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2013年03月01日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 59

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

次回に、さらに述べます。
  

Posted by counselor at 08:42Comments(0)カウンセリング

2013年03月02日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 60

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

次回に、さらに述べます。
  

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2013年03月03日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 61

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

次回に、さらに述べます。
  

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2013年03月04日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 62

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

次回に、さらに述べます。
  

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2013年03月05日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 63

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

次回に、さらに述べます。
  

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2013年03月06日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 64

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

次回に、さらに述べます。
  

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2013年03月07日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 65

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

次回に、さらに述べます。
  

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2013年03月08日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 66

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

この人には現実の中で「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする方法を用いました。それは現実生活を前に進めていくことが、困ったことを解決することと直接結びついているからです。

次回に、さらに述べます。
  

Posted by counselor at 08:37Comments(0)カウンセリング

2013年03月09日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 67

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

この人には現実の中で「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする方法を用いました。それは現実生活を前に進めていくことが、困ったことを解決することと直接結びついているからです。

現実生活で、この人はいつも決められた時間のトップに学校に来ていました。
それを少しずつ、変えていったのです。

次回に、さらに述べます。
  

Posted by counselor at 07:28Comments(0)カウンセリング

2013年03月10日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 68

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

この人には現実の中で「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする方法を用いました。それは現実生活を前に進めていくことが、困ったことを解決することと直接結びついているからです。

現実生活で、この人はいつも決められた時間のトップに学校に来ていました。
それを少しずつ、変えていったのです。

そこでこの人の次に来る人の時間にあわせて、学校に行くことにしました。
最初は不安感がありましたから、いままで通りに家を出て、ファーストフード店でコーヒーを飲んで時間調整をしました。

次回に、さらに述べます。
  

Posted by counselor at 07:13Comments(0)カウンセリング

2013年03月11日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 69

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

この人には現実の中で「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする方法を用いました。それは現実生活を前に進めていくことが、困ったことを解決することと直接結びついているからです。

現実生活で、この人はいつも決められた時間のトップに学校に来ていました。
それを少しずつ、変えていったのです。

そこでこの人の次に来る人の時間にあわせて、学校に行くことにしました。
最初は不安感がありましたから、いままで通りに家を出て、ファーストフード店でコーヒーを飲んで時間調整をしました。

この人の次に来る人は、30分ぐらい前に来ることが多いのです。
その人にあわせているうちに、2時間も前に来ることの無意味さに気付きました。

次回に、さらに述べます。
  

Posted by counselor at 08:44Comments(0)カウンセリング

2013年03月12日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 70

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

この人には現実の中で「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする方法を用いました。それは現実生活を前に進めていくことが、困ったことを解決することと直接結びついているからです。

現実生活で、この人はいつも決められた時間のトップに学校に来ていました。
それを少しずつ、変えていったのです。

そこでこの人の次に来る人の時間にあわせて、学校に行くことにしました。
最初は不安感がありましたから、いままで通りに家を出て、ファーストフード店でコーヒーを飲んで時間調整をしました。

この人の次に来る人は、30分ぐらい前に来ることが多いのです。
その人にあわせているうちに、2時間も前に来ることの無意味さに気付きました。

自分のしていることが、客観化されたのです。
いままでは、主観的に「時間に遅れるかもしれない」と苦しんでいたのです。

次回に、さらに述べます。
  

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2013年03月13日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 71

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

この人には現実の中で「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする方法を用いました。それは現実生活を前に進めていくことが、困ったことを解決することと直接結びついているからです。

現実生活で、この人はいつも決められた時間のトップに学校に来ていました。
それを少しずつ、変えていったのです。

そこでこの人の次に来る人の時間にあわせて、学校に行くことにしました。
最初は不安感がありましたから、いままで通りに家を出て、ファーストフード店でコーヒーを飲んで時間調整をしました。

この人の次に来る人は、30分ぐらい前に来ることが多いのです。
その人にあわせているうちに、2時間も前に来ることの無意味さに気付きました。

自分のしていることが、客観化されたのです。
いままでは、主観的に「時間に遅れるかもしれない」と苦しんでいたのです。

ところが30分ぐらい前に来る人に、あわせているうちに気付きが生まれたのです。
自分のしていることは、「自分で自分を苦しめているだけかもしれない」という気付きです。

次回に、さらに述べます。
  

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2013年03月14日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 72

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

この人には現実の中で「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする方法を用いました。それは現実生活を前に進めていくことが、困ったことを解決することと直接結びついているからです。

現実生活で、この人はいつも決められた時間のトップに学校に来ていました。
それを少しずつ、変えていったのです。

そこでこの人の次に来る人の時間にあわせて、学校に行くことにしました。
最初は不安感がありましたから、いままで通りに家を出て、ファーストフード店でコーヒーを飲んで時間調整をしました。

この人の次に来る人は、30分ぐらい前に来ることが多いのです。
その人にあわせているうちに、2時間も前に来ることの無意味さに気付きました。

自分のしていることが、客観化されたのです。
いままでは、主観的に「時間に遅れるかもしれない」と苦しんでいたのです。

ところが30分ぐらい前に来る人に、あわせているうちに気付きが生まれたのです。
自分のしていることは、「自分で自分を苦しめているだけかもしれない」という気付きです。

そしてそれは同時に、自分に対する信頼感の芽生えです。
自分自身を信頼できるように、なってきたのです。

次回に、さらに述べます。
  

Posted by counselor at 07:35Comments(0)カウンセリング

2013年03月15日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 73

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

この人には現実の中で「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする方法を用いました。それは現実生活を前に進めていくことが、困ったことを解決することと直接結びついているからです。

現実生活で、この人はいつも決められた時間のトップに学校に来ていました。
それを少しずつ、変えていったのです。

そこでこの人の次に来る人の時間にあわせて、学校に行くことにしました。
最初は不安感がありましたから、いままで通りに家を出て、ファーストフード店でコーヒーを飲んで時間調整をしました。

この人の次に来る人は、30分ぐらい前に来ることが多いのです。
その人にあわせているうちに、2時間も前に来ることの無意味さに気付きました。

自分のしていることが、客観化されたのです。
いままでは、主観的に「時間に遅れるかもしれない」と苦しんでいたのです。

ところが30分ぐらい前に来る人に、あわせているうちに気付きが生まれたのです。
自分のしていることは、「自分で自分を苦しめているだけかもしれない」という気付きです。

