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2012年01月01日

神経症の人の「思い込み」 305

明けましておめでとうございます

お知らせ お正月は多くの相談施設は、お休みです。そのためにお困りの人に対して、当相談室ではお正月の無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。なお今まで通り東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 09:52Comments(0)カウンセリング

2012年01月02日

神経症の人の「思い込み」 306

お知らせ お正月は多くの相談施設は、お休みです。そのためにお困りの人に対して、当相談室ではお正月の無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。なお今まで通り東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

野球でも内野手がミスをしたら、他の内野手はカバーします。
このように、「失敗したら、次に何をするか」ということまで視野に入れておくのです。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 15:44Comments(0)カウンセリング

2012年01月03日

神経症の人の「思い込み」 307

お知らせ お正月は多くの相談施設は、お休みです。そのためにお困りの人に対して、当相談室ではお正月の無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。なお今まで通り東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

野球でも内野手がミスをしたら、他の内野手はカバーします。
このように、「失敗したら、次に何をするか」ということまで視野に入れておくのです。

そうすれば「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えに、支配されなくなります。
その考えに支配されてしまうのは、「失敗したら、次に何をするか」ということの不在によります。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 13:41Comments(0)カウンセリング

2012年01月04日

神経症の人の「思い込み」 308

お知らせ お正月ぐらいのときは、多くの相談施設はお休みです。そのためにお困りの人に対して、当相談室ではお正月の無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。なお今まで通り東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

野球でも内野手がミスをしたら、他の内野手はカバーします。
このように、「失敗したら、次に何をするか」ということまで視野に入れておくのです。

そうすれば「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えに、支配されなくなります。
その考えに支配されてしまうのは、「失敗したら、次に何をするか」ということの不在によります。

そうやって、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることを学習すればいいのです。
そうすれば、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考える必要もありません。

次回に、さらに述べます。  

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2012年01月05日

神経症の人の「思い込み」 309

お知らせ お正月ぐらいのときは、多くの相談施設はお休みです。そのためにお困りの人に対して、当相談室ではお正月の無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。なお今まで通り東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

野球でも内野手がミスをしたら、他の内野手はカバーします。
このように、「失敗したら、次に何をするか」ということまで視野に入れておくのです。

そうすれば「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えに、支配されなくなります。
その考えに支配されてしまうのは、「失敗したら、次に何をするか」ということの不在によります。

そうやって、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることを学習すればいいのです。
そうすれば、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考える必要もありません。

お正月に、初詣に出かけるとします。
その時に電車が不通の場合は、行き先を変えてもいいのです。

次回に、さらに述べます。  

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2012年01月06日

神経症の人の「思い込み」 310

お知らせ お正月ぐらいのときは、多くの相談施設はお休みです。そのためにお困りの人に対して、当相談室ではお正月の無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。なお今まで通り東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

野球でも内野手がミスをしたら、他の内野手はカバーします。
このように、「失敗したら、次に何をするか」ということまで視野に入れておくのです。

そうすれば「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えに、支配されなくなります。
その考えに支配されてしまうのは、「失敗したら、次に何をするか」ということの不在によります。

そうやって、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることを学習すればいいのです。
そうすれば、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考える必要もありません。

お正月に、初詣に出かけるとします。
その時に電車が不通の場合は、行き先を変えてもいいのです。

そうすれば電車が不通の場合でも、柔軟に対応できます。
行き先を変えて、かえって良かったことも多いのです。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 13:36Comments(0)カウンセリング

2012年01月07日

神経症の人の「思い込み」 311

お知らせ お正月ぐらいのときは、多くの相談施設はお休みです。そのためにお困りの人に対して、当相談室ではお正月の無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。なお今まで通り東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

野球でも内野手がミスをしたら、他の内野手はカバーします。
このように、「失敗したら、次に何をするか」ということまで視野に入れておくのです。

そうすれば「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えに、支配されなくなります。
その考えに支配されてしまうのは、「失敗したら、次に何をするか」ということの不在によります。

そうやって、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることを学習すればいいのです。
そうすれば、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考える必要もありません。

お正月に、初詣に出かけるとします。
その時に電車が不通の場合は、行き先を変えてもいいのです。

そうすれば電車が不通の場合でも、柔軟に対応できます。
行き先を変えて、かえって良かったことも多いのです。

このように、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることこそが、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを真に正すことです。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 13:34Comments(0)カウンセリング

2012年01月08日

神経症の人の「思い込み」 312

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

野球でも内野手がミスをしたら、他の内野手はカバーします。
このように、「失敗したら、次に何をするか」ということまで視野に入れておくのです。

そうすれば「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えに、支配されなくなります。
その考えに支配されてしまうのは、「失敗したら、次に何をするか」ということの不在によります。

そうやって、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることを学習すればいいのです。
そうすれば、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考える必要もありません。

お正月に、初詣に出かけるとします。
その時に電車が不通の場合は、行き先を変えてもいいのです。

そうすれば電車が不通の場合でも、柔軟に対応できます。
行き先を変えて、かえって良かったことも多いのです。

このように、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることこそが、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを真に正すことです。

その改善は、こころの不自由さからの解放です。
この不自由さからの解放こそが、ポイントです。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 15:10Comments(0)カウンセリング

2012年01月09日

神経症の人の「思い込み」 313

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

野球でも内野手がミスをしたら、他の内野手はカバーします。
このように、「失敗したら、次に何をするか」ということまで視野に入れておくのです。

そうすれば「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えに、支配されなくなります。
その考えに支配されてしまうのは、「失敗したら、次に何をするか」ということの不在によります。

そうやって、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることを学習すればいいのです。
そうすれば、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考える必要もありません。

お正月に、初詣に出かけるとします。
その時に電車が不通の場合は、行き先を変えてもいいのです。

そうすれば電車が不通の場合でも、柔軟に対応できます。
行き先を変えて、かえって良かったことも多いのです。

このように、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることこそが、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを真に正すことです。

その改善は、こころの不自由さからの解放です。
この不自由さからの解放こそが、ポイントです。

神経症、ノイローゼからの解放はこころの不自由さからの解放です。
この不自由さは、自分自身を拘束するものです。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 14:31Comments(0)カウンセリング

2012年01月10日

神経症の人の「思い込み」 314

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

野球でも内野手がミスをしたら、他の内野手はカバーします。
このように、「失敗したら、次に何をするか」ということまで視野に入れておくのです。

そうすれば「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えに、支配されなくなります。
その考えに支配されてしまうのは、「失敗したら、次に何をするか」ということの不在によります。

そうやって、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることを学習すればいいのです。
そうすれば、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考える必要もありません。

