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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2012年08月01日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 110

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

さらに、述べます。

  

Posted by counselor at 11:17Comments(0)カウンセリング

2012年08月02日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 111

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらに、述べます。

  

Posted by counselor at 07:31Comments(0)カウンセリング

2012年08月03日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 112

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

さらに、述べます。

  

Posted by counselor at 07:41Comments(0)カウンセリング

2012年08月04日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 113

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今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

さらに、述べます。

  

Posted by counselor at 10:48Comments(0)カウンセリング

2012年08月05日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 114

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

さらに、述べます。

  

Posted by counselor at 09:22Comments(0)カウンセリング

2012年08月06日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 115

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

さらに、述べます。

  

Posted by counselor at 09:27Comments(0)カウンセリング

2012年08月07日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 116

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

さらに、述べます。

  

Posted by counselor at 13:26Comments(0)カウンセリング

2012年08月08日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 117

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

よって事実は、考え≠行動 であることの理解が必要です。
そのための方法を、この人に用いました。

さらに、述べます。

  

Posted by counselor at 07:37Comments(0)カウンセリング

2012年08月09日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 118

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

よって事実は、考え≠行動 であることの理解が必要です。
そのための方法を、この人に用いました。

この人は、前述のように「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配」していました。この考えと行動は異なるものだと、認識できればいいのです。

さらに、述べます。

  

Posted by counselor at 07:35Comments(0)カウンセリング

2012年08月10日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 119

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

よって事実は、考え≠行動 であることの理解が必要です。
そのための方法を、この人に用いました。

この人は、前述のように「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配」していました。この考えと行動は異なるものだと、認識できればいいのです。

そこでこの人に、こころの中で「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と繰り返してもらいました。おおよそ10分~20分、こころの中でそう繰り返してもらいました。

さらに、述べます。

  

Posted by counselor at 08:24Comments(0)カウンセリング

2012年08月11日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 120

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

よって事実は、考え≠行動 であることの理解が必要です。
そのための方法を、この人に用いました。

この人は、前述のように「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配」していました。この考えと行動は異なるものだと、認識できればいいのです。

そこでこの人に、こころの中で「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と繰り返してもらいました。おおよそ10分~20分、こころの中でそう繰り返してもらいました。

その繰り返しの中で、こころの中の「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに気付いてもらうためです。

さらに、述べます。

  

Posted by counselor at 08:28Comments(0)カウンセリング

2012年08月12日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 121

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今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

よって事実は、考え≠行動 であることの理解が必要です。
そのための方法を、この人に用いました。

この人は、前述のように「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配」していました。この考えと行動は異なるものだと、認識できればいいのです。

そこでこの人に、こころの中で「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と繰り返してもらいました。おおよそ10分~20分、こころの中でそう繰り返してもらいました。

その繰り返しの中で、こころの中の「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに気付いてもらうためです。

こころの中でその言葉を繰り返していると、こころはその言葉で飽和します。
こころの飽和状態こそが、考えそのもののばかばかしさに気付かせるのです。

さらに、述べます。

  

Posted by counselor at 09:10Comments(0)カウンセリング

2012年08月13日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 122

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

よって事実は、考え≠行動 であることの理解が必要です。
そのための方法を、この人に用いました。

この人は、前述のように「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配」していました。この考えと行動は異なるものだと、認識できればいいのです。

そこでこの人に、こころの中で「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と繰り返してもらいました。おおよそ10分~20分、こころの中でそう繰り返してもらいました。

その繰り返しの中で、こころの中の「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに気付いてもらうためです。

こころの中でその言葉を繰り返していると、こころはその言葉で飽和します。
こころの飽和状態こそが、考えそのもののばかばかしさに気付かせるのです。

この人も10分ぐらい繰り返すうちに、その考えのばかばかしさに気付いてきました。
ただそれでも、ストップしないことが大切です。

さらに、述べます。

  

Posted by counselor at 07:29Comments(0)カウンセリング

2012年08月14日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 123

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

よって事実は、考え≠行動 であることの理解が必要です。
そのための方法を、この人に用いました。

この人は、前述のように「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配」していました。この考えと行動は異なるものだと、認識できればいいのです。

そこでこの人に、こころの中で「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と繰り返してもらいました。おおよそ10分~20分、こころの中でそう繰り返してもらいました。