そしてそれは同時に、自分に対する信頼感の芽生えです。
自分自身を信頼できるように、なってきたのです。

精神分析療法のように考えれば、「基本的な信頼」が確立されたのです。
それを精神分析療法では、自由連想法を通して行います。

同じようにクライエント中心療法ではカウンセラーとの関係性により行い、認知行動では認知と行動の修正により行います。

次回に、さらに述べます。
  

Posted by counselor at 08:22Comments(0)カウンセリング

2013年03月16日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 74

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

この人には現実の中で「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする方法を用いました。それは現実生活を前に進めていくことが、困ったことを解決することと直接結びついているからです。

現実生活で、この人はいつも決められた時間のトップに学校に来ていました。
それを少しずつ、変えていったのです。

そこでこの人の次に来る人の時間にあわせて、学校に行くことにしました。
最初は不安感がありましたから、いままで通りに家を出て、ファーストフード店でコーヒーを飲んで時間調整をしました。

この人の次に来る人は、30分ぐらい前に来ることが多いのです。
その人にあわせているうちに、2時間も前に来ることの無意味さに気付きました。

自分のしていることが、客観化されたのです。
いままでは、主観的に「時間に遅れるかもしれない」と苦しんでいたのです。

ところが30分ぐらい前に来る人に、あわせているうちに気付きが生まれたのです。
自分のしていることは、「自分で自分を苦しめているだけかもしれない」という気付きです。

そしてそれは同時に、自分に対する信頼感の芽生えです。
自分自身を信頼できるように、なってきたのです。

精神分析療法のように考えれば、「基本的な信頼」が確立されたのです。
それを精神分析療法では、自由連想法を通して行います。

同じようにクライエント中心療法ではカウンセラーとの関係性により行い、認知行動では認知と行動の修正により行います。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
より正確には現実の中で、現実行動により信頼感を育みました。

次回に、さらに述べます。
  

Posted by counselor at 08:54Comments(0)カウンセリング

2013年03月17日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 75

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

この人には現実の中で「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする方法を用いました。それは現実生活を前に進めていくことが、困ったことを解決することと直接結びついているからです。

現実生活で、この人はいつも決められた時間のトップに学校に来ていました。
それを少しずつ、変えていったのです。

そこでこの人の次に来る人の時間にあわせて、学校に行くことにしました。
最初は不安感がありましたから、いままで通りに家を出て、ファーストフード店でコーヒーを飲んで時間調整をしました。

この人の次に来る人は、30分ぐらい前に来ることが多いのです。
その人にあわせているうちに、2時間も前に来ることの無意味さに気付きました。

自分のしていることが、客観化されたのです。
いままでは、主観的に「時間に遅れるかもしれない」と苦しんでいたのです。

ところが30分ぐらい前に来る人に、あわせているうちに気付きが生まれたのです。
自分のしていることは、「自分で自分を苦しめているだけかもしれない」という気付きです。

そしてそれは同時に、自分に対する信頼感の芽生えです。
自分自身を信頼できるように、なってきたのです。

精神分析療法のように考えれば、「基本的な信頼」が確立されたのです。
それを精神分析療法では、自由連想法を通して行います。

同じようにクライエント中心療法ではカウンセラーとの関係性により行い、認知行動では認知と行動の修正により行います。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
より正確には現実の中で、現実行動により信頼感を育みました。

いままでは「時間に遅れるかもしれない」と考えて、2~3時間も前に来るぐらい「基本的な信頼」はぐらぐらしていました。その人が、30分ぐらい前に来ることでOKになったのです。

次回に、さらに述べます。
  

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2013年03月18日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 76

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

この人には現実の中で「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする方法を用いました。それは現実生活を前に進めていくことが、困ったことを解決することと直接結びついているからです。

現実生活で、この人はいつも決められた時間のトップに学校に来ていました。
それを少しずつ、変えていったのです。

そこでこの人の次に来る人の時間にあわせて、学校に行くことにしました。
最初は不安感がありましたから、いままで通りに家を出て、ファーストフード店でコーヒーを飲んで時間調整をしました。

この人の次に来る人は、30分ぐらい前に来ることが多いのです。
その人にあわせているうちに、2時間も前に来ることの無意味さに気付きました。

自分のしていることが、客観化されたのです。
いままでは、主観的に「時間に遅れるかもしれない」と苦しんでいたのです。

ところが30分ぐらい前に来る人に、あわせているうちに気付きが生まれたのです。
自分のしていることは、「自分で自分を苦しめているだけかもしれない」という気付きです。

そしてそれは同時に、自分に対する信頼感の芽生えです。
自分自身を信頼できるように、なってきたのです。

精神分析療法のように考えれば、「基本的な信頼」が確立されたのです。
それを精神分析療法では、自由連想法を通して行います。

同じようにクライエント中心療法ではカウンセラーとの関係性により行い、認知行動では認知と行動の修正により行います。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
より正確には現実の中で、現実行動により信頼感を育みました。

いままでは「時間に遅れるかもしれない」と考えて、2~3時間も前に来るぐらい「基本的な信頼」はぐらぐらしていました。その人が、30分ぐらい前に来ることでOKになったのです。

このように現実行動を通して、信頼感を育んでいくのです。
当然、そこにはクライエント中心療法のようなカウンセラーとの関係性も入り込んでいます。

次回に、さらに述べます。
  

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2013年03月19日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 77

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

この人には現実の中で「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする方法を用いました。それは現実生活を前に進めていくことが、困ったことを解決することと直接結びついているからです。

現実生活で、この人はいつも決められた時間のトップに学校に来ていました。
それを少しずつ、変えていったのです。

そこでこの人の次に来る人の時間にあわせて、学校に行くことにしました。
最初は不安感がありましたから、いままで通りに家を出て、ファーストフード店でコーヒーを飲んで時間調整をしました。

この人の次に来る人は、30分ぐらい前に来ることが多いのです。
その人にあわせているうちに、2時間も前に来ることの無意味さに気付きました。

自分のしていることが、客観化されたのです。
いままでは、主観的に「時間に遅れるかもしれない」と苦しんでいたのです。

ところが30分ぐらい前に来る人に、あわせているうちに気付きが生まれたのです。
自分のしていることは、「自分で自分を苦しめているだけかもしれない」という気付きです。

