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2012年03月14日

神経症の人の「思い込み」 378

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今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、身動きできない状態です。
歪んだ思い込みはその人の生活も、奪いさってしまうのです。
よって、マイナスをプラスに変える方法が必要です。

これからマイナスをプラスに変える考え方を、身につけていきましょう。
それが前向きな解決です。

マイナスをプラスに変える考え方を身につければ、ミスを恐れて何もできない状態から抜け出せます。それは大切です。

これからそのマイナスをプラスに変える考え方を、説明します。
そうすればこころの葛藤は、消えていきます。

多くの場合、神経症の人はささいなことを大きなことにしてしまいがちです。
そのこころのメカニズムは、自己否定によるものです。

自分のした「こと」が悪いだけです。
そしてそのした「こと」も、すべての中のほんの一部なのです。

そうならば、これからは自分のする「こと」を変えていけばいいのです。
人生は新しい学びの、プロセスとも言えます。

さらにこれを発展させた、マイナスをプラスに変える考え方を述べます。
私達は、ミスは行き止まりだと考えます。しかし、単純にそう言えますか?

「失敗は成功のもと」とも、言えるのです。
失敗から、私達は学べるのです。

そう考えれば、けっしてミスは行き止まりではありません。
逆に、ミスは新しいスタートです。

さらにこれを発展させた、考え方を述べます。
それは「失敗は新しい挑戦の場」です。

こう考えれば、失敗もフレッシュな体験になります。
これはとても、大切です。

次に、マイナスの思いこみに気付く考え方を述べます。
今までのマイナスをプラスに変える考え方と似ていますが、多少異なります。

マイナスの思いこみに気付く考え方の土台は、「本当は失敗ではなかった」というものです。
表面上は失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」ということは多いのです。

そもそも私達の人生は、オセロのような性格を持っています。
そのときは失敗に見えても、「本当は失敗ではなかった」という経験は誰にでもあります。

そのときの失敗は将来、成功するために必要なのです。
ただしそのためには、前向きな姿勢が必要です。

前向きな姿勢を保ち続けなければ、「災い転じて福となす」ことはできません。
その姿勢こそがいまの失敗を、将来の成功に変えるのです。

この「災い転じて福となす」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分のできる、ほかのことをしよう」です。

さらにこの「自分のできる、ほかのことをしよう」を応用させた、考え方もあります。
それは「自分の今できそうなことに、目を向ける」です。
これは葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

葛藤で身動きできない人は、こころにゆとりがなく「自分の今できそうなことに、目を向ける」こともできません。

よって葛藤で身動きできない人は、「自分の今できそうなことに、目を向ける」ことそのことによりぱっと目の前が開かれます。

葛藤で身動きできない人は、「ダメだ」と諦めがちです。
しかし、これからは「自分の今できそうなことに、目を向ける」ようにしましょう!

そうすれば、新しい道を歩めるのです。
今の道は、必ずしもベストではありません。

この「今の道は、必ずしもベストではない」ということから、導き出される考えがあります。
それは「成功、失敗はそれほど問題ではない」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

そもそも成功や、失敗にこだわると視野が狭くなります。
この視野が狭くなることにより、成功や失敗はさらに重大視されるのです。

よく考えてみれば、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」なのです。
よって「成功、失敗はそれほど問題ではない」のです。
そのときの「成功、失敗を問題視」することは、まったくありません。

大切なことは失敗と成功が、連なっているということです。
一つの大きなストーリーの、一部だということです。

さらにこのことから、導き出される考えがあります。
それは「勉強になった」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

これは「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということです。
何ごとも、勉強でもあります。

多くの場合、マイナスにだけ目がいきがちです。
その結果、プラスに気付きません。

プラスに気付けば、マイナスにだけ目もいきません。
そして、さらにプラスに気付きます。

それに本当の意味で失敗であるか成功であるかは、人生の最後の日まで分かりません。
誰にも、分かりません。

ただ「失敗がすべてではなく、勉強になったこともある」ということのみが、いま分かるのです。
これは大切です。

さらには、次のことも事実です。
それは「誰にでも、失敗はある」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

