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2016年02月03日

神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法 662

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

「神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法」として、「職業上の不安」を述べます。

「社会的損失の不安」とは経済的、社会的にいまの地位を失う不安です。
誰でも、将来に不安はあります。客観化するだけでも、不安から距離はとれます。

これは「職業上の不安」にも通じるものです。
次に「職業上の不安」を述べます。

いま「職業上の不安」はとても多いのです。
これは不景気による、失業の心配が土台にあります。

どうしても、職業上の不安は広まりがちです。
その不安に、多くの人がのみ込まれそうになります。

のみ込まれれば、おぼれます。
自分を見失います。

さらに技術の進歩も、職業上の不安を広めます。
急激な技術進歩の世界を、私たちは生きています。

急激な技術進歩の世界では、自分が学んだことは常に古臭いものになっていくのです。
私たちはそんな技術進歩を、追いかけて生きています。

技術進歩は、新しいもの好きな人により支えられています。
興味によって、支えられています。

興味そのものに、成熟はありません。
若さだけです。

働くことが、成熟と結びついていません。
若さによる興味だけが、暴走します。

働くこと=成熟
働くことが、成熟とイコールであれば理想的です。

しかし現実は
働くこと=興味 であり 働くこと≠成熟 です。

これが逆になればいいのです。
それは 働くこと=成熟 です。

ただし現実は、逆方向であることが多いのです。
それが困難を強めます。

ところが人のこころの発達は、成熟に向かいます。
発達にも、見放されていると言えます。

働くことが心の成熟に向かわないで、興味に向かっています。
よって心の発達にも、見放されるのです。

根なし草のような状態になります。
そこに気付かない、生きにくさが潜んでいます。

根なし草であれば、根なし草を自覚すれば良いのです。
それを自覚できないことに、生きにくさが潜んでいます。

その自覚から、スタートすれば良いのです。
ただし、それほど強靭な自我を持った人は少ないのです。

だから、現代社会に多くの問題が発生します。
これが現実です。

現実に職業上の評価は多くの場合上司や、お客さんの評価です。
その人たちも、気持ちの不安定な人が多いのです。

気持ちの不安定な人が評価します。
だから困ります。

そのときの気分しだいであることが多いのです。
特にサービス業は、そうです。

都市化すればするほど、サービス業中心になります。
成熟から、遠ざかります。

その結果、自分の技能の向上は二の次になります。
他者の顔色ばかり、うかがうことになります。

常に上司も自分も、神経をとがらせます。
その結果、非生産的に疲れます。

他者の顔色ばかり、うかがう疲れだけが残ります。
自分の身は、削られるだけです。

たとえればハンドボールの試合で、審判の笛が怪しいと感じます。
そのときファイトは弱まります。

フェアーな試合ではないと感じます。
そのために、さらにファイトは弱まります。

ところが完全なものは、どこにもありません。
ある種、不完全で当然です。

でてくる人も社会も、不完全です。
それが完成に近づくプロセスを生きています。

不完全なものが、完成に近づくプロセスを生きています。
私たちも社会も、全てがそうです。

そう考えれば、不満も弱まります。
そこから、再スタートしましょう。

もう一つ、見えざる敵がいます。
それは、完ぺき主義です。

完ぺき主義は、完全を求めます。
100メートルを9秒で走ることを求めます。

もし100メートルを9秒で走ることができたら、さらに要求がでます。
200メートルも9秒で走れになります。

やがてマラソンも、9秒で走れになります。
無理強いされます。

正確には、自分が自分に無理強いします。
自分自身で無理強いするのです。

自分自身の心のメカニズムにより疲れます。
よってとても疲れます。

何でもしがみつきは、とても疲れます。
その悪循環を、抜けられなくなります。

これが性格として固定化する人もいます。
完ぺき性格者です。

完ぺき性格者は、融通がききません。
水が凍ったように、動けません。

水ではなく凍ったものです。
すなわち氷です。

そうなったとき、自分で自分を苦しめます。
生活のバランスを崩すのです。

常に不満足です。
それゆえに絶対にこない、完全を求めます。

強調すべきことは絶対に「ない」ではなく、絶対に「こない」です。
時間をいくらかけても、こないものです。

ある意味では、完成は「いま」あります。
将来には、ありません。

「いま」やるのです。
やるのは「いま」です。

それに満足は、今しか得られません。
どこにも満足はやってきません。

それに満足を仕事にだけ求めるのも、愚かです。
仕事以外にも、満足は得られます。

それに気付かない、人は困難に陥ります。
生活のバランスは、崩れます。

バランスの崩れた生活は、いっぺんに崩れがちです。
もろいのです。

私生活がおろそかになれば、仕事にのめり込みます。
その結果、ますます私生活がおろそかになります。

このように生活のバランスは、崩れています。
その結果、生活はいっぺんに崩れることもあります。

生活にゆとりがないゆえに、もろいのです。
すぐ折れてしまいます。

踏ん張っているうちは良いのです。
その踏ん張りがきかなくなったとき、危機がきます。

危機が、おとずれます。
そのとき全て崩れ去るのです。

これが日本のいたる所で、起きています。
ここ10数年間は顕著です。

日本の経済危機は、こんな姿も現わしています。
自殺者の増加です。

これは社会不安を強めます。
その結果、さらに自殺は増えます。

これに余暇の減少も、問題点です。
経済危機は、リストラを進めます。

その結果、一人あたりの仕事は増えます。
量も質も持ちきれないものになってきます。

その結果、リタイアする人も出ます。
増えもします。

このように、社会全体に不安は漂っています。
それを正せるかどうかも、不透明です。

さらに不安は、不安を引き寄せます。
不安は大きくなります。

大きな不安は、現実判断をゆがめます。
その結果、物事はスムーズに進みません。

それに現在は、地域共同体も狭められています。
地域の絆が弱まっています。

都会暮らしでは、近隣への関心も薄いのです。
それが孤独感を生みます。

孤独感を補うものもありません。
それがよけい孤独感を深めます。

自分を支えるものがありません。
そのために、よけい仕事にのめり込みます。

このように悪循環は始まり、続きます。
次に、モデルにより述べます。

ある男性は、会社で不安におそわれます。
それは上司が自分に、変によそよそしく接するのです。

そのよそよそしさは、「リストラのサインかもしれない」と考えました。
そこから悪循環は始まります。

相手のよそよそしさを疑うと、よけいとそよそしく見えます。
その結果、自分もよそよそしくなります。

次回に、さらに述べます。



  