そしてそれは同時に、自分に対する信頼感の芽生えです。
自分自身を信頼できるように、なってきたのです。

精神分析療法のように考えれば、「基本的な信頼」が確立されたのです。
それを精神分析療法では、自由連想法を通して行います。

同じようにクライエント中心療法ではカウンセラーとの関係性により行い、認知行動では認知と行動の修正により行います。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
より正確には現実の中で、現実行動により信頼感を育みました。

いままでは「時間に遅れるかもしれない」と考えて、2~3時間も前に来るぐらい「基本的な信頼」はぐらぐらしていました。その人が、30分ぐらい前に来ることでOKになったのです。

このように現実行動を通して、信頼感を育んでいくのです。
当然、そこにはクライエント中心療法のようなカウンセラーとの関係性も入り込んでいます。

広い意味では、精神分析療法のような解釈も入っています。
単純に、一つの心理療法と言いきれないのです。

次回に、さらに述べます。
  

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2013年03月20日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 78

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

この人には現実の中で「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする方法を用いました。それは現実生活を前に進めていくことが、困ったことを解決することと直接結びついているからです。

現実生活で、この人はいつも決められた時間のトップに学校に来ていました。
それを少しずつ、変えていったのです。

そこでこの人の次に来る人の時間にあわせて、学校に行くことにしました。
最初は不安感がありましたから、いままで通りに家を出て、ファーストフード店でコーヒーを飲んで時間調整をしました。

この人の次に来る人は、30分ぐらい前に来ることが多いのです。
その人にあわせているうちに、2時間も前に来ることの無意味さに気付きました。

自分のしていることが、客観化されたのです。
いままでは、主観的に「時間に遅れるかもしれない」と苦しんでいたのです。

ところが30分ぐらい前に来る人に、あわせているうちに気付きが生まれたのです。
自分のしていることは、「自分で自分を苦しめているだけかもしれない」という気付きです。

そしてそれは同時に、自分に対する信頼感の芽生えです。
自分自身を信頼できるように、なってきたのです。

精神分析療法のように考えれば、「基本的な信頼」が確立されたのです。
それを精神分析療法では、自由連想法を通して行います。

同じようにクライエント中心療法ではカウンセラーとの関係性により行い、認知行動では認知と行動の修正により行います。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
より正確には現実の中で、現実行動により信頼感を育みました。

いままでは「時間に遅れるかもしれない」と考えて、2~3時間も前に来るぐらい「基本的な信頼」はぐらぐらしていました。その人が、30分ぐらい前に来ることでOKになったのです。

このように現実行動を通して、信頼感を育んでいくのです。
当然、そこにはクライエント中心療法のようなカウンセラーとの関係性も入り込んでいます。

広い意味では、精神分析療法のような解釈も入っています。
単純に、一つの心理療法と言いきれないのです。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
それは困っていることと、行動による解決は直線的なつながりがあるからです。

次回に、さらに述べます。
  

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2013年03月21日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 79

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

この人には現実の中で「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする方法を用いました。それは現実生活を前に進めていくことが、困ったことを解決することと直接結びついているからです。

現実生活で、この人はいつも決められた時間のトップに学校に来ていました。
それを少しずつ、変えていったのです。

そこでこの人の次に来る人の時間にあわせて、学校に行くことにしました。
最初は不安感がありましたから、いままで通りに家を出て、ファーストフード店でコーヒーを飲んで時間調整をしました。

この人の次に来る人は、30分ぐらい前に来ることが多いのです。
その人にあわせているうちに、2時間も前に来ることの無意味さに気付きました。

自分のしていることが、客観化されたのです。
いままでは、主観的に「時間に遅れるかもしれない」と苦しんでいたのです。

ところが30分ぐらい前に来る人に、あわせているうちに気付きが生まれたのです。
自分のしていることは、「自分で自分を苦しめているだけかもしれない」という気付きです。

そしてそれは同時に、自分に対する信頼感の芽生えです。
自分自身を信頼できるように、なってきたのです。

精神分析療法のように考えれば、「基本的な信頼」が確立されたのです。
それを精神分析療法では、自由連想法を通して行います。

同じようにクライエント中心療法ではカウンセラーとの関係性により行い、認知行動では認知と行動の修正により行います。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
より正確には現実の中で、現実行動により信頼感を育みました。

いままでは「時間に遅れるかもしれない」と考えて、2~3時間も前に来るぐらい「基本的な信頼」はぐらぐらしていました。その人が、30分ぐらい前に来ることでOKになったのです。

このように現実行動を通して、信頼感を育んでいくのです。
当然、そこにはクライエント中心療法のようなカウンセラーとの関係性も入り込んでいます。

広い意味では、精神分析療法のような解釈も入っています。
単純に、一つの心理療法と言いきれないのです。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
それは困っていることと、行動による解決は直線的なつながりがあるからです。

行動により、「時間に遅れるかもしれない」という考えの不合理性に気付くのです。
このように行動と、解決は直線的につながっています。

次回に、さらに述べます。
  

Posted by counselor at 08:39Comments(0)カウンセリング

2013年03月22日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 80

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

この人には現実の中で「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする方法を用いました。それは現実生活を前に進めていくことが、困ったことを解決することと直接結びついているからです。

現実生活で、この人はいつも決められた時間のトップに学校に来ていました。
それを少しずつ、変えていったのです。

そこでこの人の次に来る人の時間にあわせて、学校に行くことにしました。
最初は不安感がありましたから、いままで通りに家を出て、ファーストフード店でコーヒーを飲んで時間調整をしました。

この人の次に来る人は、30分ぐらい前に来ることが多いのです。
その人にあわせているうちに、2時間も前に来ることの無意味さに気付きました。

自分のしていることが、客観化されたのです。
いままでは、主観的に「時間に遅れるかもしれない」と苦しんでいたのです。

ところが30分ぐらい前に来る人に、あわせているうちに気付きが生まれたのです。
自分のしていることは、「自分で自分を苦しめているだけかもしれない」という気付きです。