その繰り返しの中で、こころの中の「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに気付いてもらうためです。

こころの中でその言葉を繰り返していると、こころはその言葉で飽和します。
こころの飽和状態こそが、考えそのもののばかばかしさに気付かせるのです。

この人も10分ぐらい繰り返すうちに、その考えのばかばかしさに気付いてきました。
ただそれでも、ストップしないことが大切です。

最初のうちは20分以上、こころの中で繰り返すことは必要です。
自分の考えのばかばかしさに、あきあきするまで繰り返すのです。

さらに、述べます。

  

Posted by counselor at 08:44Comments(0)カウンセリング

2012年08月15日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 124

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

よって事実は、考え≠行動 であることの理解が必要です。
そのための方法を、この人に用いました。

この人は、前述のように「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配」していました。この考えと行動は異なるものだと、認識できればいいのです。

そこでこの人に、こころの中で「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と繰り返してもらいました。おおよそ10分~20分、こころの中でそう繰り返してもらいました。

その繰り返しの中で、こころの中の「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに気付いてもらうためです。

こころの中でその言葉を繰り返していると、こころはその言葉で飽和します。
こころの飽和状態こそが、考えそのもののばかばかしさに気付かせるのです。

この人も10分ぐらい繰り返すうちに、その考えのばかばかしさに気付いてきました。
ただそれでも、ストップしないことが大切です。

最初のうちは20分以上、こころの中で繰り返すことは必要です。
自分の考えのばかばかしさに、あきあきするまで繰り返すのです。

そして20分以上、こころの中で繰り返したらストップします。
もうこころは、その言葉で飽和しました。

さらに、述べます。

  

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2012年08月16日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 125

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

よって事実は、考え≠行動 であることの理解が必要です。
そのための方法を、この人に用いました。

この人は、前述のように「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配」していました。この考えと行動は異なるものだと、認識できればいいのです。

そこでこの人に、こころの中で「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と繰り返してもらいました。おおよそ10分~20分、こころの中でそう繰り返してもらいました。

その繰り返しの中で、こころの中の「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに気付いてもらうためです。

こころの中でその言葉を繰り返していると、こころはその言葉で飽和します。
こころの飽和状態こそが、考えそのもののばかばかしさに気付かせるのです。

この人も10分ぐらい繰り返すうちに、その考えのばかばかしさに気付いてきました。
ただそれでも、ストップしないことが大切です。

最初のうちは20分以上、こころの中で繰り返すことは必要です。
自分の考えのばかばかしさに、あきあきするまで繰り返すのです。

そして20分以上、こころの中で繰り返したらストップします。
もうこころは、その言葉で飽和しました。

そのときには「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに、気付いていたのです。

さらに、述べます。

  

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2012年08月17日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 126

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

よって事実は、考え≠行動 であることの理解が必要です。
そのための方法を、この人に用いました。

この人は、前述のように「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配」していました。この考えと行動は異なるものだと、認識できればいいのです。

そこでこの人に、こころの中で「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と繰り返してもらいました。おおよそ10分~20分、こころの中でそう繰り返してもらいました。

その繰り返しの中で、こころの中の「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに気付いてもらうためです。

こころの中でその言葉を繰り返していると、こころはその言葉で飽和します。
こころの飽和状態こそが、考えそのもののばかばかしさに気付かせるのです。

この人も10分ぐらい繰り返すうちに、その考えのばかばかしさに気付いてきました。
ただそれでも、ストップしないことが大切です。

最初のうちは20分以上、こころの中で繰り返すことは必要です。
自分の考えのばかばかしさに、あきあきするまで繰り返すのです。

そして20分以上、こころの中で繰り返したらストップします。
もうこころは、その言葉で飽和しました。

そのときには「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに、気付いていたのです。

その結果、考えに引きずられなくなりました。
はっきりと考えと行動を、分けられるようになりました。

さらに、述べます。

  

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2012年08月18日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 127

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

よって事実は、考え≠行動 であることの理解が必要です。
そのための方法を、この人に用いました。

この人は、前述のように「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配」していました。この考えと行動は異なるものだと、認識できればいいのです。

そこでこの人に、こころの中で「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と繰り返してもらいました。おおよそ10分~20分、こころの中でそう繰り返してもらいました。

その繰り返しの中で、こころの中の「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに気付いてもらうためです。

