神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法 676

counselor

2016年03月29日 09:43

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「神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法」として、「職業上の不安」を述べます。

「社会的損失の不安」とは経済的、社会的にいまの地位を失う不安です。
誰でも、将来に不安はあります。客観化するだけでも、不安から距離はとれます。

これは「職業上の不安」にも通じるものです。
次に「職業上の不安」を述べます。

いま「職業上の不安」はとても多いのです。
これは不景気による、失業の心配が土台にあります。

どうしても、職業上の不安は広まりがちです。
その不安に、多くの人がのみ込まれそうになります。

のみ込まれれば、おぼれます。
自分を見失います。

さらに技術の進歩も、職業上の不安を広めます。
急激な技術進歩の世界を、私たちは生きています。

急激な技術進歩の世界では、自分が学んだことは常に古臭いものになっていくのです。
私たちはそんな技術進歩を、追いかけて生きています。

技術進歩は、新しいもの好きな人により支えられています。
興味によって、支えられています。

興味そのものに、成熟はありません。
若さだけです。

働くことが、成熟と結びついていません。
若さによる興味だけが、暴走します。

働くこと=成熟
働くことが、成熟とイコールであれば理想的です。

しかし現実は
働くこと=興味 であり 働くこと≠成熟 です。

これが逆になればいいのです。
それは 働くこと=成熟 です。

ただし現実は、逆方向であることが多いのです。
それが困難を強めます。

ところが人のこころの発達は、成熟に向かいます。
発達にも、見放されていると言えます。

働くことが心の成熟に向かわないで、興味に向かっています。
よって心の発達にも、見放されるのです。

根なし草のような状態になります。
そこに気付かない、生きにくさが潜んでいます。

根なし草であれば、根なし草を自覚すれば良いのです。
それを自覚できないことに、生きにくさが潜んでいます。

その自覚から、スタートすれば良いのです。
ただし、それほど強靭な自我を持った人は少ないのです。

だから、現代社会に多くの問題が発生します。
これが現実です。

現実に職業上の評価は多くの場合上司や、お客さんの評価です。
その人たちも、気持ちの不安定な人が多いのです。

気持ちの不安定な人が評価します。
だから困ります。

そのときの気分しだいであることが多いのです。
特にサービス業は、そうです。

都市化すればするほど、サービス業中心になります。
成熟から、遠ざかります。

その結果、自分の技能の向上は二の次になります。
他者の顔色ばかり、うかがうことになります。

常に上司も自分も、神経をとがらせます。
その結果、非生産的に疲れます。

他者の顔色ばかり、うかがう疲れだけが残ります。
自分の身は、削られるだけです。

たとえればハンドボールの試合で、審判の笛が怪しいと感じます。
そのときファイトは弱まります。

フェアーな試合ではないと感じます。
そのために、さらにファイトは弱まります。

ところが完全なものは、どこにもありません。
ある種、不完全で当然です。

でてくる人も社会も、不完全です。
それが完成に近づくプロセスを生きています。

不完全なものが、完成に近づくプロセスを生きています。
私たちも社会も、全てがそうです。

そう考えれば、不満も弱まります。
そこから、再スタートしましょう。

もう一つ、見えざる敵がいます。
それは、完ぺき主義です。

完ぺき主義は、完全を求めます。
100メートルを9秒で走ることを求めます。

もし100メートルを9秒で走ることができたら、さらに要求がでます。
200メートルも9秒で走れになります。

やがてマラソンも、9秒で走れになります。
無理強いされます。

正確には、自分が自分に無理強いします。
自分自身で無理強いするのです。

自分自身の心のメカニズムにより疲れます。
よってとても疲れます。

何でもしがみつきは、とても疲れます。
その悪循環を、抜けられなくなります。

これが性格として固定化する人もいます。
完ぺき性格者です。

完ぺき性格者は、融通がききません。
水が凍ったように、動けません。

水ではなく凍ったものです。
すなわち氷です。

そうなったとき、自分で自分を苦しめます。
生活のバランスを崩すのです。

常に不満足です。
それゆえに絶対にこない、完全を求めます。

強調すべきことは絶対に「ない」ではなく、絶対に「こない」です。
時間をいくらかけても、こないものです。

ある意味では、完成は「いま」あります。
将来には、ありません。

「いま」やるのです。
やるのは「いま」です。

それに満足は、今しか得られません。
どこにも満足はやってきません。

それに満足を仕事にだけ求めるのも、愚かです。
仕事以外にも、満足は得られます。

それに気付かない、人は困難に陥ります。
生活のバランスは、崩れます。

バランスの崩れた生活は、いっぺんに崩れがちです。
もろいのです。

私生活がおろそかになれば、仕事にのめり込みます。
その結果、ますます私生活がおろそかになります。

このように生活のバランスは、崩れています。
その結果、生活はいっぺんに崩れることもあります。

生活にゆとりがないゆえに、もろいのです。
すぐ折れてしまいます。

踏ん張っているうちは良いのです。
その踏ん張りがきかなくなったとき、危機がきます。

危機が、おとずれます。
そのとき全て崩れ去るのです。

これが日本のいたる所で、起きています。
ここ10数年間は顕著です。

日本の経済危機は、こんな姿も現わしています。
自殺者の増加です。

これは社会不安を強めます。
その結果、さらに自殺は増えます。

これに余暇の減少も、問題点です。
経済危機は、リストラを進めます。

その結果、一人あたりの仕事は増えます。
量も質も持ちきれないものになってきます。

その結果、リタイアする人も出ます。
増えもします。

このように、社会全体に不安は漂っています。
それを正せるかどうかも、不透明です。

さらに不安は、不安を引き寄せます。
不安は大きくなります。

大きな不安は、現実判断をゆがめます。
その結果、物事はスムーズに進みません。

それに現在は、地域共同体も狭められています。
地域の絆が弱まっています。

都会暮らしでは、近隣への関心も薄いのです。
それが孤独感を生みます。

孤独感を補うものもありません。
それがよけい孤独感を深めます。

自分を支えるものがありません。
そのために、よけい仕事にのめり込みます。

このように悪循環は始まり、続きます。
次に、モデルにより述べます。

ある男性は、会社で不安におそわれます。
それは上司が自分に、変によそよそしく接するのです。

そのよそよそしさは、「リストラのサインかもしれない」と考えました。
そこから悪循環は始まります。

相手のよそよそしさを疑うと、よけいとそよそしく見えます。
その結果、自分もよそよそしくなります。

不自然さは、不自然さを生みます。
さらに、その不自然さを育てもします。

この不自然さの悪循環に苦しみます。
この男性は心配することは、心配を消すと考えたのでしょう。

しかし逆です。
心配することは、心配を増します。

心配すればするほど、心配になります。
心配は心のど真ん中に、居座ってしまいます。

ど真ん中に居座って、動きません。
動かそうとすると、より大きくなります。

そこで「放っておく」という、発想も出ます。
放っておくのが、最大の解決というのです。

私たちは、予測により不安になります。
将来を予測することが、不安の原因です。

不安は、予測の中にのみあります。
ほかのどこにもありません。

そのほかのどこにもないものによって、今がおろそかになります。
これは、とても愚かです。

やがて眠れなくなります。
睡眠障害が起きます。

睡眠障害が起きると、迷路に完全に入っています。
生活も崩れています。

ここまでくると、大きな問題です。
次に、その解決方法を述べます。

先ず不安そのものの持つ意味と、価値を検証することです。
はたして不安に意味と、価値はりますか?

多くの場合、不安の解決を求めると悪循環に入るだけです。
迷路に入るだけです。

次回に、さらに述べます。




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