Posted by counselor at 10:27Comments(0)カウンセリング

2016年02月04日

神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法 663

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

「神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法」として、「職業上の不安」を述べます。

「社会的損失の不安」とは経済的、社会的にいまの地位を失う不安です。
誰でも、将来に不安はあります。客観化するだけでも、不安から距離はとれます。

これは「職業上の不安」にも通じるものです。
次に「職業上の不安」を述べます。

いま「職業上の不安」はとても多いのです。
これは不景気による、失業の心配が土台にあります。

どうしても、職業上の不安は広まりがちです。
その不安に、多くの人がのみ込まれそうになります。

のみ込まれれば、おぼれます。
自分を見失います。

さらに技術の進歩も、職業上の不安を広めます。
急激な技術進歩の世界を、私たちは生きています。

急激な技術進歩の世界では、自分が学んだことは常に古臭いものになっていくのです。
私たちはそんな技術進歩を、追いかけて生きています。

技術進歩は、新しいもの好きな人により支えられています。
興味によって、支えられています。

興味そのものに、成熟はありません。
若さだけです。

働くことが、成熟と結びついていません。
若さによる興味だけが、暴走します。

働くこと=成熟
働くことが、成熟とイコールであれば理想的です。

しかし現実は
働くこと=興味 であり 働くこと≠成熟 です。

これが逆になればいいのです。
それは 働くこと=成熟 です。

ただし現実は、逆方向であることが多いのです。
それが困難を強めます。

ところが人のこころの発達は、成熟に向かいます。
発達にも、見放されていると言えます。

働くことが心の成熟に向かわないで、興味に向かっています。
よって心の発達にも、見放されるのです。

根なし草のような状態になります。
そこに気付かない、生きにくさが潜んでいます。

根なし草であれば、根なし草を自覚すれば良いのです。
それを自覚できないことに、生きにくさが潜んでいます。

その自覚から、スタートすれば良いのです。
ただし、それほど強靭な自我を持った人は少ないのです。

だから、現代社会に多くの問題が発生します。
これが現実です。

現実に職業上の評価は多くの場合上司や、お客さんの評価です。
その人たちも、気持ちの不安定な人が多いのです。

気持ちの不安定な人が評価します。
だから困ります。

そのときの気分しだいであることが多いのです。
特にサービス業は、そうです。

都市化すればするほど、サービス業中心になります。
成熟から、遠ざかります。

その結果、自分の技能の向上は二の次になります。
他者の顔色ばかり、うかがうことになります。

常に上司も自分も、神経をとがらせます。
その結果、非生産的に疲れます。

他者の顔色ばかり、うかがう疲れだけが残ります。
自分の身は、削られるだけです。

たとえればハンドボールの試合で、審判の笛が怪しいと感じます。
そのときファイトは弱まります。

フェアーな試合ではないと感じます。
そのために、さらにファイトは弱まります。

ところが完全なものは、どこにもありません。
ある種、不完全で当然です。

でてくる人も社会も、不完全です。
それが完成に近づくプロセスを生きています。

不完全なものが、完成に近づくプロセスを生きています。
私たちも社会も、全てがそうです。