お正月に、初詣に出かけるとします。
その時に電車が不通の場合は、行き先を変えてもいいのです。

そうすれば電車が不通の場合でも、柔軟に対応できます。
行き先を変えて、かえって良かったことも多いのです。

このように、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることこそが、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを真に正すことです。

その改善は、こころの不自由さからの解放です。
この不自由さからの解放こそが、ポイントです。

神経症、ノイローゼからの解放はこころの不自由さからの解放です。
この不自由さは、自分自身を拘束するものです。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
歪んだ思い込みを変えていくには、「失敗しても、やらないよりはいい」と考えることも大切です。

次回に、さらに述べます。  

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2012年01月11日

神経症の人の「思い込み」 315

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

野球でも内野手がミスをしたら、他の内野手はカバーします。
このように、「失敗したら、次に何をするか」ということまで視野に入れておくのです。

そうすれば「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えに、支配されなくなります。
その考えに支配されてしまうのは、「失敗したら、次に何をするか」ということの不在によります。

そうやって、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることを学習すればいいのです。
そうすれば、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考える必要もありません。

お正月に、初詣に出かけるとします。
その時に電車が不通の場合は、行き先を変えてもいいのです。

そうすれば電車が不通の場合でも、柔軟に対応できます。
行き先を変えて、かえって良かったことも多いのです。

このように、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることこそが、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを真に正すことです。

その改善は、こころの不自由さからの解放です。
この不自由さからの解放こそが、ポイントです。

神経症、ノイローゼからの解放はこころの不自由さからの解放です。
この不自由さは、自分自身を拘束するものです。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
歪んだ思い込みを変えていくには、「失敗しても、やらないよりはいい」と考えることも大切です。

スタートする前から「もうダメだ」と考えることは、それだけで失敗です。
それに成功、失敗は本質的なものともいえません。

次回に、さらに述べます。  

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2012年01月12日

神経症の人の「思い込み」 316

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

野球でも内野手がミスをしたら、他の内野手はカバーします。
このように、「失敗したら、次に何をするか」ということまで視野に入れておくのです。

そうすれば「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えに、支配されなくなります。
その考えに支配されてしまうのは、「失敗したら、次に何をするか」ということの不在によります。

そうやって、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることを学習すればいいのです。
そうすれば、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考える必要もありません。

お正月に、初詣に出かけるとします。
その時に電車が不通の場合は、行き先を変えてもいいのです。

そうすれば電車が不通の場合でも、柔軟に対応できます。
行き先を変えて、かえって良かったことも多いのです。

このように、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることこそが、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを真に正すことです。

その改善は、こころの不自由さからの解放です。
この不自由さからの解放こそが、ポイントです。

神経症、ノイローゼからの解放はこころの不自由さからの解放です。
この不自由さは、自分自身を拘束するものです。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
歪んだ思い込みを変えていくには、「失敗しても、やらないよりはいい」と考えることも大切です。

スタートする前から「もうダメだ」と考えることは、それだけで失敗です。
それに成功、失敗は本質的なものともいえません。

クーベルタンの言うように「オリンピックは参加することに意味がある」であり、「人生は努力することに意味がある」のです。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 13:50Comments(0)カウンセリング

2012年01月13日

神経症の人の「思い込み」 317

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

野球でも内野手がミスをしたら、他の内野手はカバーします。
このように、「失敗したら、次に何をするか」ということまで視野に入れておくのです。

そうすれば「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えに、支配されなくなります。
その考えに支配されてしまうのは、「失敗したら、次に何をするか」ということの不在によります。

そうやって、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることを学習すればいいのです。
そうすれば、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考える必要もありません。

お正月に、初詣に出かけるとします。
その時に電車が不通の場合は、行き先を変えてもいいのです。

そうすれば電車が不通の場合でも、柔軟に対応できます。
行き先を変えて、かえって良かったことも多いのです。

このように、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることこそが、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを真に正すことです。

その改善は、こころの不自由さからの解放です。
この不自由さからの解放こそが、ポイントです。

神経症、ノイローゼからの解放はこころの不自由さからの解放です。
この不自由さは、自分自身を拘束するものです。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
歪んだ思い込みを変えていくには、「失敗しても、やらないよりはいい」と考えることも大切です。

スタートする前から「もうダメだ」と考えることは、それだけで失敗です。
それに成功、失敗は本質的なものともいえません。

クーベルタンの言うように「オリンピックは参加することに意味がある」であり、「人生は努力することに意味がある」のです。

そう考えれば、将来に不安を抱くこともありません。
さらに過去に、苦しむこともありません。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 13:19Comments(0)カウンセリング

2012年01月14日

神経症の人の「思い込み」 318

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

野球でも内野手がミスをしたら、他の内野手はカバーします。
このように、「失敗したら、次に何をするか」ということまで視野に入れておくのです。

そうすれば「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えに、支配されなくなります。
その考えに支配されてしまうのは、「失敗したら、次に何をするか」ということの不在によります。

そうやって、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることを学習すればいいのです。
そうすれば、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考える必要もありません。

お正月に、初詣に出かけるとします。
その時に電車が不通の場合は、行き先を変えてもいいのです。

そうすれば電車が不通の場合でも、柔軟に対応できます。
行き先を変えて、かえって良かったことも多いのです。

このように、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることこそが、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを真に正すことです。

その改善は、こころの不自由さからの解放です。
この不自由さからの解放こそが、ポイントです。

神経症、ノイローゼからの解放はこころの不自由さからの解放です。
この不自由さは、自分自身を拘束するものです。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
歪んだ思い込みを変えていくには、「失敗しても、やらないよりはいい」と考えることも大切です。

スタートする前から「もうダメだ」と考えることは、それだけで失敗です。
それに成功、失敗は本質的なものともいえません。

クーベルタンの言うように「オリンピックは参加することに意味がある」であり、「人生は努力することに意味がある」のです。

そう考えれば、将来に不安を抱くこともありません。
さらに過去に、苦しむこともありません。

このような人の歪んだ思い込みを変えていくために、「行動記録法」があります。
この方法は、歪んだ思い込みを変えていくのに有効です。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 13:26Comments(0)カウンセリング

2012年01月15日

神経症の人の「思い込み」 319

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

野球でも内野手がミスをしたら、他の内野手はカバーします。
このように、「失敗したら、次に何をするか」ということまで視野に入れておくのです。

そうすれば「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えに、支配されなくなります。
その考えに支配されてしまうのは、「失敗したら、次に何をするか」ということの不在によります。

そうやって、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることを学習すればいいのです。
そうすれば、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考える必要もありません。

お正月に、初詣に出かけるとします。
その時に電車が不通の場合は、行き先を変えてもいいのです。

そうすれば電車が不通の場合でも、柔軟に対応できます。
行き先を変えて、かえって良かったことも多いのです。

このように、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることこそが、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを真に正すことです。