失敗の経験を共有することにより、人間関係も前に進みます。
多くの場合、とても親しい人に失敗談を語ると人間関係は深まります。

そもそも成功した人は、多くの失敗を経験しています。
これが事実です。

我々は、成功した人の多くの失敗を見落としてもいるのです。
これも事実です。

このように、失敗そのものは一般的なものです。
人生の、一つの出来事です。

また次のことも、大切です。
それは、あなたの「失敗に気付いていないだろう」ということです。
これも葛藤で身動きできない人に、効果的な考え方です。

次に神経症の人の「思い込み」は、目標そのものの不適切さによっても起きます。
この葛藤により身動きできない人は、「目標そのものは適切であったか?」と考えてください。

神経症の人のは、目標そのものを「何が何でも達成しなければいけにもの」と考えがちです。
それゆえに目標とその結果にしがみ付くことになってしまいます。

ただしその目標は、そもそも不適切なものかもしれません。
それに「失敗は成功のもと」の、失敗の可能性もあります。

さらにこのような神経症の人の「思い込み」として、「失敗は一巻の終わり」というものもあります。すなわち『失敗により物事の結末がすべてついてしまい、先の望みがまるでない』と考えるのです。

これは、神経症の人の否定的な「思い込み」です。
現実にはこの否定的な「思い込み」こそが、「失敗は一巻の終わり」にしてしまうのです。

失敗の側には、失敗の要因はないのです。
その人の否定的な「思い込み」こそが、失敗の原因です。

ある学生はレポートの提出後に、小さなミスに気付きました。
そのことが、心配でどうしようもありません。

それはほんの小さな言葉の、言いまわしです。
それが心配でどうしようもありません。

この人はその小さなことを、「失敗は一巻の終わり」と考えたのです。
すなわち「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

この人は小さなことであるにもかかわらず、それも分からないぐらいの気持ちに陥りました。
それゆえに、「もう、先の望みがまるでない」と考えたのです。

このように神経症の人を苦しめるのは、自分の思い込みです。
事実ではありません。

事実はそれほどではないのに、神経症の人を苦しみます。
苦しめているのは、自分の思い込みだけです。

このような神経症の人の「思い込み」として、「完ぺき主義」も潜んでいます。
すなわち『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるのです。

このように『すべては、完ぺきでなければいけない』と考える人は、すべてを評価しがちです。
現実を、すべて評価ということから考えます。

そもそも、世の中に完ぺきなものはありません。
その事実に、気付いていないのです。

それゆえに、自分は『すべてを、完ぺきにしなければいけない』と考えます。
少しのミスも許されません。これが将棋倒しの、大きな理由です。

さらに『すべては、完ぺきでなければいけない』と考えるゆえに、ハードルが高すぎます。
最初のハードルから、高すぎるのです。

次に神経症の人を苦しめる思い込みとして、「自分は足踏みしているだけ」があげられます。
この「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、自分の能力に対する考え方と表裏一体です。

すなわち多くの場合、「自分は足踏みしているだけ」という思い込みを持つ人は、自分の能力は固定化したものだと考えています。

多くの場合、こころの歪みは柔軟性に欠けています。
自由度に欠けているが、ゆえにその人を苦しめます。

こころでも身体でも、自由度に欠ければその人を苦しめます。
その人のこころが自由度を、とり戻すことが大切です。

そのために「自分は足踏みしているだけ」という思い込みは、変わる必要があります。
そもそも歪んだ思い込みゆえに、変わる余地もありえます。

それを変えていくのが認知療法であり、認知行動療法です。
この場合、軸足は認知療法に起きます。

この人のものの考え方は、「自分の能力は固定化したもの」だということが土台です。ただし、それは正しいでしょうか?

