神経症の人の「思い込み」 115

counselor

2011年06月25日 13:59

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今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。

この歪んだ思い込みに苦しむ姿を、モデルにより述べます。
先ず若い主婦です。この人はご主人との関係で、思い込みにより苦しんでいました。

最近、ご主人の帰宅が連絡もなく遅いのです。多くの場合、彼には彼の事情があると考えますがこの人はそう考えません。そう考えられないのです。

連絡できない事情を、「私を嫌になったのかもしれない」と考えます。
そしてそれは、「~~~に違いない」と悪い方に変わっていきます。

即ち「私を嫌になったのかもしれない」という考えから、「私を嫌になったに違いない」と悪い方に変わっていきます。常に、悪い方に進んでしまうのです。

最後には、「離婚になる」と考えるのです。
その理由は、「私に~~~といういたらぬ点がある」からだと考えます。

たとえば、「私に愛想がないといういたらぬ点がある」からだと考えます。
さらに、「私に暗い性格といういたらぬ点がある」からだと考えます。

このように、すべて自分のせいにして苦しむのです。
その裏側には、極端な理想像がかくれています。

この人の裏側にある極端な理想像は、次のものです。
「私はとても愛想が良くなければならない」であり
さらに、「私はとても明るい性格で、周囲の人をも明るくさせなければいけない」です。

この人は「私はとても愛想が良く『なければならない』」や、「私はとても明るい性格で、周囲の人をも明るく『させなければいけない』」という、理想像にともなう思い込みに苦しんでいたのです。

この困難を認知療法や、認知行動療法では現在の問題としてとらえます。
この女性はいま「自分は愛想がなく、暗い性格」という、自己像に苦しんでいたのです。

この女性の自己像には、大きな歪みがあります。
それは「自分は愛想がなく、暗い性格」というように、決め付けていることです。

その決め付けから、主人は「私を嫌になったのかもしれない」と考えていくのです。
決め付けから後の考えは、決め付けに沿ったものになります。

その結果、歪んだ決め付けを裏付けてしまうのです。
気付いたときには、歪んだ決め付けは本当のことになってしまいます。

その決め付けの根底には、大きな認知のゆがみがひそんでいます。
それは「信号は青か赤か」という、考え方です。

現実は、「信号は青か黄か赤」なのです。
信号には、黄色もあります。

ところがこころの中にあるゆがみは、「信号は青か赤か」という考え方を生みます。
その結果、その人自身が苦しむのです。

こころのゆがみの悪循環は、大きな認知のゆがみから始まります。
本人は、その事実に気付いていません。

この「思い込み」を、正していけばいいのです。
そのためには、ものごとを「たまには~~」と考えればいいのです。

この女性は「自分は愛想がなく、暗い性格」という、自己像に苦しんでいました。
そこで「自分は『たまには愛想がなく、暗い気持ち』の時もある」と、見方を変えたのです。

この女性は「自分は愛想がなく、暗い性格」という自己像を、確認する生き方を自分自身にしいていたのです。それに、苦しんでいました。

ただしそれは、ほんの小さなことを切っ掛けに始まった思い込みでした。
思い込みの悪循環でした。

その思い込みの悪循環から抜け出すために、次の方法を用いました。
それは「私に愛想がなく、暗い性格といういたらぬ点がある」ことの、具体的な証拠を挙げるのです。

本当に愛想がなく、暗い性格と指摘されたことがあるのか?
そうするとそれは多くの場合、ありませんでした。むしろ逆が多いのです。

この女性に友人は、よくこころを開いて話しかけてきたのです。
信頼を示していたのです。

この人を「愛想がなく、暗い性格」という人はほとんどいません。
それよりは「めんどうみの良い人」と、よく言われました。
このようにこの人の自己像には、ずれがありました。

これを正すためには、その証拠を挙げるのです。
正確には「愛想がなく、暗い性格ではない」という証拠を挙げるのです。

さらには神経症的な人の自分自身に対する、とてもきびしい見方をくつがえす方法も用います。
神経症的な人は自分自身に対して、「ひかえめに触れる」ことができません。
自分自身に対して、とてもきびしい見方をします。