その改善は、こころの不自由さからの解放です。
この不自由さからの解放こそが、ポイントです。

神経症、ノイローゼからの解放はこころの不自由さからの解放です。
この不自由さは、自分自身を拘束するものです。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
歪んだ思い込みを変えていくには、「失敗しても、やらないよりはいい」と考えることも大切です。

スタートする前から「もうダメだ」と考えることは、それだけで失敗です。
それに成功、失敗は本質的なものともいえません。

クーベルタンの言うように「オリンピックは参加することに意味がある」であり、「人生は努力することに意味がある」のです。

そう考えれば、将来に不安を抱くこともありません。
さらに過去に、苦しむこともありません。

このような人の歪んだ思い込みを変えていくために、「行動記録法」があります。
この方法は、歪んだ思い込みを変えていくのに有効です。

その「行動記録法」は読んで字のごとく、1時間ごとに「行動」を「記録」する「方法」です。
その行動ごとに「喜び」と、「習熟度」を自己評価するのです。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 14:58Comments(0)カウンセリング

2012年01月16日

神経症の人の「思い込み」 320

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

野球でも内野手がミスをしたら、他の内野手はカバーします。
このように、「失敗したら、次に何をするか」ということまで視野に入れておくのです。

そうすれば「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えに、支配されなくなります。
その考えに支配されてしまうのは、「失敗したら、次に何をするか」ということの不在によります。

そうやって、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることを学習すればいいのです。
そうすれば、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考える必要もありません。

お正月に、初詣に出かけるとします。
その時に電車が不通の場合は、行き先を変えてもいいのです。

そうすれば電車が不通の場合でも、柔軟に対応できます。
行き先を変えて、かえって良かったことも多いのです。

このように、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることこそが、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを真に正すことです。

その改善は、こころの不自由さからの解放です。
この不自由さからの解放こそが、ポイントです。

神経症、ノイローゼからの解放はこころの不自由さからの解放です。
この不自由さは、自分自身を拘束するものです。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
歪んだ思い込みを変えていくには、「失敗しても、やらないよりはいい」と考えることも大切です。

スタートする前から「もうダメだ」と考えることは、それだけで失敗です。
それに成功、失敗は本質的なものともいえません。

クーベルタンの言うように「オリンピックは参加することに意味がある」であり、「人生は努力することに意味がある」のです。

そう考えれば、将来に不安を抱くこともありません。
さらに過去に、苦しむこともありません。

このような人の歪んだ思い込みを変えていくために、「行動記録法」があります。
この方法は、歪んだ思い込みを変えていくのに有効です。

その「行動記録法」は読んで字のごとく、1時間ごとに「行動」を「記録」する「方法」です。
その行動ごとに「喜び」と、「習熟度」を自己評価するのです。

多くの神経症、ノイローゼの人は行動する前で立ち止まっているのです。
行動する前に、とどまっているのです。

次回に、さらに述べます。  

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2012年01月17日

神経症の人の「思い込み」 321

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

野球でも内野手がミスをしたら、他の内野手はカバーします。
このように、「失敗したら、次に何をするか」ということまで視野に入れておくのです。

そうすれば「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えに、支配されなくなります。
その考えに支配されてしまうのは、「失敗したら、次に何をするか」ということの不在によります。

そうやって、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることを学習すればいいのです。
そうすれば、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考える必要もありません。

お正月に、初詣に出かけるとします。
その時に電車が不通の場合は、行き先を変えてもいいのです。

そうすれば電車が不通の場合でも、柔軟に対応できます。
行き先を変えて、かえって良かったことも多いのです。

このように、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることこそが、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを真に正すことです。

その改善は、こころの不自由さからの解放です。
この不自由さからの解放こそが、ポイントです。

神経症、ノイローゼからの解放はこころの不自由さからの解放です。
この不自由さは、自分自身を拘束するものです。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
歪んだ思い込みを変えていくには、「失敗しても、やらないよりはいい」と考えることも大切です。

スタートする前から「もうダメだ」と考えることは、それだけで失敗です。
それに成功、失敗は本質的なものともいえません。

クーベルタンの言うように「オリンピックは参加することに意味がある」であり、「人生は努力することに意味がある」のです。

そう考えれば、将来に不安を抱くこともありません。
さらに過去に、苦しむこともありません。

このような人の歪んだ思い込みを変えていくために、「行動記録法」があります。
この方法は、歪んだ思い込みを変えていくのに有効です。

その「行動記録法」は読んで字のごとく、1時間ごとに「行動」を「記録」する「方法」です。
その行動ごとに「喜び」と、「習熟度」を自己評価するのです。

多くの神経症、ノイローゼの人は行動する前で立ち止まっているのです。
行動する前に、とどまっているのです。

広い意味では『浦島太郎』に、なってしまいます。
イメージの中で、ものごとは起きています。しかし、現実にはまったく何もできません。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 13:32Comments(0)カウンセリング

2012年01月18日

神経症の人の「思い込み」 322

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

野球でも内野手がミスをしたら、他の内野手はカバーします。
このように、「失敗したら、次に何をするか」ということまで視野に入れておくのです。

そうすれば「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えに、支配されなくなります。
その考えに支配されてしまうのは、「失敗したら、次に何をするか」ということの不在によります。

そうやって、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることを学習すればいいのです。
そうすれば、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考える必要もありません。

お正月に、初詣に出かけるとします。
その時に電車が不通の場合は、行き先を変えてもいいのです。

そうすれば電車が不通の場合でも、柔軟に対応できます。
行き先を変えて、かえって良かったことも多いのです。

このように、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることこそが、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを真に正すことです。

その改善は、こころの不自由さからの解放です。
この不自由さからの解放こそが、ポイントです。

神経症、ノイローゼからの解放はこころの不自由さからの解放です。
この不自由さは、自分自身を拘束するものです。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
歪んだ思い込みを変えていくには、「失敗しても、やらないよりはいい」と考えることも大切です。

スタートする前から「もうダメだ」と考えることは、それだけで失敗です。
それに成功、失敗は本質的なものともいえません。

クーベルタンの言うように「オリンピックは参加することに意味がある」であり、「人生は努力することに意味がある」のです。

そう考えれば、将来に不安を抱くこともありません。
さらに過去に、苦しむこともありません。

このような人の歪んだ思い込みを変えていくために、「行動記録法」があります。
この方法は、歪んだ思い込みを変えていくのに有効です。

その「行動記録法」は読んで字のごとく、1時間ごとに「行動」を「記録」する「方法」です。
その行動ごとに「喜び」と、「習熟度」を自己評価するのです。

多くの神経症、ノイローゼの人は行動する前で立ち止まっているのです。
行動する前に、とどまっているのです。

広い意味では『浦島太郎』に、なってしまいます。
イメージの中で、ものごとは起きています。しかし、現実にはまったく何もできません。

しかしより正確には神経症、ノイローゼの人は『浦島太郎』の逆になってしまいます。
『浦島太郎』は、楽しい思い出の中にいました。神経症、ノイローゼの人はその逆です。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 13:42Comments(0)カウンセリング

