するものです。
高い欲求は、拘束力も強いのです。

自分の我により、自分を拘束しています。
自我は、人を不幸にもします。

ある種、自我は不幸もつくりだしています。
「記憶により不幸になり、予測により不安になる」のは自我によります。

こう考えると、過去に自分の両親が経済的な不自由さにあった人はこの基準に当てはまりやすいのです。
「記憶により不幸になり、予測により不安になる」ことが、起きやすいのです。

いま経済的な不自由さになくても、過去の不自由さにより不幸になり、将来への予測により不安になるのです。
その人の思考の中に、いまの不安は潜んでいます。

さらに経済的なものが、象徴化している人もいます。
ブランドに対するある種の、こだわりです。

ブランドは社会的な成功の、象徴と考えます。
それゆえに、へんにこだわるのです。

こだわりには当然、不自由さも伴うのです。
そのマイナスのこだわりが、「社会的損失の不安」につながります。

ブランドによる自己拘束です。
それから解放されることが、必要です。

ある人はブランドが、幸せをもたらすと信じていました。
そこで次のように、アドバイスしました。

「あなたはここ2年ぐらいで、楽しく生活できたのはどんな時ですか?」
この質問の答えを、書き出してもらいました。

そうすると、「レクリエーション」という答えが多かったのです。
これはブランドとは、何も関係ないものです。

やりたいことを、自由にふるまっているときが最も楽しいときです。
喜びに、みたされているのです。

本当の意味で、ブランドが幸せをもたらすとは言えません。
この人は、いまそれに気付きました。

新たな気付きは、困難を克服します。
気付いて、前に進んでいくのです。

この人はその気付きにより、ブランド品の購入をやめました。
それにより、生活は自由なものになったのです。

生活の自由さとゆとりは、ほぼイコールです。
それは、いまとり戻されました。

生活の質そのものの、向上こそが大切です。
中身のない空虚さを、求める必要はありません。

「社会的損失の不安」の根にあるものは、生活の質そのものの貧しさです。
空虚さです。

神経症の人が生活にゆとりをとり戻すためには、生活の質そのものの向上も必要です。
ここにカウンセリングの持つ、特殊性があります。

カウンセリングの場合、その人の生き方も変わる必要があるのです。
それは主体的になされるものです。

現在、すべてのカウンセラーはロジャーズの影響を受けています。
よって来談者の主体性は、尊重されます。

生活の質そのものの向上も、強制されるものではありません。
新しいカウンセリングに、師弟関係は持ちこまれていません。

ここには「学校の先生と生徒の関係」との違いも含まれています。
先生は生徒に、指導するという姿勢を示します。

したがって先生は、生徒を教え導きます。
そこには知らない人に、知っている人が知っている事を教えるという性格があります。

新しいカウンセリングは、その人自身が新しい生き方を考え進むのです。
けっして、師弟関係は持ちこまれていません。

ただし森田療法では、師弟関係は用いられています。
日本的な要素が、残っています。

そういう意味では、ロジャーズより前のカウンセリングのスタイルと言えます。
来談者の主体性は、尊重されません。

よって戦前の森田療法では、森田正馬は道徳や戦争にまで言及しています。
これは、フロイドと大きく異なります。

フロイドは逆に、「身をわきまえる」ことを強調します。
「こころの健康さを取り戻すところまで」が、精神分析療法の役割としたのです。

分別ある姿勢です。
中立性とも、言えます。

この分別ある中立的な姿勢を、保ちながらカウンセリングは進みます。
中立性を保ちながら、真に意味のあるアドバイスを与えていくことが目指されます。

この人は「中身のない空虚さを求める必要のないこと」に、自分で気付きました。
生活の質そのものを向上させることに、ハンドルを切りました。

生活にゆとりをとり戻すためには地位、名誉よりも「感謝の気持ち」が大切です。
一見あおくさい話です。

カウンセリングは、このようにこころの原点にかえるものです。
原点の問い直しでもあるのです。

ただし私たちは、あおくさい話をさけています。
社会がレールを引き、そのレールに乗るだけです。

このレールにうまく乗れるかが、問題にされるのです。
神経症の人は、この問い直しをせまられてもいるのです。

次回に、さらに述べます。

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