そしてそれは同時に、自分に対する信頼感の芽生えです。
自分自身を信頼できるように、なってきたのです。

精神分析療法のように考えれば、「基本的な信頼」が確立されたのです。
それを精神分析療法では、自由連想法を通して行います。

同じようにクライエント中心療法ではカウンセラーとの関係性により行い、認知行動では認知と行動の修正により行います。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
より正確には現実の中で、現実行動により信頼感を育みました。

いままでは「時間に遅れるかもしれない」と考えて、2~3時間も前に来るぐらい「基本的な信頼」はぐらぐらしていました。その人が、30分ぐらい前に来ることでOKになったのです。

このように現実行動を通して、信頼感を育んでいくのです。
当然、そこにはクライエント中心療法のようなカウンセラーとの関係性も入り込んでいます。

広い意味では、精神分析療法のような解釈も入っています。
単純に、一つの心理療法と言いきれないのです。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
それは困っていることと、行動による解決は直線的なつながりがあるからです。

行動により、「時間に遅れるかもしれない」という考えの不合理性に気付くのです。
このように行動と、解決は直線的につながっています。

現実生活そのものが、解決の土台になります。
この点は、森田療法にも通じています。

次回に、さらに述べます。
  

Posted by counselor at 07:32Comments(0)カウンセリング

2013年03月23日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 81

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

この人には現実の中で「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする方法を用いました。それは現実生活を前に進めていくことが、困ったことを解決することと直接結びついているからです。

現実生活で、この人はいつも決められた時間のトップに学校に来ていました。
それを少しずつ、変えていったのです。

そこでこの人の次に来る人の時間にあわせて、学校に行くことにしました。
最初は不安感がありましたから、いままで通りに家を出て、ファーストフード店でコーヒーを飲んで時間調整をしました。

この人の次に来る人は、30分ぐらい前に来ることが多いのです。
その人にあわせているうちに、2時間も前に来ることの無意味さに気付きました。

自分のしていることが、客観化されたのです。
いままでは、主観的に「時間に遅れるかもしれない」と苦しんでいたのです。

ところが30分ぐらい前に来る人に、あわせているうちに気付きが生まれたのです。
自分のしていることは、「自分で自分を苦しめているだけかもしれない」という気付きです。

そしてそれは同時に、自分に対する信頼感の芽生えです。
自分自身を信頼できるように、なってきたのです。

精神分析療法のように考えれば、「基本的な信頼」が確立されたのです。
それを精神分析療法では、自由連想法を通して行います。

同じようにクライエント中心療法ではカウンセラーとの関係性により行い、認知行動では認知と行動の修正により行います。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
より正確には現実の中で、現実行動により信頼感を育みました。

いままでは「時間に遅れるかもしれない」と考えて、2~3時間も前に来るぐらい「基本的な信頼」はぐらぐらしていました。その人が、30分ぐらい前に来ることでOKになったのです。

このように現実行動を通して、信頼感を育んでいくのです。
当然、そこにはクライエント中心療法のようなカウンセラーとの関係性も入り込んでいます。

広い意味では、精神分析療法のような解釈も入っています。
単純に、一つの心理療法と言いきれないのです。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
それは困っていることと、行動による解決は直線的なつながりがあるからです。

行動により、「時間に遅れるかもしれない」という考えの不合理性に気付くのです。
このように行動と、解決は直線的につながっています。

現実生活そのものが、解決の土台になります。
この点は、森田療法にも通じています。

ただし森田療法のような、師弟関係を用いることはありません。
あくまでも、カウンセラーは中立性を保ちます。

次回に、さらに述べます。
  

Posted by counselor at 07:27Comments(0)カウンセリング

2013年03月24日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 82

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

この人には現実の中で「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする方法を用いました。それは現実生活を前に進めていくことが、困ったことを解決することと直接結びついているからです。

現実生活で、この人はいつも決められた時間のトップに学校に来ていました。
それを少しずつ、変えていったのです。

そこでこの人の次に来る人の時間にあわせて、学校に行くことにしました。
最初は不安感がありましたから、いままで通りに家を出て、ファーストフード店でコーヒーを飲んで時間調整をしました。

この人の次に来る人は、30分ぐらい前に来ることが多いのです。
その人にあわせているうちに、2時間も前に来ることの無意味さに気付きました。

自分のしていることが、客観化されたのです。
いままでは、主観的に「時間に遅れるかもしれない」と苦しんでいたのです。

ところが30分ぐらい前に来る人に、あわせているうちに気付きが生まれたのです。
自分のしていることは、「自分で自分を苦しめているだけかもしれない」という気付きです。

そしてそれは同時に、自分に対する信頼感の芽生えです。
自分自身を信頼できるように、なってきたのです。

精神分析療法のように考えれば、「基本的な信頼」が確立されたのです。
それを精神分析療法では、自由連想法を通して行います。

同じようにクライエント中心療法ではカウンセラーとの関係性により行い、認知行動では認知と行動の修正により行います。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
より正確には現実の中で、現実行動により信頼感を育みました。

いままでは「時間に遅れるかもしれない」と考えて、2~3時間も前に来るぐらい「基本的な信頼」はぐらぐらしていました。その人が、30分ぐらい前に来ることでOKになったのです。

このように現実行動を通して、信頼感を育んでいくのです。
当然、そこにはクライエント中心療法のようなカウンセラーとの関係性も入り込んでいます。

広い意味では、精神分析療法のような解釈も入っています。
単純に、一つの心理療法と言いきれないのです。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
それは困っていることと、行動による解決は直線的なつながりがあるからです。

行動により、「時間に遅れるかもしれない」という考えの不合理性に気付くのです。
このように行動と、解決は直線的につながっています。

現実生活そのものが、解決の土台になります。
この点は、森田療法にも通じています。

ただし森田療法のような、師弟関係を用いることはありません。
あくまでも、カウンセラーは中立性を保ちます。

カウンセラーは客観的な中立的な立場に、軸足を置きます。
これは、科学的な立場です。

次回に、さらに述べます。
  

Posted by counselor at 07:37Comments(0)カウンセリング

2013年03月25日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 83

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

この人には現実の中で「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする方法を用いました。それは現実生活を前に進めていくことが、困ったことを解決することと直接結びついているからです。