それを正すために、「あなたは愛想がなく、暗い性格の人を責めますか?」という質問をしました。その人は、微笑み「ノウ」と答えました。

このように自分自身に対してとてもきびしい見方をして、他者には逆に甘いのです。
よって他者の方から、現実を見ることも必要です。

視点を変えることにより、現実を正しく見ることもできます。
さらにその思い込みを、とらえ直すことも必要です。

この女性も思い込みを、とらえ直してみました。
「愛想がなく、暗い性格」という思い込みを、とらえ直してみました。
その結果、一つのことに気付きました。

この女性は緊張すると、目をふせてしまいがちなのです。
その結果、「愛想がなく、暗い性格」という印象を与えていたことに気付きました。

この女性は緊張すると、目をふせてしまいうことにより自分を守っていたのです。
けっして「愛想がなく、暗い性格」ではなくて、誤解を与えていただけだったのです。

このように思い込みを、とらえ直してみることは大切です。
大きな誤解に、気付くことも多いのです。

さらには「愛想がなく、暗い性格」という自己イメージを、現実行動とコミュニケーションにより弱める方法もあります。最終的にはその方法により否定的な自己イメージを、くつがえすことも可能です。

この女性の場合は人と話しをするときに、積極的に話に関心を向けるようにしました。
「愛想がなく、暗い性格」の人には、できないことです。

この女性が積極的に話に関心を向けると、相手も積極的に話に関心を向けました。
そこには、楽しい会話が生まれました。

好循環が生まれたのです。
この女性が積極的に話に関心を向けることにより、「愛想がなく、暗い性格」ではないことは確認されました。

多くの場合、積極的に話に関心を向けると会話は活動的なものになります。
いきいきしたものに、変わるのです。

この方法は行動により、否定的な思い込みに気付く方法です。
次に述べる方法は、考え方を前向きにすることにより否定的な思い込みに気付く方法です。

前者は行動により、後者は考え方を前向きにすることにより否定的な思い込みに気付くのです。
後者の考え方を前向きにする方法を、述べます。

神経症の人は現実を、柔軟に考えることができません。
それを、現実を柔軟に考えられるようにチェンジするのです。

その現実を柔軟に考えられるようにチェンジするための柱は、次のことです。
「自分はいいところもあり、悪いところもある」ということです。

この「自分はいいところもあり、悪いところもある」ということを柱に、現実を柔軟に考えられるようにチェンジするのです。

その「自分はいいところもあり、悪いところもある」ということの根底には、「自分は良い人間だ」という暗黙の前提があります。これは大切です。

そこから「自分のミスや人のミスから学べる」が、導き出されます。
その結果、「自分のミスも人のミスも許せる」のです。

「自分はいいところもあり、悪いところもある」→「自分のミスや人のミスから学べる」→「自分のミスも人のミスも許せる」

このようにして現実を柔軟に考える方法は順次、導き出されます。

特に日本人の場合は、「自分のミスも人のミスも許せる」がポイントであることは多いのです。
さらに「自分のミスも人のミスも許せる」ということは、自分も人も許せることに通じます。

この女性の「自分は愛想がなく、暗い性格」という自己像に対して、現実を柔軟に考える方法は適応されました。そうすると、その思い込みから柔軟に抜け出せたのです。

この人は「自分は愛想がなく、暗い性格」という自己像ゆえに、「自分は明るく、楽しい人」でなければいけないと考えていました。それを「自分はいいところもあり、悪いところもある」ということを柱に、現実を柔軟に考えられるようにチェンジしたのです。

そもそも「自分にも他者にもいいところもあり、悪いところもある」のです。
そうであれば、「誰も自分に、完ぺきさを求めていない」ともいえます。

「誰も自分に、完ぺきさを求めていない」ともいえるからこそ、自分も他者も許せるのです。
もっと、気楽にいられるのです。

当然ながら自分も他者も、不完全な人間です。
だから、そのままの自分でいいのです。

このように否定的な思い込みを変えることは、生きることを楽にしていきます。
なおこの人は女性ゆえに、容姿に対しても否定的な思い込みに苦しんでいました。

この容姿に対する否定的な思い込みも、チェンジすべきことがらでした。
そのチェンジにより、この人に大きな変化が起きました。

この人は目じりのほんの少しの、しわを気にしていました。
ほんの少しのしわにより、ご主人から嫌われると考えたのです。

このことからもこの人は、ほんの少しのことがすべてを決めると思いがちであることが分かります。
ほんの少しのしわが、ご主人から嫌われる決定的なことに思えたのです。

日本一の美人でなければ、愛されないのです。
そうすると、日本で一人しか愛されないということになります。

この人はさらに日本一の美人でない自分は、愛されないと考えたのです。
最後は、自分はダメだ愛されないという結論に至ります。

次回に、さらに述べます。

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