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2014年09月02日

神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法 381

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

「神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法」として、「社会的損失の不安」を述べます。

「社会的損失の不安」とは経済的、社会的にいまの地位を失う不安です。
STAP細胞を巡る問題でも、この「社会的損失の不安」にすべての日本人が動かされているような気がします。
自分の中の不安を揺さぶられるがゆえに、過剰反応している面もあります。

特に多くの日本人が動かされている「社会的損失の不安」は、経済的にいまの地位を失う不安です。
リストラによる、失業の不安です。

いま日本では、消費税アップによる景気の後退が心配されています。
この心配が、神経症的に強く迫っている不安です。

神経症的不安ゆえに、非生産的です。
どんなに景気の後退を心配しても、解決はしません。

さらに「社会的損失の不安」は、家族の問題である場合もあります。
浪費癖のある人が、家族にいる場合も「社会的損失の不安」は生じます。

ご主人が浪費家であるとか、奥さんが買い物依存である場合です。
最近は、子供のゲーム依存による浪費も含まれます。

このように「社会的損失の不安」は、家族からも生じます。
その場合は、家族関係の悪化も起きます。

次に「社会的損失の不安」の引きがねになることを、以下に述べます。
先ず、その人自身の過去の社会的なポジションです。

過去に経済的、社会的に困った体験の有無です。
両者ともにある場合、「社会的損失の不安」の引きがねになりがちです。

一度でも転んだ事のある人は、転ぶことを怖がります。
「あつものに懲りてなますを吹く」ことに、なります。

なますでも、あつものに見えます。
何でも、あつものに見えます。

子供のときに、経済的に不安定だった人は貧乏性です。
経済的にめぐまれても、おかねの心配をしています。

過去に拘束され、今と将来に生きられません。
貧乏性が、身にしみ込んでいます。

次の「社会的損失の不安」の引きがねは、以下です。
その人の完璧すぎる社会的基準です。

たとえば田園調布に家がなければ、社会的に認められない。
預金は、億単位でなければいけない。

このような完璧すぎる社会的基準は、自分を苦しめます。
何事も完璧主義は]、不自由さをともないます。

それは「田園調布に家が建つ」ような、エリート意識にもつながります。
同時にそれは、不自由さです。

欲求は、自分自身を拘束するものです。
高い欲求は、拘束力も強いのです。

自分の我により、自分を拘束しています。
自我は、人を不幸にもします。

ある種、自我は不幸もつくりだしています。
「記憶により不幸になり、予測により不安になる」のは自我によります。

こう考えると、過去に自分の両親が経済的な不自由さにあった人はこの基準に当てはまりやすいのです。
「記憶により不幸になり、予測により不安になる」ことが、起きやすいのです。