現実生活で、この人はいつも決められた時間のトップに学校に来ていました。
それを少しずつ、変えていったのです。

そこでこの人の次に来る人の時間にあわせて、学校に行くことにしました。
最初は不安感がありましたから、いままで通りに家を出て、ファーストフード店でコーヒーを飲んで時間調整をしました。

この人の次に来る人は、30分ぐらい前に来ることが多いのです。
その人にあわせているうちに、2時間も前に来ることの無意味さに気付きました。

自分のしていることが、客観化されたのです。
いままでは、主観的に「時間に遅れるかもしれない」と苦しんでいたのです。

ところが30分ぐらい前に来る人に、あわせているうちに気付きが生まれたのです。
自分のしていることは、「自分で自分を苦しめているだけかもしれない」という気付きです。

そしてそれは同時に、自分に対する信頼感の芽生えです。
自分自身を信頼できるように、なってきたのです。

精神分析療法のように考えれば、「基本的な信頼」が確立されたのです。
それを精神分析療法では、自由連想法を通して行います。

同じようにクライエント中心療法ではカウンセラーとの関係性により行い、認知行動では認知と行動の修正により行います。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
より正確には現実の中で、現実行動により信頼感を育みました。

いままでは「時間に遅れるかもしれない」と考えて、2~3時間も前に来るぐらい「基本的な信頼」はぐらぐらしていました。その人が、30分ぐらい前に来ることでOKになったのです。

このように現実行動を通して、信頼感を育んでいくのです。
当然、そこにはクライエント中心療法のようなカウンセラーとの関係性も入り込んでいます。

広い意味では、精神分析療法のような解釈も入っています。
単純に、一つの心理療法と言いきれないのです。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
それは困っていることと、行動による解決は直線的なつながりがあるからです。

行動により、「時間に遅れるかもしれない」という考えの不合理性に気付くのです。
このように行動と、解決は直線的につながっています。

現実生活そのものが、解決の土台になります。
この点は、森田療法にも通じています。

ただし森田療法のような、師弟関係を用いることはありません。
あくまでも、カウンセラーは中立性を保ちます。

カウンセラーは客観的な中立的な立場に、軸足を置きます。
これは、科学的な立場です。

科学的な立場ゆえに、到着時間も段階的に変えていきました。
30分ぐらい前から、20分ぐらい前に到着時間を変えました。

次回に、さらに述べます。
  

Posted by counselor at 07:27Comments(0)カウンセリング

2013年03月26日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 84

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

この人には現実の中で「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする方法を用いました。それは現実生活を前に進めていくことが、困ったことを解決することと直接結びついているからです。

現実生活で、この人はいつも決められた時間のトップに学校に来ていました。
それを少しずつ、変えていったのです。

そこでこの人の次に来る人の時間にあわせて、学校に行くことにしました。
最初は不安感がありましたから、いままで通りに家を出て、ファーストフード店でコーヒーを飲んで時間調整をしました。

この人の次に来る人は、30分ぐらい前に来ることが多いのです。
その人にあわせているうちに、2時間も前に来ることの無意味さに気付きました。

自分のしていることが、客観化されたのです。
いままでは、主観的に「時間に遅れるかもしれない」と苦しんでいたのです。

ところが30分ぐらい前に来る人に、あわせているうちに気付きが生まれたのです。
自分のしていることは、「自分で自分を苦しめているだけかもしれない」という気付きです。

そしてそれは同時に、自分に対する信頼感の芽生えです。
自分自身を信頼できるように、なってきたのです。

精神分析療法のように考えれば、「基本的な信頼」が確立されたのです。
それを精神分析療法では、自由連想法を通して行います。

同じようにクライエント中心療法ではカウンセラーとの関係性により行い、認知行動では認知と行動の修正により行います。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
より正確には現実の中で、現実行動により信頼感を育みました。

いままでは「時間に遅れるかもしれない」と考えて、2~3時間も前に来るぐらい「基本的な信頼」はぐらぐらしていました。その人が、30分ぐらい前に来ることでOKになったのです。

このように現実行動を通して、信頼感を育んでいくのです。
当然、そこにはクライエント中心療法のようなカウンセラーとの関係性も入り込んでいます。

広い意味では、精神分析療法のような解釈も入っています。
単純に、一つの心理療法と言いきれないのです。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
それは困っていることと、行動による解決は直線的なつながりがあるからです。

行動により、「時間に遅れるかもしれない」という考えの不合理性に気付くのです。
このように行動と、解決は直線的につながっています。

現実生活そのものが、解決の土台になります。
この点は、森田療法にも通じています。

ただし森田療法のような、師弟関係を用いることはありません。
あくまでも、カウンセラーは中立性を保ちます。

カウンセラーは客観的な中立的な立場に、軸足を置きます。
これは、科学的な立場です。

科学的な立場ゆえに、到着時間も段階的に変えていきました。
30分ぐらい前から、20分ぐらい前に到着時間を変えました。

このときに大切なことがあります。
それは30分ぐらい前の到着時間でOKと確信できたら、次に進むことです。

次回に、さらに述べます。
  

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2013年03月27日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 85

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

この人には現実の中で「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする方法を用いました。それは現実生活を前に進めていくことが、困ったことを解決することと直接結びついているからです。

現実生活で、この人はいつも決められた時間のトップに学校に来ていました。
それを少しずつ、変えていったのです。

そこでこの人の次に来る人の時間にあわせて、学校に行くことにしました。
最初は不安感がありましたから、いままで通りに家を出て、ファーストフード店でコーヒーを飲んで時間調整をしました。

この人の次に来る人は、30分ぐらい前に来ることが多いのです。
その人にあわせているうちに、2時間も前に来ることの無意味さに気付きました。

自分のしていることが、客観化されたのです。
いままでは、主観的に「時間に遅れるかもしれない」と苦しんでいたのです。

ところが30分ぐらい前に来る人に、あわせているうちに気付きが生まれたのです。
自分のしていることは、「自分で自分を苦しめているだけかもしれない」という気付きです。

