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2011年10月01日

神経症の人の「思い込み」 213

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

次回に、さらに述べます。
  

Posted by counselor at 09:43Comments(0)カウンセリング

2011年10月02日

神経症の人の「思い込み」 214

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

次回に、さらに述べます。
  

Posted by counselor at 09:32Comments(0)カウンセリング

2011年10月03日

神経症の人の「思い込み」 215

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

次回に、さらに述べます。
  

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2011年10月04日

神経症の人の「思い込み」 216

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

次回に、さらに述べます。
  

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2011年10月05日

神経症の人の「思い込み」 217

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

次回に、さらに述べます。
  

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2011年10月06日

神経症の人の「思い込み」 218

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

次回に、さらに述べます。
  

Posted by counselor at 10:47Comments(0)カウンセリング

2011年10月07日

神経症の人の「思い込み」 219

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

次回に、さらに述べます。
  

Posted by counselor at 10:12Comments(0)カウンセリング

2011年10月08日

神経症の人の「思い込み」 220

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

次回に、さらに述べます。
  

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2011年10月09日

神経症の人の「思い込み」 221

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

次回に、さらに述べます。
  

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2011年10月10日

神経症の人の「思い込み」 222

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

次回に、さらに述べます。  

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2011年10月11日

神経症の人の「思い込み」 223

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 13:52Comments(0)カウンセリング

2011年10月12日

神経症の人の「思い込み」 224

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 13:31Comments(0)カウンセリング

2011年10月13日

神経症の人の「思い込み」 225

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

次回に、さらに述べます。  

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2011年10月14日

神経症の人の「思い込み」 226

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 13:16Comments(0)カウンセリング

2011年10月15日

神経症の人の「思い込み」 227

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

次回に、さらに述べます。  

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2011年10月16日

神経症の人の「思い込み」 228

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。

次回に、さらに述べます。  

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2011年10月17日

神経症の人の「思い込み」 229

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

次回に、さらに述べます。  

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2011年10月18日

神経症の人の「思い込み」 230

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 13:33Comments(0)カウンセリング

2011年10月19日

神経症の人の「思い込み」 231

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 09:12Comments(0)カウンセリング

2011年10月20日

神経症の人の「思い込み」 232

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 10:42Comments(0)カウンセリング

2011年10月21日

神経症の人の「思い込み」 233

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 09:26Comments(0)カウンセリング

2011年10月22日

神経症の人の「思い込み」 234

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

次回に、さらに述べます。  

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2011年10月23日

神経症の人の「思い込み」 235

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 14:55Comments(0)カウンセリング

2011年10月24日

神経症の人の「思い込み」 236

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

次回に、さらに述べます。  

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2011年10月25日

神経症の人の「思い込み」 237

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 11:08Comments(0)カウンセリング

2011年10月26日

神経症の人の「思い込み」 238

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

次回に、さらに述べます。  

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2011年10月27日

神経症の人の「思い込み」 239

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 13:24Comments(0)カウンセリング

2011年10月27日

神経症の人の「思い込み」 240

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

次回に、さらに述べます。  

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2011年10月29日

神経症の人の「思い込み」 241

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような、神経症の人の「思い込み」について述べます。

  

Posted by counselor at 08:27Comments(0)カウンセリング

2011年10月30日

神経症の人の「思い込み」 242

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 10:56Comments(0)カウンセリング