2012年01月19日

神経症の人の「思い込み」 323

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

野球でも内野手がミスをしたら、他の内野手はカバーします。
このように、「失敗したら、次に何をするか」ということまで視野に入れておくのです。

そうすれば「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えに、支配されなくなります。
その考えに支配されてしまうのは、「失敗したら、次に何をするか」ということの不在によります。

そうやって、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることを学習すればいいのです。
そうすれば、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考える必要もありません。

お正月に、初詣に出かけるとします。
その時に電車が不通の場合は、行き先を変えてもいいのです。

そうすれば電車が不通の場合でも、柔軟に対応できます。
行き先を変えて、かえって良かったことも多いのです。

このように、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることこそが、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを真に正すことです。

その改善は、こころの不自由さからの解放です。
この不自由さからの解放こそが、ポイントです。

神経症、ノイローゼからの解放はこころの不自由さからの解放です。
この不自由さは、自分自身を拘束するものです。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
歪んだ思い込みを変えていくには、「失敗しても、やらないよりはいい」と考えることも大切です。

スタートする前から「もうダメだ」と考えることは、それだけで失敗です。
それに成功、失敗は本質的なものともいえません。

クーベルタンの言うように「オリンピックは参加することに意味がある」であり、「人生は努力することに意味がある」のです。

そう考えれば、将来に不安を抱くこともありません。
さらに過去に、苦しむこともありません。

このような人の歪んだ思い込みを変えていくために、「行動記録法」があります。
この方法は、歪んだ思い込みを変えていくのに有効です。

その「行動記録法」は読んで字のごとく、1時間ごとに「行動」を「記録」する「方法」です。
その行動ごとに「喜び」と、「習熟度」を自己評価するのです。

多くの神経症、ノイローゼの人は行動する前で立ち止まっているのです。
行動する前に、とどまっているのです。

広い意味では『浦島太郎』に、なってしまいます。
イメージの中で、ものごとは起きています。しかし、現実にはまったく何もできません。

しかしより正確には神経症、ノイローゼの人は『浦島太郎』の逆になってしまいます。
『浦島太郎』は、楽しい思い出の中にいました。神経症、ノイローゼの人はその逆です。

ある人は「行動記録法」により、生活の「喜び」をとり戻しました。
この人は先ず「行動記録法」で、自分自身が「行動」しないでいることに気付きました。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 13:11Comments(0)カウンセリング

2012年01月20日

神経症の人の「思い込み」 324

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

野球でも内野手がミスをしたら、他の内野手はカバーします。
このように、「失敗したら、次に何をするか」ということまで視野に入れておくのです。

そうすれば「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えに、支配されなくなります。
その考えに支配されてしまうのは、「失敗したら、次に何をするか」ということの不在によります。

そうやって、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることを学習すればいいのです。
そうすれば、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考える必要もありません。

お正月に、初詣に出かけるとします。
その時に電車が不通の場合は、行き先を変えてもいいのです。

そうすれば電車が不通の場合でも、柔軟に対応できます。
行き先を変えて、かえって良かったことも多いのです。

このように、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることこそが、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを真に正すことです。

その改善は、こころの不自由さからの解放です。
この不自由さからの解放こそが、ポイントです。

神経症、ノイローゼからの解放はこころの不自由さからの解放です。
この不自由さは、自分自身を拘束するものです。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
歪んだ思い込みを変えていくには、「失敗しても、やらないよりはいい」と考えることも大切です。

スタートする前から「もうダメだ」と考えることは、それだけで失敗です。
それに成功、失敗は本質的なものともいえません。

クーベルタンの言うように「オリンピックは参加することに意味がある」であり、「人生は努力することに意味がある」のです。

そう考えれば、将来に不安を抱くこともありません。
さらに過去に、苦しむこともありません。

このような人の歪んだ思い込みを変えていくために、「行動記録法」があります。
この方法は、歪んだ思い込みを変えていくのに有効です。

その「行動記録法」は読んで字のごとく、1時間ごとに「行動」を「記録」する「方法」です。
その行動ごとに「喜び」と、「習熟度」を自己評価するのです。

多くの神経症、ノイローゼの人は行動する前で立ち止まっているのです。
行動する前に、とどまっているのです。

広い意味では『浦島太郎』に、なってしまいます。
イメージの中で、ものごとは起きています。しかし、現実にはまったく何もできません。

しかしより正確には神経症、ノイローゼの人は『浦島太郎』の逆になってしまいます。
『浦島太郎』は、楽しい思い出の中にいました。神経症、ノイローゼの人はその逆です。

ある人は「行動記録法」により、生活の「喜び」をとり戻しました。
この人は先ず「行動記録法」で、自分自身が「行動」しないでいることに気付きました。

神経症、ノイローゼの人はイメージは、活動しています。
しかし現実は、まったく何もしていません。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 13:07Comments(0)カウンセリング

2012年01月21日

神経症の人の「思い込み」 325

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

野球でも内野手がミスをしたら、他の内野手はカバーします。
このように、「失敗したら、次に何をするか」ということまで視野に入れておくのです。

そうすれば「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えに、支配されなくなります。
その考えに支配されてしまうのは、「失敗したら、次に何をするか」ということの不在によります。

そうやって、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることを学習すればいいのです。
そうすれば、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考える必要もありません。

お正月に、初詣に出かけるとします。
その時に電車が不通の場合は、行き先を変えてもいいのです。

そうすれば電車が不通の場合でも、柔軟に対応できます。
行き先を変えて、かえって良かったことも多いのです。

このように、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることこそが、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを真に正すことです。

その改善は、こころの不自由さからの解放です。
この不自由さからの解放こそが、ポイントです。

神経症、ノイローゼからの解放はこころの不自由さからの解放です。
この不自由さは、自分自身を拘束するものです。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
歪んだ思い込みを変えていくには、「失敗しても、やらないよりはいい」と考えることも大切です。