こころの中でその言葉を繰り返していると、こころはその言葉で飽和します。
こころの飽和状態こそが、考えそのもののばかばかしさに気付かせるのです。

この人も10分ぐらい繰り返すうちに、その考えのばかばかしさに気付いてきました。
ただそれでも、ストップしないことが大切です。

最初のうちは20分以上、こころの中で繰り返すことは必要です。
自分の考えのばかばかしさに、あきあきするまで繰り返すのです。

そして20分以上、こころの中で繰り返したらストップします。
もうこころは、その言葉で飽和しました。

そのときには「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに、気付いていたのです。

その結果、考えに引きずられなくなりました。
はっきりと考えと行動を、分けられるようになりました。

なおこれは行動療法の方向からの、改善です。
次に認知療法の方向からの、アプローチを述べます。

この若い女性は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

そこには大きな、こころの歪みがあります。
それを正していくのです。そのための方法が、認知療法です。

さらに、述べます。

  

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2012年08月19日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 128

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

よって事実は、考え≠行動 であることの理解が必要です。
そのための方法を、この人に用いました。

この人は、前述のように「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配」していました。この考えと行動は異なるものだと、認識できればいいのです。

そこでこの人に、こころの中で「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と繰り返してもらいました。おおよそ10分~20分、こころの中でそう繰り返してもらいました。

その繰り返しの中で、こころの中の「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに気付いてもらうためです。

こころの中でその言葉を繰り返していると、こころはその言葉で飽和します。
こころの飽和状態こそが、考えそのもののばかばかしさに気付かせるのです。

この人も10分ぐらい繰り返すうちに、その考えのばかばかしさに気付いてきました。
ただそれでも、ストップしないことが大切です。

最初のうちは20分以上、こころの中で繰り返すことは必要です。
自分の考えのばかばかしさに、あきあきするまで繰り返すのです。

そして20分以上、こころの中で繰り返したらストップします。
もうこころは、その言葉で飽和しました。

そのときには「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに、気付いていたのです。

その結果、考えに引きずられなくなりました。
はっきりと考えと行動を、分けられるようになりました。

なおこれは行動療法の方向からの、改善です。
次に認知療法の方向からの、アプローチを述べます。

この若い女性は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

そこには大きな、こころの歪みがあります。
それを正していくのです。そのための方法が、認知療法です。

この人は「品行方正でなければ」、いけないと思っていました。
それは怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたからです。

さらに、述べます。

  

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2012年08月20日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 129

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

よって事実は、考え≠行動 であることの理解が必要です。
そのための方法を、この人に用いました。

この人は、前述のように「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配」していました。この考えと行動は異なるものだと、認識できればいいのです。

そこでこの人に、こころの中で「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と繰り返してもらいました。おおよそ10分~20分、こころの中でそう繰り返してもらいました。

その繰り返しの中で、こころの中の「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに気付いてもらうためです。

こころの中でその言葉を繰り返していると、こころはその言葉で飽和します。
こころの飽和状態こそが、考えそのもののばかばかしさに気付かせるのです。

この人も10分ぐらい繰り返すうちに、その考えのばかばかしさに気付いてきました。
ただそれでも、ストップしないことが大切です。

最初のうちは20分以上、こころの中で繰り返すことは必要です。
自分の考えのばかばかしさに、あきあきするまで繰り返すのです。

そして20分以上、こころの中で繰り返したらストップします。
もうこころは、その言葉で飽和しました。

そのときには「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに、気付いていたのです。

その結果、考えに引きずられなくなりました。
はっきりと考えと行動を、分けられるようになりました。

なおこれは行動療法の方向からの、改善です。
次に認知療法の方向からの、アプローチを述べます。

この若い女性は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

そこには大きな、こころの歪みがあります。
それを正していくのです。そのための方法が、認知療法です。

この人は「品行方正でなければ」、いけないと思っていました。
それは怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたからです。

ところが当然、誰にでも怒りはあります。
その誰にでもある怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたのです。

さらに、述べます。

  

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2012年08月21日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 130

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

よって事実は、考え≠行動 であることの理解が必要です。
そのための方法を、この人に用いました。

この人は、前述のように「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配」していました。この考えと行動は異なるものだと、認識できればいいのです。

そこでこの人に、こころの中で「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と繰り返してもらいました。おおよそ10分~20分、こころの中でそう繰り返してもらいました。