そしてそれは同時に、自分に対する信頼感の芽生えです。
自分自身を信頼できるように、なってきたのです。

精神分析療法のように考えれば、「基本的な信頼」が確立されたのです。
それを精神分析療法では、自由連想法を通して行います。

同じようにクライエント中心療法ではカウンセラーとの関係性により行い、認知行動では認知と行動の修正により行います。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
より正確には現実の中で、現実行動により信頼感を育みました。

いままでは「時間に遅れるかもしれない」と考えて、2~3時間も前に来るぐらい「基本的な信頼」はぐらぐらしていました。その人が、30分ぐらい前に来ることでOKになったのです。

このように現実行動を通して、信頼感を育んでいくのです。
当然、そこにはクライエント中心療法のようなカウンセラーとの関係性も入り込んでいます。

広い意味では、精神分析療法のような解釈も入っています。
単純に、一つの心理療法と言いきれないのです。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
それは困っていることと、行動による解決は直線的なつながりがあるからです。

行動により、「時間に遅れるかもしれない」という考えの不合理性に気付くのです。
このように行動と、解決は直線的につながっています。

現実生活そのものが、解決の土台になります。
この点は、森田療法にも通じています。

ただし森田療法のような、師弟関係を用いることはありません。
あくまでも、カウンセラーは中立性を保ちます。

カウンセラーは客観的な中立的な立場に、軸足を置きます。
これは、科学的な立場です。

科学的な立場ゆえに、到着時間も段階的に変えていきました。
30分ぐらい前から、20分ぐらい前に到着時間を変えました。

このときに大切なことがあります。
それは30分ぐらい前の到着時間でOKと確信できたら、次に進むことです。

言いかえれば、「不安をゼロ」にしてから次のステップに進みます。
これが最も効果的な、進み方です。

次回に、さらに述べます。
  

Posted by counselor at 07:15Comments(0)カウンセリング

2013年03月28日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 86

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

この人には現実の中で「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする方法を用いました。それは現実生活を前に進めていくことが、困ったことを解決することと直接結びついているからです。

現実生活で、この人はいつも決められた時間のトップに学校に来ていました。
それを少しずつ、変えていったのです。

そこでこの人の次に来る人の時間にあわせて、学校に行くことにしました。
最初は不安感がありましたから、いままで通りに家を出て、ファーストフード店でコーヒーを飲んで時間調整をしました。

この人の次に来る人は、30分ぐらい前に来ることが多いのです。
その人にあわせているうちに、2時間も前に来ることの無意味さに気付きました。

自分のしていることが、客観化されたのです。
いままでは、主観的に「時間に遅れるかもしれない」と苦しんでいたのです。

ところが30分ぐらい前に来る人に、あわせているうちに気付きが生まれたのです。
自分のしていることは、「自分で自分を苦しめているだけかもしれない」という気付きです。

そしてそれは同時に、自分に対する信頼感の芽生えです。
自分自身を信頼できるように、なってきたのです。

精神分析療法のように考えれば、「基本的な信頼」が確立されたのです。
それを精神分析療法では、自由連想法を通して行います。

同じようにクライエント中心療法ではカウンセラーとの関係性により行い、認知行動では認知と行動の修正により行います。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
より正確には現実の中で、現実行動により信頼感を育みました。

いままでは「時間に遅れるかもしれない」と考えて、2~3時間も前に来るぐらい「基本的な信頼」はぐらぐらしていました。その人が、30分ぐらい前に来ることでOKになったのです。

このように現実行動を通して、信頼感を育んでいくのです。
当然、そこにはクライエント中心療法のようなカウンセラーとの関係性も入り込んでいます。

広い意味では、精神分析療法のような解釈も入っています。
単純に、一つの心理療法と言いきれないのです。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
それは困っていることと、行動による解決は直線的なつながりがあるからです。

行動により、「時間に遅れるかもしれない」という考えの不合理性に気付くのです。
このように行動と、解決は直線的につながっています。

現実生活そのものが、解決の土台になります。
この点は、森田療法にも通じています。

ただし森田療法のような、師弟関係を用いることはありません。
あくまでも、カウンセラーは中立性を保ちます。

カウンセラーは客観的な中立的な立場に、軸足を置きます。
これは、科学的な立場です。

科学的な立場ゆえに、到着時間も段階的に変えていきました。
30分ぐらい前から、20分ぐらい前に到着時間を変えました。

このときに大切なことがあります。
それは30分ぐらい前の到着時間でOKと確信できたら、次に進むことです。

言いかえれば、「不安をゼロ」にしてから次のステップに進みます。
これが最も効果的な、進み方です。

この人も「不安をゼロ」にして、次のステップを進みました。
そうするうちに、到着時間に対する執着も弱まったのです。

次回に、さらに述べます。
  

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2013年03月29日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 87

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

この人には現実の中で「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする方法を用いました。それは現実生活を前に進めていくことが、困ったことを解決することと直接結びついているからです。

現実生活で、この人はいつも決められた時間のトップに学校に来ていました。
それを少しずつ、変えていったのです。

そこでこの人の次に来る人の時間にあわせて、学校に行くことにしました。
最初は不安感がありましたから、いままで通りに家を出て、ファーストフード店でコーヒーを飲んで時間調整をしました。

この人の次に来る人は、30分ぐらい前に来ることが多いのです。
その人にあわせているうちに、2時間も前に来ることの無意味さに気付きました。

自分のしていることが、客観化されたのです。
いままでは、主観的に「時間に遅れるかもしれない」と苦しんでいたのです。

ところが30分ぐらい前に来る人に、あわせているうちに気付きが生まれたのです。
自分のしていることは、「自分で自分を苦しめているだけかもしれない」という気付きです。

そしてそれは同時に、自分に対する信頼感の芽生えです。
自分自身を信頼できるように、なってきたのです。

精神分析療法のように考えれば、「基本的な信頼」が確立されたのです。
それを精神分析療法では、自由連想法を通して行います。

同じようにクライエント中心療法ではカウンセラーとの関係性により行い、認知行動では認知と行動の修正により行います。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
より正確には現実の中で、現実行動により信頼感を育みました。

いままでは「時間に遅れるかもしれない」と考えて、2~3時間も前に来るぐらい「基本的な信頼」はぐらぐらしていました。その人が、30分ぐらい前に来ることでOKになったのです。