スタートする前から「もうダメだ」と考えることは、それだけで失敗です。
それに成功、失敗は本質的なものともいえません。

クーベルタンの言うように「オリンピックは参加することに意味がある」であり、「人生は努力することに意味がある」のです。

そう考えれば、将来に不安を抱くこともありません。
さらに過去に、苦しむこともありません。

このような人の歪んだ思い込みを変えていくために、「行動記録法」があります。
この方法は、歪んだ思い込みを変えていくのに有効です。

その「行動記録法」は読んで字のごとく、1時間ごとに「行動」を「記録」する「方法」です。
その行動ごとに「喜び」と、「習熟度」を自己評価するのです。

多くの神経症、ノイローゼの人は行動する前で立ち止まっているのです。
行動する前に、とどまっているのです。

広い意味では『浦島太郎』に、なってしまいます。
イメージの中で、ものごとは起きています。しかし、現実にはまったく何もできません。

しかしより正確には神経症、ノイローゼの人は『浦島太郎』の逆になってしまいます。
『浦島太郎』は、楽しい思い出の中にいました。神経症、ノイローゼの人はその逆です。

ある人は「行動記録法」により、生活の「喜び」をとり戻しました。
この人は先ず「行動記録法」で、自分自身が「行動」しないでいることに気付きました。

神経症、ノイローゼの人はイメージは、活動しています。
しかし現実は、まったく何もしていません。

そこで自分が「行動」しないでいることの気付きから、生活を見直してみたのです。
その結果、先ず「行動」することにしました。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 14:20Comments(0)カウンセリング

2012年01月22日

神経症の人の「思い込み」 326

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

野球でも内野手がミスをしたら、他の内野手はカバーします。
このように、「失敗したら、次に何をするか」ということまで視野に入れておくのです。

そうすれば「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えに、支配されなくなります。
その考えに支配されてしまうのは、「失敗したら、次に何をするか」ということの不在によります。

そうやって、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることを学習すればいいのです。
そうすれば、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考える必要もありません。

お正月に、初詣に出かけるとします。
その時に電車が不通の場合は、行き先を変えてもいいのです。

そうすれば電車が不通の場合でも、柔軟に対応できます。
行き先を変えて、かえって良かったことも多いのです。

このように、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることこそが、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを真に正すことです。

その改善は、こころの不自由さからの解放です。
この不自由さからの解放こそが、ポイントです。

神経症、ノイローゼからの解放はこころの不自由さからの解放です。
この不自由さは、自分自身を拘束するものです。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
歪んだ思い込みを変えていくには、「失敗しても、やらないよりはいい」と考えることも大切です。

スタートする前から「もうダメだ」と考えることは、それだけで失敗です。
それに成功、失敗は本質的なものともいえません。

クーベルタンの言うように「オリンピックは参加することに意味がある」であり、「人生は努力することに意味がある」のです。

そう考えれば、将来に不安を抱くこともありません。
さらに過去に、苦しむこともありません。

このような人の歪んだ思い込みを変えていくために、「行動記録法」があります。
この方法は、歪んだ思い込みを変えていくのに有効です。

その「行動記録法」は読んで字のごとく、1時間ごとに「行動」を「記録」する「方法」です。
その行動ごとに「喜び」と、「習熟度」を自己評価するのです。

多くの神経症、ノイローゼの人は行動する前で立ち止まっているのです。
行動する前に、とどまっているのです。

広い意味では『浦島太郎』に、なってしまいます。
イメージの中で、ものごとは起きています。しかし、現実にはまったく何もできません。

しかしより正確には神経症、ノイローゼの人は『浦島太郎』の逆になってしまいます。
『浦島太郎』は、楽しい思い出の中にいました。神経症、ノイローゼの人はその逆です。

ある人は「行動記録法」により、生活の「喜び」をとり戻しました。
この人は先ず「行動記録法」で、自分自身が「行動」しないでいることに気付きました。

神経症、ノイローゼの人はイメージは、活動しています。
しかし現実は、まったく何もしていません。

そこで自分が「行動」しないでいることの気付きから、生活を見直してみたのです。
その結果、先ず「行動」することにしました。

自分が「行動」してみれば、新たに生活を発見します。
それは、「案ずるよりは生むが易し」ということです。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 10:31Comments(0)カウンセリング

2012年01月23日

神経症の人の「思い込み」 327

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

野球でも内野手がミスをしたら、他の内野手はカバーします。
このように、「失敗したら、次に何をするか」ということまで視野に入れておくのです。

そうすれば「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えに、支配されなくなります。
その考えに支配されてしまうのは、「失敗したら、次に何をするか」ということの不在によります。

そうやって、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることを学習すればいいのです。
そうすれば、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考える必要もありません。

お正月に、初詣に出かけるとします。
その時に電車が不通の場合は、行き先を変えてもいいのです。

そうすれば電車が不通の場合でも、柔軟に対応できます。
行き先を変えて、かえって良かったことも多いのです。

このように、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることこそが、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを真に正すことです。

その改善は、こころの不自由さからの解放です。
この不自由さからの解放こそが、ポイントです。

神経症、ノイローゼからの解放はこころの不自由さからの解放です。
この不自由さは、自分自身を拘束するものです。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
歪んだ思い込みを変えていくには、「失敗しても、やらないよりはいい」と考えることも大切です。

スタートする前から「もうダメだ」と考えることは、それだけで失敗です。
それに成功、失敗は本質的なものともいえません。

クーベルタンの言うように「オリンピックは参加することに意味がある」であり、「人生は努力することに意味がある」のです。

そう考えれば、将来に不安を抱くこともありません。
さらに過去に、苦しむこともありません。

このような人の歪んだ思い込みを変えていくために、「行動記録法」があります。
この方法は、歪んだ思い込みを変えていくのに有効です。

その「行動記録法」は読んで字のごとく、1時間ごとに「行動」を「記録」する「方法」です。
その行動ごとに「喜び」と、「習熟度」を自己評価するのです。

多くの神経症、ノイローゼの人は行動する前で立ち止まっているのです。
行動する前に、とどまっているのです。

広い意味では『浦島太郎』に、なってしまいます。
イメージの中で、ものごとは起きています。しかし、現実にはまったく何もできません。

しかしより正確には神経症、ノイローゼの人は『浦島太郎』の逆になってしまいます。
『浦島太郎』は、楽しい思い出の中にいました。神経症、ノイローゼの人はその逆です。

ある人は「行動記録法」により、生活の「喜び」をとり戻しました。
この人は先ず「行動記録法」で、自分自身が「行動」しないでいることに気付きました。

神経症、ノイローゼの人はイメージは、活動しています。
しかし現実は、まったく何もしていません。

そこで自分が「行動」しないでいることの気付きから、生活を見直してみたのです。
その結果、先ず「行動」することにしました。

自分が「行動」してみれば、新たに生活を発見します。
それは、「案ずるよりは生むが易し」ということです。

そうすると、新たな気付きが生まれます。
それは、「行動することは楽しい」ということです。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 13:15Comments(0)カウンセリング