その繰り返しの中で、こころの中の「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに気付いてもらうためです。

こころの中でその言葉を繰り返していると、こころはその言葉で飽和します。
こころの飽和状態こそが、考えそのもののばかばかしさに気付かせるのです。

この人も10分ぐらい繰り返すうちに、その考えのばかばかしさに気付いてきました。
ただそれでも、ストップしないことが大切です。

最初のうちは20分以上、こころの中で繰り返すことは必要です。
自分の考えのばかばかしさに、あきあきするまで繰り返すのです。

そして20分以上、こころの中で繰り返したらストップします。
もうこころは、その言葉で飽和しました。

そのときには「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに、気付いていたのです。

その結果、考えに引きずられなくなりました。
はっきりと考えと行動を、分けられるようになりました。

なおこれは行動療法の方向からの、改善です。
次に認知療法の方向からの、アプローチを述べます。

この若い女性は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

そこには大きな、こころの歪みがあります。
それを正していくのです。そのための方法が、認知療法です。

この人は「品行方正でなければ」、いけないと思っていました。
それは怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたからです。

ところが当然、誰にでも怒りはあります。
その誰にでもある怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたのです。

この人はこのように信じていましたから、常に生き方は消極的でした。
そしてその消極さにも、こころの不自由さを感じていたのです。

さらに、述べます。

  

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2012年08月22日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 131

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

よって事実は、考え≠行動 であることの理解が必要です。
そのための方法を、この人に用いました。

この人は、前述のように「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配」していました。この考えと行動は異なるものだと、認識できればいいのです。

そこでこの人に、こころの中で「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と繰り返してもらいました。おおよそ10分~20分、こころの中でそう繰り返してもらいました。

その繰り返しの中で、こころの中の「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに気付いてもらうためです。

こころの中でその言葉を繰り返していると、こころはその言葉で飽和します。
こころの飽和状態こそが、考えそのもののばかばかしさに気付かせるのです。

この人も10分ぐらい繰り返すうちに、その考えのばかばかしさに気付いてきました。
ただそれでも、ストップしないことが大切です。

最初のうちは20分以上、こころの中で繰り返すことは必要です。
自分の考えのばかばかしさに、あきあきするまで繰り返すのです。

そして20分以上、こころの中で繰り返したらストップします。
もうこころは、その言葉で飽和しました。

そのときには「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに、気付いていたのです。

その結果、考えに引きずられなくなりました。
はっきりと考えと行動を、分けられるようになりました。

なおこれは行動療法の方向からの、改善です。
次に認知療法の方向からの、アプローチを述べます。

この若い女性は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

そこには大きな、こころの歪みがあります。
それを正していくのです。そのための方法が、認知療法です。

この人は「品行方正でなければ」、いけないと思っていました。
それは怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたからです。

ところが当然、誰にでも怒りはあります。
その誰にでもある怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたのです。

この人はこのように信じていましたから、常に生き方は消極的でした。
そしてその消極さにも、こころの不自由さを感じていたのです。

こころの自由さをとり戻すには誰にでもある感情、怒りを自分にもあることを認めることです。
自分にもあるという事実を、認めることがポイントです。

さらに、述べます。

  

Posted by counselor at 09:25Comments(0)カウンセリング

2012年08月23日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 132

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

よって事実は、考え≠行動 であることの理解が必要です。
そのための方法を、この人に用いました。

この人は、前述のように「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配」していました。この考えと行動は異なるものだと、認識できればいいのです。

そこでこの人に、こころの中で「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と繰り返してもらいました。おおよそ10分~20分、こころの中でそう繰り返してもらいました。

その繰り返しの中で、こころの中の「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに気付いてもらうためです。

こころの中でその言葉を繰り返していると、こころはその言葉で飽和します。
こころの飽和状態こそが、考えそのもののばかばかしさに気付かせるのです。

この人も10分ぐらい繰り返すうちに、その考えのばかばかしさに気付いてきました。
ただそれでも、ストップしないことが大切です。

最初のうちは20分以上、こころの中で繰り返すことは必要です。
自分の考えのばかばかしさに、あきあきするまで繰り返すのです。

そして20分以上、こころの中で繰り返したらストップします。
もうこころは、その言葉で飽和しました。

そのときには「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに、気付いていたのです。

その結果、考えに引きずられなくなりました。
はっきりと考えと行動を、分けられるようになりました。

なおこれは行動療法の方向からの、改善です。
次に認知療法の方向からの、アプローチを述べます。

この若い女性は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

そこには大きな、こころの歪みがあります。
それを正していくのです。そのための方法が、認知療法です。

この人は「品行方正でなければ」、いけないと思っていました。
それは怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたからです。