そう考えれば、不満も弱まります。
そこから、再スタートしましょう。

もう一つ、見えざる敵がいます。
それは、完ぺき主義です。

完ぺき主義は、完全を求めます。
100メートルを9秒で走ることを求めます。

もし100メートルを9秒で走ることができたら、さらに要求がでます。
200メートルも9秒で走れになります。

やがてマラソンも、9秒で走れになります。
無理強いされます。

正確には、自分が自分に無理強いします。
自分自身で無理強いするのです。

自分自身の心のメカニズムにより疲れます。
よってとても疲れます。

何でもしがみつきは、とても疲れます。
その悪循環を、抜けられなくなります。

これが性格として固定化する人もいます。
完ぺき性格者です。

完ぺき性格者は、融通がききません。
水が凍ったように、動けません。

水ではなく凍ったものです。
すなわち氷です。

そうなったとき、自分で自分を苦しめます。
生活のバランスを崩すのです。

常に不満足です。
それゆえに絶対にこない、完全を求めます。

強調すべきことは絶対に「ない」ではなく、絶対に「こない」です。
時間をいくらかけても、こないものです。

ある意味では、完成は「いま」あります。
将来には、ありません。

「いま」やるのです。
やるのは「いま」です。

それに満足は、今しか得られません。
どこにも満足はやってきません。

それに満足を仕事にだけ求めるのも、愚かです。
仕事以外にも、満足は得られます。

それに気付かない、人は困難に陥ります。
生活のバランスは、崩れます。

バランスの崩れた生活は、いっぺんに崩れがちです。
もろいのです。

私生活がおろそかになれば、仕事にのめり込みます。
その結果、ますます私生活がおろそかになります。

このように生活のバランスは、崩れています。
その結果、生活はいっぺんに崩れることもあります。

生活にゆとりがないゆえに、もろいのです。
すぐ折れてしまいます。

踏ん張っているうちは良いのです。
その踏ん張りがきかなくなったとき、危機がきます。

危機が、おとずれます。
そのとき全て崩れ去るのです。

これが日本のいたる所で、起きています。
ここ10数年間は顕著です。

日本の経済危機は、こんな姿も現わしています。
自殺者の増加です。

これは社会不安を強めます。
その結果、さらに自殺は増えます。

これに余暇の減少も、問題点です。
経済危機は、リストラを進めます。

その結果、一人あたりの仕事は増えます。
量も質も持ちきれないものになってきます。

その結果、リタイアする人も出ます。
増えもします。

このように、社会全体に不安は漂っています。
それを正せるかどうかも、不透明です。

さらに不安は、不安を引き寄せます。
不安は大きくなります。

大きな不安は、現実判断をゆがめます。
その結果、物事はスムーズに進みません。

それに現在は、地域共同体も狭められています。
地域の絆が弱まっています。

都会暮らしでは、近隣への関心も薄いのです。
それが孤独感を生みます。

孤独感を補うものもありません。
それがよけい孤独感を深めます。

自分を支えるものがありません。
そのために、よけい仕事にのめり込みます。

このように悪循環は始まり、続きます。
次に、モデルにより述べます。

ある男性は、会社で不安におそわれます。
それは上司が自分に、変によそよそしく接するのです。

そのよそよそしさは、「リストラのサインかもしれない」と考えました。
そこから悪循環は始まります。

相手のよそよそしさを疑うと、よけいとそよそしく見えます。
その結果、自分もよそよそしくなります。

不自然さは、不自然さを生みます。
さらに、その不自然さを育てもします。

次回に、さらに述べます。



  

