神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法 634
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「神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法」として、「職業上の不安」を述べます。
「社会的損失の不安」とは経済的、社会的にいまの地位を失う不安です。
誰でも、将来に不安はあります。客観化するだけでも、不安から距離はとれます。
これは「職業上の不安」にも通じるものです。
次に「職業上の不安」を述べます。
いま「職業上の不安」はとても多いのです。
これは不景気による、失業の心配が土台にあります。
どうしても、職業上の不安は広まりがちです。
その不安に、多くの人がのみ込まれそうになります。
のみ込まれれば、おぼれます。
自分を見失います。
さらに技術の進歩も、職業上の不安を広めます。
急激な技術進歩の世界を、私たちは生きています。
急激な技術進歩の世界では、自分が学んだことは常に古臭いものになっていくのです。
私たちはそんな技術進歩を、追いかけて生きています。
技術進歩は、新しいもの好きな人により支えられています。
興味によって、支えられています。
興味そのものに、成熟はありません。
若さだけです。
働くことが、成熟と結びついていません。
若さによる興味だけが、暴走します。
働くこと=成熟
働くことが、成熟とイコールであれば理想的です。
しかし現実は
働くこと=興味 であり 働くこと≠成熟 です。
これが逆になればいいのです。
それは 働くこと=成熟 です。
ただし現実は、逆方向であることが多いのです。
それが困難を強めます。
ところが人のこころの発達は、成熟に向かいます。
発達にも、見放されていると言えます。
働くことが心の成熟に向かわないで、興味に向かっています。
よって心の発達にも、見放されるのです。
根なし草のような状態になります。
そこに気付かない、生きにくさが潜んでいます。
根なし草であれば、根なし草を自覚すれば良いのです。
それを自覚できないことに、生きにくさが潜んでいます。
その自覚から、スタートすれば良いのです。
ただし、それほど強靭な自我を持った人は少ないのです。
だから、現代社会に多くの問題が発生します。
これが現実です。
現実に職業上の評価は多くの場合上司や、お客さんの評価です。
その人たちも、気持ちの不安定な人が多いのです。
気持ちの不安定な人が評価します。
だから困ります。
そのときの気分しだいであることが多いのです。
特にサービス業は、そうです。
都市化すればするほど、サービス業中心になります。
成熟から、遠ざかります。
その結果、自分の技能の向上は二の次になります。
他者の顔色ばかり、うかがうことになります。
常に上司も自分も、神経をとがらせます。
その結果、非生産的に疲れます。
他者の顔色ばかり、うかがう疲れだけが残ります。
自分の身は、削られるだけです。
たとえればハンドボールの試合で、審判の笛が怪しいと感じます。
そのときファイトは弱まります。
フェアーな試合ではないと感じます。
そのために、さらにファイトは弱まります。
ところが完全なものは、どこにもありません。
ある種、不完全で当然です。
でてくる人も社会も、不完全です。
それが完成に近づくプロセスを生きています。
不完全なものが、完成に近づくプロセスを生きています。
私たちも社会も、全てがそうです。
そう考えれば、不満も弱まります。
そこから、再スタートしましょう。
もう一つ、見えざる敵がいます。
それは、完ぺき主義です。
完ぺき主義は、完全を求めます。
100メートルを9秒で走ることを求めます。
もし100メートルを9秒で走ることができたら、さらに要求がでます。
200メートルも9秒で走れになります。
やがてマラソンも、9秒で走れになります。
無理強いされます。
正確には、自分が自分に無理強いします。
自分自身で無理強いするのです。
自分自身の心のメカニズムにより疲れます。
よってとても疲れます。
何でもしがみつきは、とても疲れます。
その悪循環を、抜けられなくなります。
これが性格として固定化する人もいます。
完ぺき性格者です。
完ぺき性格者は、融通がききません。
水が凍ったように、動けません。
水ではなく凍ったものです。
すなわち氷です。
そうなったとき、自分で自分を苦しめます。
生活のバランスを崩すのです。
常に不満足です。
それゆえに絶対にこない、完全を求めます。
強調すべきことは絶対に「ない」ではなく、絶対に「こない」です。
時間をいくらかけても、こないものです。
次回に、さらに述べます。
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