ところが当然、誰にでも怒りはあります。
その誰にでもある怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたのです。

この人はこのように信じていましたから、常に生き方は消極的でした。
そしてその消極さにも、こころの不自由さを感じていたのです。

こころの自由さをとり戻すには誰にでもある感情、怒りを自分にもあることを認めることです。
自分にもあるという事実を、認めることがポイントです。

それだけで、こころの迷路を抜け出せます。
閉そく感から、解放されるのです。

さらに、述べます。

  

Posted by counselor at 07:31Comments(0)カウンセリング

2012年08月24日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 133

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

よって事実は、考え≠行動 であることの理解が必要です。
そのための方法を、この人に用いました。

この人は、前述のように「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配」していました。この考えと行動は異なるものだと、認識できればいいのです。

そこでこの人に、こころの中で「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と繰り返してもらいました。おおよそ10分~20分、こころの中でそう繰り返してもらいました。

その繰り返しの中で、こころの中の「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに気付いてもらうためです。

こころの中でその言葉を繰り返していると、こころはその言葉で飽和します。
こころの飽和状態こそが、考えそのもののばかばかしさに気付かせるのです。

この人も10分ぐらい繰り返すうちに、その考えのばかばかしさに気付いてきました。
ただそれでも、ストップしないことが大切です。

最初のうちは20分以上、こころの中で繰り返すことは必要です。
自分の考えのばかばかしさに、あきあきするまで繰り返すのです。

そして20分以上、こころの中で繰り返したらストップします。
もうこころは、その言葉で飽和しました。

そのときには「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに、気付いていたのです。

その結果、考えに引きずられなくなりました。
はっきりと考えと行動を、分けられるようになりました。

なおこれは行動療法の方向からの、改善です。
次に認知療法の方向からの、アプローチを述べます。

この若い女性は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

そこには大きな、こころの歪みがあります。
それを正していくのです。そのための方法が、認知療法です。

この人は「品行方正でなければ」、いけないと思っていました。
それは怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたからです。

ところが当然、誰にでも怒りはあります。
その誰にでもある怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたのです。

この人はこのように信じていましたから、常に生き方は消極的でした。
そしてその消極さにも、こころの不自由さを感じていたのです。

こころの自由さをとり戻すには誰にでもある感情、怒りを自分にもあることを認めることです。
自分にもあるという事実を、認めることがポイントです。

それだけで、こころの迷路を抜け出せます。
閉そく感から、解放されるのです。

さらにこれに、プラスしていくべきこともあります。
それは感情そのものの持つ、矛盾も同時に受け入れることです。

さらに、述べます。

  

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2012年08月25日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 134

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

よって事実は、考え≠行動 であることの理解が必要です。
そのための方法を、この人に用いました。

この人は、前述のように「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配」していました。この考えと行動は異なるものだと、認識できればいいのです。

そこでこの人に、こころの中で「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と繰り返してもらいました。おおよそ10分~20分、こころの中でそう繰り返してもらいました。

その繰り返しの中で、こころの中の「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに気付いてもらうためです。

こころの中でその言葉を繰り返していると、こころはその言葉で飽和します。
こころの飽和状態こそが、考えそのもののばかばかしさに気付かせるのです。

この人も10分ぐらい繰り返すうちに、その考えのばかばかしさに気付いてきました。
ただそれでも、ストップしないことが大切です。

最初のうちは20分以上、こころの中で繰り返すことは必要です。
自分の考えのばかばかしさに、あきあきするまで繰り返すのです。

そして20分以上、こころの中で繰り返したらストップします。
もうこころは、その言葉で飽和しました。

そのときには「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに、気付いていたのです。

その結果、考えに引きずられなくなりました。
はっきりと考えと行動を、分けられるようになりました。

なおこれは行動療法の方向からの、改善です。
次に認知療法の方向からの、アプローチを述べます。

この若い女性は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

そこには大きな、こころの歪みがあります。
それを正していくのです。そのための方法が、認知療法です。

この人は「品行方正でなければ」、いけないと思っていました。
それは怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたからです。