Posted by counselor at 09:58Comments(0)カウンセリング

2016年02月12日

神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法 664

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

「神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法」として、「職業上の不安」を述べます。

「社会的損失の不安」とは経済的、社会的にいまの地位を失う不安です。
誰でも、将来に不安はあります。客観化するだけでも、不安から距離はとれます。

これは「職業上の不安」にも通じるものです。
次に「職業上の不安」を述べます。

いま「職業上の不安」はとても多いのです。
これは不景気による、失業の心配が土台にあります。

どうしても、職業上の不安は広まりがちです。
その不安に、多くの人がのみ込まれそうになります。

のみ込まれれば、おぼれます。
自分を見失います。

さらに技術の進歩も、職業上の不安を広めます。
急激な技術進歩の世界を、私たちは生きています。

急激な技術進歩の世界では、自分が学んだことは常に古臭いものになっていくのです。
私たちはそんな技術進歩を、追いかけて生きています。

技術進歩は、新しいもの好きな人により支えられています。
興味によって、支えられています。

興味そのものに、成熟はありません。
若さだけです。

働くことが、成熟と結びついていません。
若さによる興味だけが、暴走します。

働くこと=成熟
働くことが、成熟とイコールであれば理想的です。

しかし現実は
働くこと=興味 であり 働くこと≠成熟 です。

これが逆になればいいのです。
それは 働くこと=成熟 です。

ただし現実は、逆方向であることが多いのです。
それが困難を強めます。

ところが人のこころの発達は、成熟に向かいます。
発達にも、見放されていると言えます。

働くことが心の成熟に向かわないで、興味に向かっています。
よって心の発達にも、見放されるのです。

根なし草のような状態になります。
そこに気付かない、生きにくさが潜んでいます。

根なし草であれば、根なし草を自覚すれば良いのです。
それを自覚できないことに、生きにくさが潜んでいます。

その自覚から、スタートすれば良いのです。
ただし、それほど強靭な自我を持った人は少ないのです。

だから、現代社会に多くの問題が発生します。
これが現実です。

現実に職業上の評価は多くの場合上司や、お客さんの評価です。
その人たちも、気持ちの不安定な人が多いのです。

気持ちの不安定な人が評価します。
だから困ります。

そのときの気分しだいであることが多いのです。
特にサービス業は、そうです。

都市化すればするほど、サービス業中心になります。
成熟から、遠ざかります。

その結果、自分の技能の向上は二の次になります。
他者の顔色ばかり、うかがうことになります。

常に上司も自分も、神経をとがらせます。
その結果、非生産的に疲れます。

他者の顔色ばかり、うかがう疲れだけが残ります。
自分の身は、削られるだけです。

たとえればハンドボールの試合で、審判の笛が怪しいと感じます。
そのときファイトは弱まります。

フェアーな試合ではないと感じます。
そのために、さらにファイトは弱まります。

ところが完全なものは、どこにもありません。
ある種、不完全で当然です。

でてくる人も社会も、不完全です。
それが完成に近づくプロセスを生きています。

不完全なものが、完成に近づくプロセスを生きています。
私たちも社会も、全てがそうです。

そう考えれば、不満も弱まります。
そこから、再スタートしましょう。

もう一つ、見えざる敵がいます。
それは、完ぺき主義です。

完ぺき主義は、完全を求めます。
100メートルを9秒で走ることを求めます。

もし100メートルを9秒で走ることができたら、さらに要求がでます。
200メートルも9秒で走れになります。

やがてマラソンも、9秒で走れになります。
無理強いされます。

正確には、自分が自分に無理強いします。
自分自身で無理強いするのです。

自分自身の心のメカニズムにより疲れます。
よってとても疲れます。

何でもしがみつきは、とても疲れます。
その悪循環を、抜けられなくなります。

これが性格として固定化する人もいます。
完ぺき性格者です。

完ぺき性格者は、融通がききません。
水が凍ったように、動けません。

水ではなく凍ったものです。
すなわち氷です。

そうなったとき、自分で自分を苦しめます。
生活のバランスを崩すのです。

常に不満足です。
それゆえに絶対にこない、完全を求めます。

強調すべきことは絶対に「ない」ではなく、絶対に「こない」です。
時間をいくらかけても、こないものです。

ある意味では、完成は「いま」あります。
将来には、ありません。

「いま」やるのです。
やるのは「いま」です。