2012年01月24日

神経症の人の「思い込み」 328

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

野球でも内野手がミスをしたら、他の内野手はカバーします。
このように、「失敗したら、次に何をするか」ということまで視野に入れておくのです。

そうすれば「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えに、支配されなくなります。
その考えに支配されてしまうのは、「失敗したら、次に何をするか」ということの不在によります。

そうやって、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることを学習すればいいのです。
そうすれば、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考える必要もありません。

お正月に、初詣に出かけるとします。
その時に電車が不通の場合は、行き先を変えてもいいのです。

そうすれば電車が不通の場合でも、柔軟に対応できます。
行き先を変えて、かえって良かったことも多いのです。

このように、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることこそが、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを真に正すことです。

その改善は、こころの不自由さからの解放です。
この不自由さからの解放こそが、ポイントです。

神経症、ノイローゼからの解放はこころの不自由さからの解放です。
この不自由さは、自分自身を拘束するものです。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
歪んだ思い込みを変えていくには、「失敗しても、やらないよりはいい」と考えることも大切です。

スタートする前から「もうダメだ」と考えることは、それだけで失敗です。
それに成功、失敗は本質的なものともいえません。

クーベルタンの言うように「オリンピックは参加することに意味がある」であり、「人生は努力することに意味がある」のです。

そう考えれば、将来に不安を抱くこともありません。
さらに過去に、苦しむこともありません。

このような人の歪んだ思い込みを変えていくために、「行動記録法」があります。
この方法は、歪んだ思い込みを変えていくのに有効です。

その「行動記録法」は読んで字のごとく、1時間ごとに「行動」を「記録」する「方法」です。
その行動ごとに「喜び」と、「習熟度」を自己評価するのです。

多くの神経症、ノイローゼの人は行動する前で立ち止まっているのです。
行動する前に、とどまっているのです。

広い意味では『浦島太郎』に、なってしまいます。
イメージの中で、ものごとは起きています。しかし、現実にはまったく何もできません。

しかしより正確には神経症、ノイローゼの人は『浦島太郎』の逆になってしまいます。
『浦島太郎』は、楽しい思い出の中にいました。神経症、ノイローゼの人はその逆です。

ある人は「行動記録法」により、生活の「喜び」をとり戻しました。
この人は先ず「行動記録法」で、自分自身が「行動」しないでいることに気付きました。

神経症、ノイローゼの人はイメージは、活動しています。
しかし現実は、まったく何もしていません。

そこで自分が「行動」しないでいることの気付きから、生活を見直してみたのです。
その結果、先ず「行動」することにしました。

自分が「行動」してみれば、新たに生活を発見します。
それは、「案ずるよりは生むが易し」ということです。

そうすると、新たな気付きが生まれます。
それは、「行動することは楽しい」ということです。

このようにして、引っ込み思案の人から行動を引き出します。
そしてそれは、自然に起きます。

次回に、さらに述べます。  

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2012年01月25日

神経症の人の「思い込み」 329

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたのです。

この高校生は「お笑い大会」での優勝を目的に、ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
だがしかし、この優勝を目的にすること自体が適切でしょうか?

そもそも高校生の「お笑い大会」ですから、楽しく行えばそれでいいのかもしれません。
それに優勝は、あくまでも結果です。

結論は内容が大切であることには、プロもアマもありません。
これこそが、かんじん要のことです。

この高校生は、かんじん要のことを横に置いてしまったのです。
そしてそれが、「目標そのものは適切であったか?」と考えてみたときに現れた答えです。

このように失意にある人は、自分を迷路に入れがちです。
それが最大のミスです。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

その結果、現実は常にマラソンレースになりがちです。
自分が、常にマラソンを走っているのです。これは、疲れます。

『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えれば、少しのミスも許されません。
ほんの少しのミスも、将棋倒しの切っ掛けになります。

おもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

そのために最初のハードルから、倒してしまいます。
自分も、倒れてしまいます。

ここから将棋倒しも、始まります。
すべてのハードルは、こころの中で倒れています。

本当は最初のハードルだけが、倒れているだけです。
しかしすべてのハードルは、こころの中で倒れているのです。

そのこころの中で倒れている最初のハードルが、事実になります。
それゆえにすべてのハードルも、倒れているのです。

事実は最初のハードルだけが倒れていても、すべてのハードルはこころの中で倒れます。
カウンセリングの目的はこころの中でも、倒れているのは最初のハードルのみであると認知することにあります。

このようなこころの中の否定的な思い込みの修正は、とても意味深いものです。
それは否定的な思い込みは、その人の全人格にも及んでいるからです。

このように自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考える人に、適切な解決方法があります。それはその日に自分のしたこと、ただその事実だけをノートに書く方法です。

そこに評価は、まったくありません。
その日に自分のした、その事実だけがあります。

その事実だけ書かれたノートを見れば、気付くことがあります。
それは評価なしでも、ものごとは行えるということです。

この人の『すべてを、完ぺきにしなければいけない』という考えは、すべて評価だという考えと表裏一体なのです。

逆に言えば、すべて評価だから『すべてを、完ぺきにしなければいけない』となるのです。
この表裏一体の考え方そのものを、くつがえすことこそが大切です。

そのために、その日に自分のした事実だけをノートに書く方法を用いるのです。
このように神経症の人を苦しめるのは自分の思い込みであり、事実ではありません。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは表で、自分の能力は固定化したものだと考えは裏です。そして自分の能力は固定化したものだという考えが、表を歪んだ形で支えてしまっているのです。

「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、歪んだ形で支えられています。
その歪みは、歪みゆえにその人を苦しめます。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

自分で決め付けて、自分で苦しむのです。神経症の人は、このスタイルが多いのです。
それをモデルにより、さらに述べます。

ある男子高校生は、話がスムーズにできないという悩みがありました。
そこで学校では図書室、休日は図書館にいることが多かったのです。
図書室や図書館は、人と話さなくてもいいからです。

この高校生は自分で話がスムーズにできないと、決め付けていました。
その決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。自作自演の苦しみです。