ところが当然、誰にでも怒りはあります。
その誰にでもある怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたのです。

この人はこのように信じていましたから、常に生き方は消極的でした。
そしてその消極さにも、こころの不自由さを感じていたのです。

こころの自由さをとり戻すには誰にでもある感情、怒りを自分にもあることを認めることです。
自分にもあるという事実を、認めることがポイントです。

それだけで、こころの迷路を抜け出せます。
閉そく感から、解放されるのです。

さらにこれに、プラスしていくべきこともあります。
それは感情そのものの持つ、矛盾も同時に受け入れることです。

この人は怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていましたから、自己主張も悪いものと考えていました。このように怒りを境界として、感情を二分していたのです。

さらに、述べます。

  

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2012年08月26日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 135

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

よって事実は、考え≠行動 であることの理解が必要です。
そのための方法を、この人に用いました。

この人は、前述のように「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配」していました。この考えと行動は異なるものだと、認識できればいいのです。

そこでこの人に、こころの中で「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と繰り返してもらいました。おおよそ10分~20分、こころの中でそう繰り返してもらいました。

その繰り返しの中で、こころの中の「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに気付いてもらうためです。

こころの中でその言葉を繰り返していると、こころはその言葉で飽和します。
こころの飽和状態こそが、考えそのもののばかばかしさに気付かせるのです。

この人も10分ぐらい繰り返すうちに、その考えのばかばかしさに気付いてきました。
ただそれでも、ストップしないことが大切です。

最初のうちは20分以上、こころの中で繰り返すことは必要です。
自分の考えのばかばかしさに、あきあきするまで繰り返すのです。

そして20分以上、こころの中で繰り返したらストップします。
もうこころは、その言葉で飽和しました。

そのときには「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに、気付いていたのです。

その結果、考えに引きずられなくなりました。
はっきりと考えと行動を、分けられるようになりました。

なおこれは行動療法の方向からの、改善です。
次に認知療法の方向からの、アプローチを述べます。

この若い女性は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

そこには大きな、こころの歪みがあります。
それを正していくのです。そのための方法が、認知療法です。

この人は「品行方正でなければ」、いけないと思っていました。
それは怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたからです。

ところが当然、誰にでも怒りはあります。
その誰にでもある怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたのです。

この人はこのように信じていましたから、常に生き方は消極的でした。
そしてその消極さにも、こころの不自由さを感じていたのです。

こころの自由さをとり戻すには誰にでもある感情、怒りを自分にもあることを認めることです。
自分にもあるという事実を、認めることがポイントです。

それだけで、こころの迷路を抜け出せます。
閉そく感から、解放されるのです。

さらにこれに、プラスしていくべきこともあります。
それは感情そのものの持つ、矛盾も同時に受け入れることです。

この人は怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていましたから、自己主張も悪いものと考えていました。このように怒りを境界として、感情を二分していたのです。

それは白黒テレビのようなものです。
けっして、カラーテレビではありません。

さらに、述べます。

  

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2012年08月27日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 136

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

よって事実は、考え≠行動 であることの理解が必要です。
そのための方法を、この人に用いました。

この人は、前述のように「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配」していました。この考えと行動は異なるものだと、認識できればいいのです。

そこでこの人に、こころの中で「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と繰り返してもらいました。おおよそ10分~20分、こころの中でそう繰り返してもらいました。

その繰り返しの中で、こころの中の「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに気付いてもらうためです。

こころの中でその言葉を繰り返していると、こころはその言葉で飽和します。
こころの飽和状態こそが、考えそのもののばかばかしさに気付かせるのです。

この人も10分ぐらい繰り返すうちに、その考えのばかばかしさに気付いてきました。
ただそれでも、ストップしないことが大切です。

最初のうちは20分以上、こころの中で繰り返すことは必要です。
自分の考えのばかばかしさに、あきあきするまで繰り返すのです。

そして20分以上、こころの中で繰り返したらストップします。
もうこころは、その言葉で飽和しました。

そのときには「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに、気付いていたのです。

その結果、考えに引きずられなくなりました。
はっきりと考えと行動を、分けられるようになりました。

なおこれは行動療法の方向からの、改善です。
次に認知療法の方向からの、アプローチを述べます。

この若い女性は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

そこには大きな、こころの歪みがあります。
それを正していくのです。そのための方法が、認知療法です。

この人は「品行方正でなければ」、いけないと思っていました。
それは怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたからです。