このように現実行動を通して、信頼感を育んでいくのです。
当然、そこにはクライエント中心療法のようなカウンセラーとの関係性も入り込んでいます。

広い意味では、精神分析療法のような解釈も入っています。
単純に、一つの心理療法と言いきれないのです。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
それは困っていることと、行動による解決は直線的なつながりがあるからです。

行動により、「時間に遅れるかもしれない」という考えの不合理性に気付くのです。
このように行動と、解決は直線的につながっています。

現実生活そのものが、解決の土台になります。
この点は、森田療法にも通じています。

ただし森田療法のような、師弟関係を用いることはありません。
あくまでも、カウンセラーは中立性を保ちます。

カウンセラーは客観的な中立的な立場に、軸足を置きます。
これは、科学的な立場です。

科学的な立場ゆえに、到着時間も段階的に変えていきました。
30分ぐらい前から、20分ぐらい前に到着時間を変えました。

このときに大切なことがあります。
それは30分ぐらい前の到着時間でOKと確信できたら、次に進むことです。

言いかえれば、「不安をゼロ」にしてから次のステップに進みます。
これが最も効果的な、進み方です。

この人も「不安をゼロ」にして、次のステップを進みました。
そうするうちに、到着時間に対する執着も弱まったのです。

言いかえれば、到着時間に対するこだわりも弱まったのです。
多くの神経症の人は、こだわりが強いのです。

次回に、さらに述べます。
  

Posted by counselor at 08:45Comments(0)カウンセリング

2013年03月30日

神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法 88

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今日も、「神経症の人が時間にゆとりを持って生きる方法」を述べます。

神経症の人は、常に時間に追われています。
そのために、「急いてはことを仕損じる」ことになりがちです。
逆に言えば、「ゆとりを持って生きる方法」をマスターするだけで大きな効果をあげます。

あるサラリーマンは通勤電車の中で、「電車に事故が起きたら遅刻する」と心配です。
そのために、とても早い時間に家を出ます。

多くの場合、事故は起きません。
しかし心配で、心配でしょうがないのです。

会社でも、基本的には同じです。
常に時間に、追われています。

仕事でも、常に締め切りに追われています。
普通にかまえていれば何でもない事でも、時間に追われています。

特に部下が自分に報告書を早く提出するか、心配です。
これは自分のすることではないがゆえに、とても心配になります。

あまりうるさい事を言うと、嫌がられます。
言わないと、自分が不安です。

このように自分の心配ゆえに、部下との関係もぎくしゃくします。
また部下に支持したときも、心配が起きます。

それは部下は、「ミスをするにちがいない」と考えるからです。
部下はミスをするという前提で、ものごとを考えるのです。

最初からそのミスを正す時間が、計画におり込まれているのです。
よって、「時間にゆとりを持てない」のです。

このように、「あれこれ終わらせるには時間がない」と考える人がいます。
その人は、「何もかも今すぐやろう」とするのです。

それゆえに「急いてはことを仕損じる」ことも、多いのです。
その結果、この悪循環はさらに深まります。

このように神経症の人が時間にゆとりを持って生きられないのは、こころの中心に問題があります。それは「ばくぜんとした不安」がこころの中心にあるためです。

そのために自分の目の前に、危険が迫っているのです。
横断歩道で信号が青に変わるのを待っていても、多くの人は不安は感じません。

しかし過去に、横断歩道で立ち止まっていて事故にあった人は不安になりがちです。
その人は、その場所で「ばくぜんとした不安」におそわれるのです。

この場合は、場所と「ばくぜんとした不安」が直接結びついています。
しかし多くの神経症の人は、どこでも「ばくぜんとした不安」がただようのです。

それは神経症の人のこころの中心に「ばくぜんとした不安」があるためです。
神経症的な不安、非生産的な不安です。

このように神経症の人の「ばくぜんとした不安」は、その時間感覚を通してその人に現れます。
よってその時間感覚の方向から、神経症の改善をこころみる事も可能です。

言いかえれば「いつも時間に追われている人」は、神経症的な「ばくぜんとした不安」を持っている人です。よって気持ちのうえで時間にゆとりが持てれば、神経症的な「ばくぜんとした不安」も弱まります。