いま経済的な不自由さになくても、過去の不自由さにより不幸になり、将来への予測により不安になるのです。
その人の思考の中に、いまの不安は潜んでいます。

さらに経済的なものが、象徴化している人もいます。
ブランドに対するある種の、こだわりです。

ブランドは社会的な成功の、象徴と考えます。
それゆえに、へんにこだわるのです。

こだわりには当然、不自由さも伴うのです。
そのマイナスのこだわりが、「社会的損失の不安」につながります。

ブランドによる自己拘束です。
それから解放されることが、必要です。

ある人はブランドが、幸せをもたらすと信じていました。
そこで次のように、アドバイスしました。

「あなたはここ2年ぐらいで、楽しく生活できたのはどんな時ですか?」
この質問の答えを、書き出してもらいました。

そうすると、「レクリエーション」という答えが多かったのです。
これはブランドとは、何も関係ないものです。

やりたいことを、自由にふるまっているときが最も楽しいときです。
喜びに、みたされているのです。

本当の意味で、ブランドが幸せをもたらすとは言えません。
この人は、いまそれに気付きました。

新たな気付きは、困難を克服します。
気付いて、前に進んでいくのです。

この人はその気付きにより、ブランド品の購入をやめました。
それにより、生活は自由なものになったのです。

生活の自由さとゆとりは、ほぼイコールです。
それは、いまとり戻されました。

生活の質そのものの、向上こそが大切です。
中身のない空虚さを、求める必要はありません。

「社会的損失の不安」の根にあるものは、生活の質そのものの貧しさです。
空虚さです。

神経症の人が生活にゆとりをとり戻すためには、生活の質そのものの向上も必要です。
ここにカウンセリングの持つ、特殊性があります。

カウンセリングの場合、その人の生き方も変わる必要があるのです。
それは主体的になされるものです。

現在、すべてのカウンセラーはロジャーズの影響を受けています。
よって来談者の主体性は、尊重されます。

生活の質そのものの向上も、強制されるものではありません。
新しいカウンセリングに、師弟関係は持ちこまれていません。

ここには「学校の先生と生徒の関係」との違いも含まれています。
先生は生徒に、指導するという姿勢を示します。

したがって先生は、生徒を教え導きます。
そこには知らない人に、知っている人が知っている事を教えるという性格があります。

新しいカウンセリングは、その人自身が新しい生き方を考え進むのです。
けっして、師弟関係は持ちこまれていません。

ただし森田療法では、師弟関係は用いられています。
日本的な要素が、残っています。

そういう意味では、ロジャーズより前のカウンセリングのスタイルと言えます。
来談者の主体性は、尊重されません。

よって戦前の森田療法では、森田正馬は道徳や戦争にまで言及しています。
これは、フロイドと大きく異なります。

フロイドは逆に、「身をわきまえる」ことを強調します。
「こころの健康さを取り戻すところまで」が、精神分析療法の役割としたのです。

分別ある姿勢です。
中立性とも、言えます。

この分別ある中立的な姿勢を、保ちながらカウンセリングは進みます。
中立性を保ちながら、真に意味のあるアドバイスを与えていくことが目指されます。

この人は「中身のない空虚さを求める必要のないこと」に、自分で気付きました。
生活の質そのものを向上させることに、ハンドルを切りました。

生活にゆとりをとり戻すためには地位、名誉よりも「感謝の気持ち」が大切です。
一見あおくさい話です。

カウンセリングは、このようにこころの原点にかえるものです。
原点の問い直しでもあるのです。

ただし私たちは、あおくさい話をさけています。
社会がレールを引き、そのレールに乗るだけです。

このレールにうまく乗れるかが、問題にされるのです。
神経症の人は、この問い直しをせまられてもいるのです。

社会のレールに乗るという、社会的適応という問題。
その社会も、けっしてパーフェクトではありません。

社会的適応も、とても大切です。
そうでありながらも、社会に矛盾もあります。

これを視野を広げて、解決するのです。
お金に対する執着も、視野を広げて解決します。

目を向けるものが、お金だけになっていることは歪んだ執着です。
他のことにも、目を向けるべきです。

目を向けるものが広がれば、生活の幅も広がります。
そのときにお金に対する執着も、広い視野で見直されます。

そもそも執着は、神経症的なものです。
それは生活から、ゆとりを奪います。

自分を非生産的に苦しめるものは、神経症的なものです。
それは生活から、喜びをも奪います。

お金に対する執着も、生活の重しです。
生活を、不自由にもします。

執着という生活の重しを手放すことです。
そのとき、生活は自由になります。

次にモデルにより、述べます。
この人はお金による社会的な損失に、苦しんでいました。

それはあることを、切っ掛けに始まりました。
スマートフォンの請求です。

有料サイトの請求額に、驚きました。
はじめての利用ゆえに、けんとうはずれな金額だったのです。

そこから心配がふくらみました。
生活にゆとりは、失われました。

こんな請求が、続いたらどうしよう。
こう考えたのです。

もしかしたら、破産するかもしれない。
そう考えると心配で、生活にゆとりはなくなりました。

神経症の人が生活にゆとりを失うのは、ほんの小さな事からです。
そのほんの小さな事が、イメージの中で大きなことに変わっていくのです。

ほんの小さな事がイメージの中で大きなことに変わっていくのは、非生産的な不安に背中を押されるからです。
かつそれに対して、踏ん張れないからです。

その結果、不安に支配されます。
ここでは小さな事がイメージの中で大きなことに変わっていくメカニズムからの、解放方法を述べます。

先ず「その不安は意味があるか」ということです。
意味のない不安は、非生産的な不安です。

もし不安に意味がないと分かれば、そこで一区切り付きます。
それは追求されなくなるか、弱まります。

何事も、心配は必要です。
ただし「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。

心配し過ぎることは、マイナス面が多いのです。
適切な心配が、大切です。

必要な事は、しなければなりません。
家計簿をつけることは、必要なことです。

逆に心配のあまり眠れなくなってしまうことは、不必要なことです。