ところが当然、誰にでも怒りはあります。
その誰にでもある怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたのです。

この人はこのように信じていましたから、常に生き方は消極的でした。
そしてその消極さにも、こころの不自由さを感じていたのです。

こころの自由さをとり戻すには誰にでもある感情、怒りを自分にもあることを認めることです。
自分にもあるという事実を、認めることがポイントです。

それだけで、こころの迷路を抜け出せます。
閉そく感から、解放されるのです。

さらにこれに、プラスしていくべきこともあります。
それは感情そのものの持つ、矛盾も同時に受け入れることです。

この人は怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていましたから、自己主張も悪いものと考えていました。このように怒りを境界として、感情を二分していたのです。

それは白黒テレビのようなものです。
けっして、カラーテレビではありません。

現実を白黒でしか、表せません。
ありのままに、表現できないのです。

さらに、述べます。

  

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2012年08月28日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 137

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今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

よって事実は、考え≠行動 であることの理解が必要です。
そのための方法を、この人に用いました。

この人は、前述のように「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配」していました。この考えと行動は異なるものだと、認識できればいいのです。

そこでこの人に、こころの中で「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と繰り返してもらいました。おおよそ10分~20分、こころの中でそう繰り返してもらいました。

その繰り返しの中で、こころの中の「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに気付いてもらうためです。

こころの中でその言葉を繰り返していると、こころはその言葉で飽和します。
こころの飽和状態こそが、考えそのもののばかばかしさに気付かせるのです。

この人も10分ぐらい繰り返すうちに、その考えのばかばかしさに気付いてきました。
ただそれでも、ストップしないことが大切です。

最初のうちは20分以上、こころの中で繰り返すことは必要です。
自分の考えのばかばかしさに、あきあきするまで繰り返すのです。

そして20分以上、こころの中で繰り返したらストップします。
もうこころは、その言葉で飽和しました。

そのときには「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに、気付いていたのです。

その結果、考えに引きずられなくなりました。
はっきりと考えと行動を、分けられるようになりました。

なおこれは行動療法の方向からの、改善です。
次に認知療法の方向からの、アプローチを述べます。

この若い女性は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

そこには大きな、こころの歪みがあります。
それを正していくのです。そのための方法が、認知療法です。

この人は「品行方正でなければ」、いけないと思っていました。
それは怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたからです。

ところが当然、誰にでも怒りはあります。
その誰にでもある怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたのです。

この人はこのように信じていましたから、常に生き方は消極的でした。
そしてその消極さにも、こころの不自由さを感じていたのです。

こころの自由さをとり戻すには誰にでもある感情、怒りを自分にもあることを認めることです。
自分にもあるという事実を、認めることがポイントです。

それだけで、こころの迷路を抜け出せます。
閉そく感から、解放されるのです。

さらにこれに、プラスしていくべきこともあります。
それは感情そのものの持つ、矛盾も同時に受け入れることです。

この人は怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていましたから、自己主張も悪いものと考えていました。このように怒りを境界として、感情を二分していたのです。

それは白黒テレビのようなものです。
けっして、カラーテレビではありません。

現実を白黒でしか、表せません。
ありのままに、表現できないのです。

よって、現実は白黒テレビのようなものです。
カラーテレビよりは、味気ないのです。

さらに、述べます。

  

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2012年08月29日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 138

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

よって事実は、考え≠行動 であることの理解が必要です。
そのための方法を、この人に用いました。

この人は、前述のように「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配」していました。この考えと行動は異なるものだと、認識できればいいのです。

そこでこの人に、こころの中で「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と繰り返してもらいました。おおよそ10分~20分、こころの中でそう繰り返してもらいました。

その繰り返しの中で、こころの中の「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに気付いてもらうためです。

