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今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。
神経症の人は、その人なりの「思い込み」に苦しんでいます。
ある人にとってはとても不安になることが、ある人にとってはまったく問題にされません。
逆にある人にとってはまったく問題にされないことが、ある人にとってはとても不安になります。
これはその人なりの「思い込み」が、異なるからです。
それはそれぞれの不安を否定的に支える、「思い込み」があるからです。
それぞれの不安に、それぞれの「思い込み」は対応しています。
特に神経症の人の「思い込み」で多いのは、「見捨てられる不安」です。
自分が誰か、周囲の人から見捨てられることを恐れるのです。
そして「見捨てられる不安」に支配された人は、見捨てられないために生きることになります。
神経症の人は自分の「思い込み」に支配されて、「思い込み」から自分を守るために生きるのです。
カウンセリングは、その「思い込み」からの解放を目的とするものです。
神経症の人はゆがんだ「思い込み」の中で、解決を進めます。
カウンセリングは、その「思い込み」という迷路から解放するものです。
神経症の人に多い「見捨てられる不安」を持つ人は、他者に執着します。
「見捨てられるという思い込み」ゆえの、執着です。
人にたよりがちな態度を、とりがちです。
それは「見捨てられるという思い込み」ゆえの、態度です。
そしてその「見捨てられるという思い込み」は、他者を二つに分けます。
極端に理想化するか、極端に否定化するかです。両極端です。
他者が極端に理想化されると、「この人はたよりがいのある、申し分のない人」
になります。
逆に極端に否定化されると、「この人は他人を利用する、悪い人」
になります。
このように神経症の人の「思い込み」は、両極端なものになりがちです。
中間はありません。しかし現実は、ほぼ中間で動いているのです。
現実はほぼ中間で動いているのに、神経症の人の「思い込み」は両極端なものです。
その結果、現実がチグハグなものになりがちです。
神経症の人の「思い込み」が両極端であるのは、神経症の人がゆがんだ「思い込み」に支配されているからです。よってそのゆがんだ「思い込み」から解放されることが、カウンセリングの目標になります。
その神経症の人の「思い込み」は、性格的な特徴として生活に現れます。
それは、消極さです。
正確には「性格的な消極さ」であり、何ごとにも積極的にはなれません。
このように神経症の人の「思い込み」は、性格も形成します。
「思い込み」そのものが、性格として固定化します。
その性格として固定化した「思い込み」は、強く固定化します。
個人のすべても、決定するようになります。
神経症の人の「思い込み」の解決は、同時に性格の改善も含んでいます。
このように神経症と性格は、関係しています。
神経症の人は「性格的な消極さ」ゆえに、何ごとにも積極的にはなれません。
これは「見捨てられる恐れ」によるものです。
人に頼りがちな行動を、とりがちです。
自分の本当の気持ちを、かくして生きています。
そのために味気なく、不完全燃焼で生きていることが多いのです。
神経症の人は自分自身の「思い込み」により味気なく、不完全燃焼で生きていることが多いのです。
かつその「思い込み」は、事実ではないのです。
本当にないことを心配しているがゆえに味気なく、不完全燃焼に生きざるを得ないともいえます。
お化けにより、苦しめられているのです。
そのお化けは、サービス精神おうせいな人を求めます。
神経症の人の「思い込み」はその人を、サービス精神おうせいな人にしてしまうのです。
モデルに、より述べます。
ある主婦です。とても献身的な女性です。
ただしとても、その生活には受身の姿勢が目だちます。
不完全燃焼な生きかたです。
次回に、さらに述べます。