そこでカウンセラーは、こうアドバイスしました。
「図書館の職員に、本のことをたずねてみたら・・・」

強制しないように、弱く提案しました。
それもあってか、心持ちうなずきました。

それから後は、実行です。
図書館の人に、本のことをたずねてみるようにしました。

最初は「~~という本は、どこにありますか?」という、事務的なやり取りでした。
そこから、スタートしました。

やがて「いま、どんな本が読まれていますか?」というような話に、変わっていきました。
会話を、深めていったのです。

しかしそれでも、その高校生は話がスムーズにできないといいました。
やはり決め付けにより、自分で苦しんでいたのです。

そこでカウンセラーは、こう尋ねました。
「去年の今頃は、人とどれほど話がスムーズにできましたか?」

それに対して、高校生は「まったく人と話さなかった」と答えました。
このとき話がスムーズにできないながらも、話せる今の自分に気付きました。

この人は「能力は固定化したもの」と考えていましたが、その間違いにいま気付きました。
現実にやっただけ実力も、能力もついたのです。

このように去年の今頃と比べれば、進歩しているのです。
それに気付かないだけなのです。

その気付かない理由は、「能力は固定化したもの」という考えです。
本当は、壁はありません。壁は、こころの中にあるだけです。

ただし「完璧さ」を求めれば、誰しも壁はできます。
それよりも、「前よりどれぐらい進歩したか」を考えた方が建設的です。

この人も「能力は固定化したもの」と、考えなくなりました。
そこから社交術も、身につけていったのです。

社交術を身につけることにより、「能力は固定化したもの」と考えなくなりました。
「能力は見につけるもの」と、考えるようになりました。

(完璧さという)抽象的なものを求めれば、誰しも壁に突き当たりがちです。
それよりも、(前よりどれぐらい進歩したかという)具体的に考えた方が建設的です。

この人も自分に対する否定的な壁に、目を留めることが少なくなりました。
それと相前後して、前よりどれぐらい進歩したかという具体的な考えが増えました。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
神経症の人の考え方は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えがちです。
これも歪んだ思い込みです。

現実に誰でも、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考えた瞬間、
ものごとは大きなものになります。失敗してもいないのに、たいへんなことになってしまうのです。

自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。

たとえば「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」という自作自演の話は、こころの中で先ずスタートします。
そこから、さらに自作自演の話は現実の中でもスタートします。人前で顔が赤くなったりしだすのです。

それは、次のようになります。
「人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でスタート→「現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」

そして、「さらに、人前で顔が赤くなったらたいへんだ」→こころの中でさらにスタート→「さらに、現実の中でも人前で顔が赤くなったりしだす」
このような悪循環は、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを土台とします。

認知療法では、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という土台をチェンジします。
それは、「失敗したら、次に何をするか」というチェンジです。

野球でも内野手がミスをしたら、他の内野手はカバーします。
このように、「失敗したら、次に何をするか」ということまで視野に入れておくのです。

そうすれば「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えに、支配されなくなります。
その考えに支配されてしまうのは、「失敗したら、次に何をするか」ということの不在によります。

そうやって、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることを学習すればいいのです。
そうすれば、「失敗したら、これからたいへんなことになる」と考える必要もありません。

お正月に、初詣に出かけるとします。
その時に電車が不通の場合は、行き先を変えてもいいのです。

そうすれば電車が不通の場合でも、柔軟に対応できます。
行き先を変えて、かえって良かったことも多いのです。

このように、「失敗したら、次に何をするか」ということを視野に入れることこそが、「失敗したら、これからたいへんなことになる」という考えを真に正すことです。

その改善は、こころの不自由さからの解放です。
この不自由さからの解放こそが、ポイントです。

神経症、ノイローゼからの解放はこころの不自由さからの解放です。
この不自由さは、自分自身を拘束するものです。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
歪んだ思い込みを変えていくには、「失敗しても、やらないよりはいい」と考えることも大切です。

スタートする前から「もうダメだ」と考えることは、それだけで失敗です。
それに成功、失敗は本質的なものともいえません。

クーベルタンの言うように「オリンピックは参加することに意味がある」であり、「人生は努力することに意味がある」のです。

そう考えれば、将来に不安を抱くこともありません。
さらに過去に、苦しむこともありません。

このような人の歪んだ思い込みを変えていくために、「行動記録法」があります。
この方法は、歪んだ思い込みを変えていくのに有効です。

その「行動記録法」は読んで字のごとく、1時間ごとに「行動」を「記録」する「方法」です。
その行動ごとに「喜び」と、「習熟度」を自己評価するのです。

多くの神経症、ノイローゼの人は行動する前で立ち止まっているのです。
行動する前に、とどまっているのです。

広い意味では『浦島太郎』に、なってしまいます。
イメージの中で、ものごとは起きています。しかし、現実にはまったく何もできません。

しかしより正確には神経症、ノイローゼの人は『浦島太郎』の逆になってしまいます。
『浦島太郎』は、楽しい思い出の中にいました。神経症、ノイローゼの人はその逆です。

ある人は「行動記録法」により、生活の「喜び」をとり戻しました。
この人は先ず「行動記録法」で、自分自身が「行動」しないでいることに気付きました。

神経症、ノイローゼの人はイメージは、活動しています。
しかし現実は、まったく何もしていません。

そこで自分が「行動」しないでいることの気付きから、生活を見直してみたのです。
その結果、先ず「行動」することにしました。

自分が「行動」してみれば、新たに生活を発見します。
それは、「案ずるよりは生むが易し」ということです。

そうすると、新たな気付きが生まれます。
それは、「行動することは楽しい」ということです。

このようにして、引っ込み思案の人から行動を引き出します。
そしてそれは、自然に起きます。

それに多くの神経症、ノイローゼの人は家族から「何かしなさい!」と、行動を強制されています。当然カウンセリングは、そのようなことはしません。その人から自然に、行動を引き出すのです。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 13:27Comments(0)カウンセリング

2012年01月26日

神経症の人の「思い込み」 330

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングも行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

マイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

「失敗は成功のもと」と考えられないから、失敗から学べないのです。
その結果、「失敗」は失敗でしかなくなってしまうのです。

このように「失敗」は失敗でしかないのが、「本当の失敗」です。
「失敗は成功のもと」にするように、考え方を変えることこそが大切です。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

このことは、子供の水泳の練習によく当てはまります。
泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供もいます。逆の子供もいます。

後者の泳げなくてもすぐにはあきらめない子供は、挑戦的な子供です。
何事にも、意欲的にチャレンジします。

意欲的にチャレンジするがゆえに、泳げるようになります。
この成功体験により、より意欲的にチャレンジするようになります。

逆に泳げないと、すぐにあきらめてしまう子供は何事にも消極的です。
この消極さが、悪循環をさらに強めます。

すぐにはあきらめない子供は、何事にもくじけないねばり強さを持っています。
人生の困難に、打ち負かされなくなります。

このような視点から、考えることはとても大切です。
そうすれば、「失敗は新しい挑戦の場」に変わるのです。

それをさらに深めると、「もっと頑張ろう!」という発想も出てきます。
失敗したら、「もっと頑張ろう!」でいいのです。

これは失敗の原因を、自分の能力に帰属させない方法です。
そしてそれは、とても前向きなものです。

逆に失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人もいます。
これは、とても後ろ向きなものです。

後者の失敗の原因を、自分の能力に帰属させる人はチャレンジ精神も失います。
これからどんなに努力しても、自分の能力ゆえにだめだと考えがちです。

無力感に支配されて、悪循環から抜け出せなくしてしまうのです。
その原因は、失敗の原因を自分の能力に帰属させたことによります。

よって失敗の原因を自分の能力に帰属させないで、努力に帰属させるべきなのです。
これこそが、前向きな解決です。

失敗の原因を努力に帰属させれば、失敗に負けない前向きな生き方もできます。
現在、新卒者の短期離職が問題化しています。それは前向きな解決のできないケースが、多いためです。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