こころの中でその言葉を繰り返していると、こころはその言葉で飽和します。
こころの飽和状態こそが、考えそのもののばかばかしさに気付かせるのです。

この人も10分ぐらい繰り返すうちに、その考えのばかばかしさに気付いてきました。
ただそれでも、ストップしないことが大切です。

最初のうちは20分以上、こころの中で繰り返すことは必要です。
自分の考えのばかばかしさに、あきあきするまで繰り返すのです。

そして20分以上、こころの中で繰り返したらストップします。
もうこころは、その言葉で飽和しました。

そのときには「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに、気付いていたのです。

その結果、考えに引きずられなくなりました。
はっきりと考えと行動を、分けられるようになりました。

なおこれは行動療法の方向からの、改善です。
次に認知療法の方向からの、アプローチを述べます。

この若い女性は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

そこには大きな、こころの歪みがあります。
それを正していくのです。そのための方法が、認知療法です。

この人は「品行方正でなければ」、いけないと思っていました。
それは怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたからです。

ところが当然、誰にでも怒りはあります。
その誰にでもある怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたのです。

この人はこのように信じていましたから、常に生き方は消極的でした。
そしてその消極さにも、こころの不自由さを感じていたのです。

こころの自由さをとり戻すには誰にでもある感情、怒りを自分にもあることを認めることです。
自分にもあるという事実を、認めることがポイントです。

それだけで、こころの迷路を抜け出せます。
閉そく感から、解放されるのです。

さらにこれに、プラスしていくべきこともあります。
それは感情そのものの持つ、矛盾も同時に受け入れることです。

この人は怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていましたから、自己主張も悪いものと考えていました。このように怒りを境界として、感情を二分していたのです。

それは白黒テレビのようなものです。
けっして、カラーテレビではありません。

現実を白黒でしか、表せません。
ありのままに、表現できないのです。

よって、現実は白黒テレビのようなものです。
カラーテレビよりは、味気ないのです。

最も本質的なことは、現実はカラーテレビなのです。
現実は、多様性を有しているのです。

さらに、述べます。

  

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2012年08月30日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 139

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

よって事実は、考え≠行動 であることの理解が必要です。
そのための方法を、この人に用いました。

この人は、前述のように「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配」していました。この考えと行動は異なるものだと、認識できればいいのです。

そこでこの人に、こころの中で「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と繰り返してもらいました。おおよそ10分~20分、こころの中でそう繰り返してもらいました。

その繰り返しの中で、こころの中の「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに気付いてもらうためです。

こころの中でその言葉を繰り返していると、こころはその言葉で飽和します。
こころの飽和状態こそが、考えそのもののばかばかしさに気付かせるのです。

この人も10分ぐらい繰り返すうちに、その考えのばかばかしさに気付いてきました。
ただそれでも、ストップしないことが大切です。

最初のうちは20分以上、こころの中で繰り返すことは必要です。
自分の考えのばかばかしさに、あきあきするまで繰り返すのです。

そして20分以上、こころの中で繰り返したらストップします。
もうこころは、その言葉で飽和しました。

そのときには「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに、気付いていたのです。

その結果、考えに引きずられなくなりました。
はっきりと考えと行動を、分けられるようになりました。

なおこれは行動療法の方向からの、改善です。
次に認知療法の方向からの、アプローチを述べます。

この若い女性は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

そこには大きな、こころの歪みがあります。
それを正していくのです。そのための方法が、認知療法です。

この人は「品行方正でなければ」、いけないと思っていました。
それは怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたからです。

ところが当然、誰にでも怒りはあります。
その誰にでもある怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたのです。

この人はこのように信じていましたから、常に生き方は消極的でした。
そしてその消極さにも、こころの不自由さを感じていたのです。

こころの自由さをとり戻すには誰にでもある感情、怒りを自分にもあることを認めることです。
自分にもあるという事実を、認めることがポイントです。

それだけで、こころの迷路を抜け出せます。
閉そく感から、解放されるのです。

さらにこれに、プラスしていくべきこともあります。
それは感情そのものの持つ、矛盾も同時に受け入れることです。

この人は怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていましたから、自己主張も悪いものと考えていました。このように怒りを境界として、感情を二分していたのです。

それは白黒テレビのようなものです。
けっして、カラーテレビではありません。

現実を白黒でしか、表せません。
ありのままに、表現できないのです。

よって、現実は白黒テレビのようなものです。
カラーテレビよりは、味気ないのです。

最も本質的なことは、現実はカラーテレビなのです。
現実は、多様性を有しているのです。

そして現実は多様性を有していると同時に、こころも多様性を有しているのです。
人のこころは矛盾するものを、同時に持っているのです。

さらに、述べます。

  

Posted by counselor at 07:42Comments(0)カウンセリング