そのために、先ずあなたの時間に対するプレッシャーの程度を知ることも必要です。
次の質問にイエス、ノウで答えてください。

Ⅰ 将来、「悪いことが起きたら」と心配しがち

Ⅱ 会話において、相手に結論をせかせがち

Ⅲ レポートや、提出書類の締切日を気にしがち

Ⅳ 約束の時間よりも、かなり早い時間に目的地に着くことが多い

Ⅴ いつも「遅刻しないか」と気にして、自分で時計を5分以上進めている

Ⅵ 多くの場合に最悪の結果を考えて、そのための準備もしがち

Ⅶ 時間に常に、追われているように感じる

Ⅷ じっと落ちついて、平静にしていられない

この質問にイエスが半分以上の人は、時間に対するプレッシャーの程度は高いと言えます。イエスの数にして1~2ぐらいにできれば、かなり社会生活も楽になります。

このように時間に対するプレッシャーは、生活を狭めます。
私たちは誰でも1日24時間を、生活しています。

しかしゆとりを持って1日24時間を生活している人もいますし、逆の人もいます。
神経症の人は多くの場合、後者です。

同じ時間が、人によって異なるのです。
正確に言えば、物理的に同じ時間であっても人によって異なって感じられるのです。

これは時間感覚は、気持ちの問題だからです。
どうしても切迫感のある人は、セカセカしています。

セカセカしているがゆえに、ミスもしがちです。
ミスをしがちゆえに、よけいにセカセカします。

このような悪循環に、神経症の人は入っています。
それゆえに時間にゆとりを持って、生きられません。

神経症の人は、時間との付き合い方が不器用なのです。
それゆえに、時間にゆとりを持って生きられません。

その不器用さを改善することが、大切です。
不器用さが改善されればされるほど、時間にゆとりを持って生きられます。

そのためにも、「時間に(気持ちの)ゆとりを持つ方法」をマスターすることは意味があります。
これからその方法を、述べます。

先ず「切迫感から焦らない」ことが、大切です。
陸上競技の100メートルの選手は、ピストルの音に集中しています。

100分の1秒が、勝負だからです。
その状況であっても、「切迫感から焦らない」ことは大切です。

逆に言えば、100分の1秒が勝負だからこそ焦ってはいけません。
冷静でなければいけないのです。

もし冷静でなかったら、フライングするかもしれません。
最悪の結果に、なるのです。

このように100分の1秒の勝負でも、焦りは禁物です。
それに私達は100メートルの、ランナーではありません。

もっとゆとりを持って、いいのです。
ゆとりを持って、生活できるのです。

現実はゆとりを持って、生活できる状況です。
ただし将来に対する予測から、不安になっているのです。

「人は予測により不安になる」のです。
このように不安は、こころの中にあります。

このような人が解決方法をさがし出せば、どうなるでしょうか?
考えてみてください。

答えは解決よりも、「迷路をさ迷う」ことになるのです。
現実の中には何も問題のないものを、現実の中に解決をさがせば「迷路をさ迷う」ことになります。

解決のためには、現実の中に解決をさがすことを止めることです。
それは同時に、「迷路をさ迷う」ことを止めることに通じます。

それにその答を、いますぐ知る必要もありません。
「会議でうまく発言できるか」、「テストに合格できるか」という答を、いますぐ知る必要はありません。

いますぐ知ることよりも、いますぐしなければいけないことがあります。
それは
「会議の発言の準備」であり、「テストの勉強」です。

それに「テストの勉強」をしていれば心配や、不安の性格も変わります。
心配や、不安がより具体的なものに変わるのです。

すなわち時間を、いまに取り戻すのです。
そのために「いま自分のできることは何か?」問うことにより、いまという時間を取り戻すのです。

その取り戻された、いまという時間を生きるのです。
より具体的には「テストに合格できるか」という非生産的な不安から、生産的な「テストの勉強」にチェンジします。

「テストの勉強」をスタートすることが、「テストに合格できるか」という不安に対する、真正面からの解決方法なのです。

何ごとも不安に対する、真正面からの解決方法はただ一つです。
いまできることを、することです。

ただし神経症の人は、不安に支配されています。
それゆえに、真正面からの解決ができないのです。

よって神経症の人の持つ不安の、不合理さを示す必要があります。
それに気付くことが、不安に支配されない第一歩です。

これから「神経症の人の持つ不安の不合理さに気付く方法」を、モデルにより述べます。
この人は遅刻恐怖症の、男子学生です。

それゆえに、いつも決められた時間よりも早く目的地に着くことが多いのです。
周りの人は、几帳面な人だと思っています。だが本人は、大きな葛藤の中にいます。

場合によっては、2時間も前に目的地に着いています。
常に時間を、気にしているからです。

そのために生活は、とても不自由です。
本人も、もっと自由に生きたいといつもこころの中で考えています。

この人は、こころの自由さの欠けた人です。
それが遅刻恐怖症として、あらわれているのです。

逆に言えば、この人は主観的には不自由な世界に生きている人です。
常にイメージとして、不自由な世界に生きている人です。

それは世界が、常にこの人にとって住みにくいものとしてイメージされているからです。
世界は、この人の敵です。

この「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする必要があります。
そのために、いろいろな方法を用いるのです。

この人には現実の中で「世界は、常に住みにくいものというイメージ」を、チェンジする方法を用いました。それは現実生活を前に進めていくことが、困ったことを解決することと直接結びついているからです。

現実生活で、この人はいつも決められた時間のトップに学校に来ていました。
それを少しずつ、変えていったのです。

そこでこの人の次に来る人の時間にあわせて、学校に行くことにしました。
最初は不安感がありましたから、いままで通りに家を出て、ファーストフード店でコーヒーを飲んで時間調整をしました。

この人の次に来る人は、30分ぐらい前に来ることが多いのです。
その人にあわせているうちに、2時間も前に来ることの無意味さに気付きました。

自分のしていることが、客観化されたのです。
いままでは、主観的に「時間に遅れるかもしれない」と苦しんでいたのです。

ところが30分ぐらい前に来る人に、あわせているうちに気付きが生まれたのです。
自分のしていることは、「自分で自分を苦しめているだけかもしれない」という気付きです。

そしてそれは同時に、自分に対する信頼感の芽生えです。
自分自身を信頼できるように、なってきたのです。

精神分析療法のように考えれば、「基本的な信頼」が確立されたのです。
それを精神分析療法では、自由連想法を通して行います。

同じようにクライエント中心療法ではカウンセラーとの関係性により行い、認知行動では認知と行動の修正により行います。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
より正確には現実の中で、現実行動により信頼感を育みました。

いままでは「時間に遅れるかもしれない」と考えて、2~3時間も前に来るぐらい「基本的な信頼」はぐらぐらしていました。その人が、30分ぐらい前に来ることでOKになったのです。

このように現実行動を通して、信頼感を育んでいくのです。
当然、そこにはクライエント中心療法のようなカウンセラーとの関係性も入り込んでいます。

広い意味では、精神分析療法のような解釈も入っています。
単純に、一つの心理療法と言いきれないのです。

この人の場合は、主に行動を通して行いました。
それは困っていることと、行動による解決は直線的なつながりがあるからです。

行動により、「時間に遅れるかもしれない」という考えの不合理性に気付くのです。
このように行動と、解決は直線的につながっています。

現実生活そのものが、解決の土台になります。
この点は、森田療法にも通じています。

ただし森田療法のような、師弟関係を用いることはありません。
あくまでも、カウンセラーは中立性を保ちます。

カウンセラーは客観的な中立的な立場に、軸足を置きます。
これは、科学的な立場です。

科学的な立場ゆえに、到着時間も段階的に変えていきました。
30分ぐらい前から、20分ぐらい前に到着時間を変えました。

このときに大切なことがあります。
それは30分ぐらい前の到着時間でOKと確信できたら、次に進むことです。

言いかえれば、「不安をゼロ」にしてから次のステップに進みます。
これが最も効果的な、進み方です。

この人も「不安をゼロ」にして、次のステップを進みました。
そうするうちに、到着時間に対する執着も弱まったのです。

言いかえれば、到着時間に対するこだわりも弱まったのです。
多くの神経症の人は、こだわりが強いのです。

強すぎるこだわりは、生活も拘束してしまいます。
その結果、生活が不自由になります。

次回に、さらに述べます。
  

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