ない方がよいことです。

より現実的に、家計簿をつけるようにしました。
そうすればムダな出費も、減ります。

このように現実的な解決と、並行してカウンセリングは進められます。
内的なことが、全てではありません。

カウンセリングは、内的な問題に向かいがちです。
それがすべてでは、ないのです。

現実の解決を考えることも、大切です。
ところがユングの分析心理学では、現実と距離ができてしまいがちです。

ここに一般心理学との、距離感の原因もあります。
カウンセリングは、きわめて内的であるともいえます。

ただし認知行動療法、特に行動療法は異なります。
きわめて現実的です。

現実的な解決を、目指すものです。
先ず現実的な解決を、目指すべきです。

そのために家計簿をつけて、ムダをチェックするのです。
次に内的な、非生産的な不安の解決に向かいます。

神経症の人は新聞で交通事故の記事を読むと、自分にも起こると考えがちです。
それにより生活にゆとりを、失っていきます。

このようにマイナスの出来事を、常に自分に結びつけます。
こんなマイナスは、自分にも起きると考えがちです。

常にマイナスは、自分に起きると考えます。
その結果、生活は守りになってしまいます。

消極的な生活になります。
後ろ向きな生き方になります。

「新聞で交通事故の記事を読むと、自分にも起こると考えがちです」が、これは答えの出ない心配です。
心配しても、交通事故にあうことはなくなりません。

ところが神経症の人は、心配しても解決しないことを心配します。
その結果、生活からゆとりは失われます。

さらにそれは悪い方に、悪い方にと進んでいくのです。
最後は最悪の結果に、陥ってしまうのです。

その行くつく先は、行き止まりです。
将来の展望はまったく開けないという、行き止まりです。

その行き止まりを当然として、対策を考えます。
新入社員が、会社の倒産を心配しているようです。

新たに入社した人が、会社の倒産を心配して働いているようなものです。
これでは、前向きな生き方はできません。

スタートした時に、転ぶことを心配しています。
その心配も、先ず起こりえない心配です。

こういう人は、周囲の人に心配事を話します。
周りの人は、「心配ない」と答えます。

その対応が、よけい不安を強めます。
自分の気持ちが、受けとめられていないと感じられるからです。

人は自分の気持ちが受けとめられたとき、安心できます。
周りは完全に受けとめられないからこそ、安心できないのです。

自分も周りも、気持ちを受けとめられません。
それが悪循環に入る、原因です。

そうすると、本人は不安が解決するまで心配せざるをえないのです。
不安が消えるまで、心配し続けることになります。

結局、不安を完全に消し去る方法に至るまで考え抜こうとします。
そのためには、状況を完全に支配するしかありません。

自分が状況を完全に支配できれば、心配はありません。
ただし、それはありません。

状況の完全支配は、決してできません。
不可能なことを、やろうとして苦しんでいるのです。

もう一つは、自分とは無関係に進むこともあるということです。
明日の天気を心配してもしなくても、雨が降るときは降ります。

このように心配することに意味のないことも、多いのです。
必要以上の心配は、不安を深めるだけです。

どんなに天気を心配しても、晴れることはありません。
心配することに、意味はないのです。

このような非生産的な考え方の迷路を、抜け出すことが大切です。
その方法を、述べます。

先ず「心配」そのものの、起こりえる確率を考えてみます。
ハワイの海でサメに襲われる確率よりも、海に行くまでに交通事故にあう確率の方が高いです。

そうであればサメのことは、それほど心配しなくてもいいのです。
これが、先ず一つ。

次は、交通事故を心配することです。
本当に心配すべきは、交通事故です。

同じように、経済的な心配も「ムダづかい」が交通事故です。
浪費をストップすることです。

多くの場合、「ムダづかい」浪費をストップすることにより経済的に困ることはありません。
出口の栓を、きちんと閉めることが大切です。

本当に心配すべきことを、心配します。
それだけで、不安は弱まります。

このような現実の解決をすすめます。
それと同時に、非生産的な不安を弱めていくのです。

そのために、不安を客観視することが必要です。
あなたの心配は、どれほどの確率で現実に起きますか?

この問いを、自分にしてください。
多くの場合、確率は50%未満です。

半分も起きないことを、心配しています。
人によっては0.5%未満のことを、心配しています。

もう一つ、心配することの無意味さもあります。
心配は確率に影響を与えないということです。

心配しても、困ったことは起きます。
逆に言えば、心配はプレッシャーになりますからそれが起きる確率を上昇させます。

必要以上の心配は、ミスをさそいます。
高校野球でも失敗を恐れすぎると、エラーをします。

必要以上の心配は、ミスの素。
心配はし過ぎない方が、いいのです。

【何事も心配し過ぎない方が、うまくいく】
これは大切です。

「過ぎたるは、及ばざるがごとし」です。
これを心配にあてはめたのが、【何事も心配し過ぎない方が、うまくいく】です。

この【何事も心配し過ぎない方が、うまくいく】を現実に適応するには、現実の見直しも必要です。
そのために、3種類の質問を用います。

先ず「その心配事が起きたときの最悪の結果」をたずねます。
これはいつも心配していることと、大きく重なります。

次に逆の、質問をします。
それは「その心配事が起きたときの最良の結果」をたずねるのです。

この問いは、まだ自分に問うことのないものです。
それゆえに、必要な問いです。

このように逆の質問のあとに、まん中の質問をします。
それは、最も起りそうなことを問うのです。

具体的には「心配事が起きたとき最もありそうな結果」をたずねます。
最も妥当な結果を、問うのです。

この妥当な答えが、現実の問題の大きさに対応します。
問題の身の丈は、これぐらいです。

神経症の人はそれ程でもない事を、脅威と感じます。
そこから、生活にゆとりを失います。

現実に起きることは、妥当なことです。
それを再認識することは大切です。

最後の質問の答えが、最も起きそうなことです。
それほど心配することはありません。

妥当なことが、最も起きます。
安心してください。

次回に、さらに述べます。  

Posted by counselor at 08:56Comments(0)カウンセリング