何ごともやればやるだけ、実力もつきます。
何を能力と言うかにもよりますが、「能力は固定化したもの」ではありません。

それに「能力は固定化したもの」と考えることにより、固定化したものにもしてしまいます。
やればやるだけ実力も、能力もつくと考えればより柔軟なものにもなります。

このように神経症、ノイローゼからの解放はこころの不自由さからの解放です。
この不自由さは、自分自身を拘束するものです。

このように歪んだ思い込みを、変えていくのが認知療法です。
歪んだ思い込みを変えていくには、「失敗しても、やらないよりはいい」と考えることも大切です。

スタートする前から「もうダメだ」と考えることは、それだけで失敗です。
それに成功、失敗は本質的なものともいえません。

このような人の歪んだ思い込みを変えていくために、「行動記録法」があります。
この方法は、歪んだ思い込みを変えていくのに有効です。

その「行動記録法」は読んで字のごとく、1時間ごとに「行動」を「記録」する「方法」です。
その行動ごとに「喜び」と、「習熟度」を自己評価するのです。

多くの神経症、ノイローゼの人は行動する前で立ち止まっているのです。
行動する前に、とどまっているのです。

しかし自分が「行動」してみれば、新たに生活を発見します。
それは、「案ずるよりは生むが易し」ということです。

そうすると、新たな気付きが生まれます。
それは、「行動することは楽しい」ということです。

このようにして、引っ込み思案の人から行動を引き出します。
そしてそれは、自然に起きます。

それに多くの神経症、ノイローゼの人は家族から「何かしなさい!」と、行動を強制されています。当然カウンセリングは、そのようなことはしません。その人から自然に、行動を引き出すのです。

そして自然に行動を引き出せれば、「行動することは楽しい」ということに気付きます。
このようなプラスのメカニズムが、すべてに動き出すのです。

このように「行動記録法」は否定的な壁である、神経症の人の「思い込み」に気付くだけではありません。
それを前向きなものにも、書きかえるのです。

そう考えると、「けっして、今いる状況は悪くない」ということも理解されます。
この人が前向きに生きるためには、それを後押ししてくれる「今いる状況」は必要なのです。

今いる状況こそが、その人をプッシュするのです。
プッシュする状況にいることは、幸運なのです。

また神経症、ノイローゼの人は「三日坊主」にも苦しんでいます。
何をやっても三日で嫌になり、やめてしまいます。

この「三日坊主」も、神経症の人の「思い込み」が関係していることは多いのです。
そして神経症の人の「思い込み」ゆえに、正していくこともできます。

その正し方は(まだ三日しかやっていない)だから、「まだスタートしたばかりだ!」と気付くことです。
この気付きこそが、歪んだ「思い込み」を正します。

誰でも「ちかい」を立てることはできます。
しかし、その「ちかい」を続けられません。

多くの場合、新年のちかいも「三日坊主」で終わってしまうのです。
そうならないためにも、「まだスタートしたばかりだ!」と気付いてください。

なお神経症、ノイローゼの人は「千里の道も一歩から」ということわざの、『千里』に拘束されてしまいます。その結果、身動きできなくなってしまうのです。

そうして、「千里の道も一歩から」の『一歩』がとても大きな一歩に見えてしまいます。その結果、その小さな『一歩』すら踏み出せなくなってしまうのです。

『一歩』は、『一歩』です。
何も考えないで、すっと一歩踏み出せばいいのです。

何も考えなければ、軽い足どりの一歩です。
考えこむと、重い一歩に変わってしまうのです。

それにいまの一歩は、「これからのため」の一歩です。
自分自身が、人間としてさらに成熟するための一歩でもあるのです。

決心をしないでも、一歩踏み出せる人間になれることが大切です。
多くの神経症、ノイローゼの人は決心しなければ、一歩踏み出せません。

よって勉強しよう、勉強しようと思っても勉強できないのです。
受験ノイローゼの人に、とても多いこころの葛藤です。

このように「三日坊主」で終わりがちな人は、「まだスタートしたばかりだ!」と気付いてください。
さらに「三日坊主」に近いものに一歩か二歩、歩いて転ぶとすぐに諦めてしまう人もいます。
その人は、「明日にはチャンスがあるかもしれない」と考えることも大切です。