神経症の人は視野が、狭くなりがちです。
よって一つのことがうまくいかないと、すべてダメだと考えがちです。

たとえば日本人初の走り幅跳び8メートルジャンパーである山田宏臣選手は走り高跳びの選手でした。その人は走り幅跳びにチェンジして、日本一になったのです。

このような大きなことでなくても、視点を変えることは大切です。
視点を変えるだけで、よくなることも多いのです。

ある人は、自分の必要とする本が書店にありませんでした。
東京中の書店で、在庫切れでした。ここから気持ちの悪循環が、始まりました。

その本は、もう手に入らないのだ。「もうダメだ」と、考えたのです。
このように発想が、固定化しているのです。

古書店や、図書館にはあるかもしれません。
この人は古本や、公的にある本はダメなのです。

自分の必要とする本は新しく、手もとにいつもないとダメなのです。
それゆえに、苦しんでいたのです。

そもそも今、その本は手もとにいつもないとダメと考えますね。
しかし時間がたてば、そうでないことも多いのです。

もっと必要な本が、出てくることも多いのです。
そうであれば古本や、公的にある本でいいのです。

いまの自分の考えに、こりかたまり柔軟な考えができません。
それゆえに、苦しんでいるのです。

「自分のできる、ほかのことをしよう」と考えれば、古書店や図書館に行けばいいのです。
それだけのことです。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

ある男子大学生は、ガールフレンドのことで悩んでいました。
そのガールフレンドは、支配的な性格だったのです。

ガールフレンドの支配的な性格ゆえに、まったく主導権のもてない状態だった。
それゆえに、まったく身動きできなかった。

そこで、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことにしました。
当然、ガールフレンドの支配的な性格ゆえにぶつかり合いました。

その結果、そのガールフレンドを必要としていない自分に気付きました。
「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなるのです。

自分のできそうな範囲に目がいきますから、人を必要としなくなるのです。
自分が自分自身の、主体になれるのです。

やがてその人は、ガールフレンドの支配的な性格に、嫌気がさしました。
主導権のもてない、まったく身動きできない状態に嫌気がさしたのです。

その人はガールフレンドとの交際よりも、自分の生活を大切にするようになりました。
軸足を自分自身の生活に、移したのです。

そうすると自然に、その人はガールフレンドに拘束されなくなりました。
ノーはノーと、はっきりと言うようになったからです。

そのとき同時に、自分の生活を見直してみたのです。
それは「ガールフレンドの支配的な性格は、自分にとってプラスなのか?」と、いうものでした。

このことにもノーはノーと、はっきりと言うべき時がきたのです。
それは、先延ばしにされてきたことです。

このように「自分の今できそうなことに、目を向ける」と、ある意味で人を必要としなくなり、別の可能性に目も向いていくのです。その結果、ガールフレンドの支配的な性格ゆえに別の道を歩むことにしました。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。

【昔、中国に住んでいた老人の馬が逃げたが、数か月後、優秀な馬を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かった】というお話が、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」のゆらいです。

このようにそのとき不幸だと思ったことも、後で幸福に変わるのです。
人生はオセロのようなものです。

よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

失敗は「馬が逃げた」や、「子がその馬に乗り落馬して足を折った」です。
成功は「優秀な馬を連れて帰ってきた」や、「兵役を免れて命が助かった」です。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

たとえば就職先を比較的はやく退職することになっても、仕事そのものもそれを通しての人間関係も学びました。

けっして、マイナスだけではありません。
プラスもあります。

ただ後者(プラス)に、気付かない人がいるだけです。
その気付かないことが、ミスなのです。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

野田総理大臣でも、失敗はあります。
誰にでも、失敗はあります。

このように誰にでも失敗はあるのですから、失敗そのものは一般的なものです。
それを個人的なものに、自分だけのことにしてしまい苦しむのです。

自分だけが失敗し、誰も失敗していないと苦しむのです。
このように失敗そのものより、思い込みで苦しむのです。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

あなたが失敗したときに、多くの場合、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ということです。あなたの失敗に対する主観的な苦しみが、そう思わせているだけです。

さらに神経症の人は、『人の噂(うわさ)も七十五日』と考えることもできません。
その結果、誰もその「失敗に気付いていないだろう」ことを、いつまでもくよくよ悩むのです。

ある高校生は、クラス全員の前で順番に「調べたことを一人で発表する」という国語の授業に強く不安を感じていました。その授業を欠席することも、考えるほどでした。

この高校生は、クラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまうことを恐れていたのです。
その恐れから、強く不安を感じていたのです。

この場合、誰もその「失敗に気付かないだろう」ということを見落としているのです。
それに気付くための、質問を用いてカウンセリングは行われました。

その質問は、「いままでクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいますか?」というものでした。

この高校生はその質問に対し、次のように答えました。
「発表するときに、あがってしまった人はいないと思う。」

おそらくクラス全員の前で一人で発表するときに、あがってしまった人はいるはずです。
この高校生はそれに、気付いていないのです。

そのように自分も人の「失敗に気付かない」のですから、逆に人も自分の「失敗に気付かない」可能性のほうが高いのです。

しかしながら神経症的な人は、そう認められません。
自分だけは「失敗に気付かれている」と、マイナスに考えます。

そこには、マイナスの自己イメージがあります。
そのマイナスの自己イメージは、自分で自分を認められないがゆえのものです。

すなわち、そこには自分に対する否定的なイメージがあります。
その否定的なイメージが、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考える土台になります。

自分自身を否定的にイメージするがゆえに、他者は自分の「失敗に気付いている」とマイナスに考えるようになります。そこには自分自身の認められなさが、潜んでいます。
この否定的なイメージを、前向きなものにすることこそがカウンセリングの目標になります。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

「目標そのものは適切であったか?」と考えるために、高校生の例を述べます。
高校の文化祭でのことです。

文化祭の「お笑い大会」です。
高校生ですから当然ながら、対抗意識はあります。

それに「お笑い大会」ゆえに、誰が最もうまいのかも難しいのです。
運動会の、競争のようにはいきません。

この高校生は、「お笑い大会」での優勝を目的にしました。
何が何でも、優勝したいと思いました。

ありとあらゆる事を考え、そしてしました。
この人の結果は、おもわしくありませんでした。
そこで、「目