このように一歩か二歩、歩いて転ぶとすぐに「もうダメだ」と考え、すぐに諦めてしまう人は根気のない人と言われがちです。それよりも、その解決を考えることのほうが大切です。

すぐに諦めてしまう人は、家族からも根気のない人と決めつけらてしまうことが多いのです。
そして根気のなさを、責められがちです。
責めるよりも前に進み、本当の意味での解決を進めることのほうが大切です。

これが一歩か二歩、歩いて転ぶとすぐに諦めてしまう人の、認知的側面からの解決方法です。
それに行動的側面からの解決も、考えることは大切です。

【認知的側面からの解決方法+行動的側面からの解決】 です。

この行動的側面からの解決は、「新しい行動に方向づける」ことを指します。
いままでにない、新しい行動に向かうようにするのです。

その時にとても大切なことは、「方向の一貫性」です。
常に一貫性を持って、方向づけなければいけません。

小中学生で勉強の進まない子供に多い特徴は、「母親の一貫性のない方向づけ」です。
母親は子供に「勉強しなさい」と、言います。これはいいのです。
その後に「言わないとやらない」とか、もっと一貫性のない母親は「もう、やっても遅いんだ」と言います。

このような一貫性を持たない、方向づけられてもいない態度は子供の不安を増大させます。
それが一歩か二歩、歩いて転ぶとすぐに諦めてしまう人の親子関係における問題点です。

その親子関係における問題点を正すためにも、常に一貫性を持って方向づけなければいけません。
自分自身もしくは、カウンセラーとともに、常に一貫性を持って方向づけていけば正されます。

一貫性こそが進歩の土台であり、進歩の軸になるものです。
その一貫性に方向づけられ、新しい行動に向かうようにするのです。
一貫性あるプロセスにおいてこそ、新しい行動パターンは学習されます。

一歩か二歩、歩いて転ぶとすぐに諦めてしまう人の、行動的側面からの具体的な解決方法考えてみましょう。
行動療法による解決です。それは階段を一歩一歩のぼるのと、基本的には同じです。

すなわち一歩一歩、小さなステップを踏んで階段をのぼるのです。
その小さなステップごとに、新しい行動パターンは学習されます。

その新しい行動パターンの学習は、人柄にも影響します。
何事にも飽きっぽい人が、粘り強い人にチェンジしていくのです。

このように自己変革は一歩一歩、小さなステップによるものです。
その小さなステップを踏み外しても、「もう、やめた」とあきらめてはいけません。

踏み外した小さな一歩、ステップは、「まだスタートしたばかりの最初の一歩」です。
これから将来には、大きな希望があります。

それは、具体的な目的の達成です。
また同時に粘り強い人への、チェンジでもあるのです。

このように一歩か二歩、歩いて転ぶとすぐに「もうダメだ」と考え、すぐに諦めてしまう人は、「明日にはチャンスがあるかもしれない」と考えることも大切です。

さらにそれを深めて、「明日の成功の土台はできた。明日には、その土台を活かすチャンスがある」と考えることも大切です。今やっていることは広い意味では、すべて明日の土台になります。これは大切です。

すなわち今日一歩か二歩、歩いて転んだことは、失敗ではありません。
逆に転んだことは、明日の成功の土台です。

このようなプラスの方向から、現実に光をあてることが大切ですね。
そうすれば、新しい世界は生まれます。

それにそもそも今日と明日は、状況が異なります。
ある獣医は、犬の飼い主に対する病状説明に自身が持てませんでした。
この人はこの言葉の不器用さに、とても困っていました。

さらに神経症の人の「思い込み」として、「もう自分は獣医として失格だ」と考えたのです。
けっしてそれを、「明日の成功の土台」とは考えませんでした。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 05:21Comments(0)カウンセリング