それに満足は、今しか得られません。
どこにも満足はやってきません。

それに満足を仕事にだけ求めるのも、愚かです。
仕事以外にも、満足は得られます。

それに気付かない、人は困難に陥ります。
生活のバランスは、崩れます。

バランスの崩れた生活は、いっぺんに崩れがちです。
もろいのです。

私生活がおろそかになれば、仕事にのめり込みます。
その結果、ますます私生活がおろそかになります。

このように生活のバランスは、崩れています。
その結果、生活はいっぺんに崩れることもあります。

生活にゆとりがないゆえに、もろいのです。
すぐ折れてしまいます。

踏ん張っているうちは良いのです。
その踏ん張りがきかなくなったとき、危機がきます。

危機が、おとずれます。
そのとき全て崩れ去るのです。

これが日本のいたる所で、起きています。
ここ10数年間は顕著です。

日本の経済危機は、こんな姿も現わしています。
自殺者の増加です。

これは社会不安を強めます。
その結果、さらに自殺は増えます。

これに余暇の減少も、問題点です。
経済危機は、リストラを進めます。

その結果、一人あたりの仕事は増えます。
量も質も持ちきれないものになってきます。

その結果、リタイアする人も出ます。
増えもします。

このように、社会全体に不安は漂っています。
それを正せるかどうかも、不透明です。

さらに不安は、不安を引き寄せます。
不安は大きくなります。

大きな不安は、現実判断をゆがめます。
その結果、物事はスムーズに進みません。

それに現在は、地域共同体も狭められています。
地域の絆が弱まっています。

都会暮らしでは、近隣への関心も薄いのです。
それが孤独感を生みます。

孤独感を補うものもありません。
それがよけい孤独感を深めます。

自分を支えるものがありません。
そのために、よけい仕事にのめり込みます。

このように悪循環は始まり、続きます。
次に、モデルにより述べます。

ある男性は、会社で不安におそわれます。
それは上司が自分に、変によそよそしく接するのです。

そのよそよそしさは、「リストラのサインかもしれない」と考えました。
そこから悪循環は始まります。

相手のよそよそしさを疑うと、よけいとそよそしく見えます。
その結果、自分もよそよそしくなります。

不自然さは、不自然さを生みます。
さらに、その不自然さを育てもします。

この不自然さの悪循環に苦しみます。
この男性は心配することは、心配を消すと考えたのでしょう。

次回に、さらに述べます。



  

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2016年02月13日

神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法 665

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

「神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法」として、「職業上の不安」を述べます。

「社会的損失の不安」とは経済的、社会的にいまの地位を失う不安です。
誰でも、将来に不安はあります。客観化するだけでも、不安から距離はとれます。

これは「職業上の不安」にも通じるものです。
次に「職業上の不安」を述べます。

いま「職業上の不安」はとても多いのです。
これは不景気による、失業の心配が土台にあります。

どうしても、職業上の不安は広まりがちです。
その不安に、多くの人がのみ込まれそうになります。

のみ込まれれば、おぼれます。
自分を見失います。

さらに技術の進歩も、職業上の不安を広めます。
急激な技術進歩の世界を、私たちは生きています。

急激な技術進歩の世界では、自分が学んだことは常に古臭いものになっていくのです。
私たちはそんな技術進歩を、追いかけて生きています。

技術進歩は、新しいもの好きな人により支えられています。
興味によって、支えられています。

興味そのものに、成熟はありません。
若さだけです。

働くことが、成熟と結びついていません。
若さによる興味だけが、暴走します。

働くこと=成熟
働くことが、成熟とイコールであれば理想的です。

しかし現実は
働くこと=興味 であり 働くこと≠成熟 です。

これが逆になればいいのです。
それは 働くこと=成熟 です。

ただし現実は、逆方向であることが多いのです。
それが困難を強めます。

ところが人のこころの発達は、成熟に向かいます。
発達にも、見放されていると言えます。

働くことが心の成熟に向かわないで、興味に向かっています。
よって心の発達にも、見放されるのです。

根なし草のような状態になります。
そこに気付かない、生きにくさが潜んでいます。

根なし草であれば、根なし草を自覚すれば良いのです。
それを自覚できないことに、生きにくさが潜んでいます。

その自覚から、スタートすれば良いのです。
ただし、それほど強靭な自我を持った人は少ないのです。

だから、現代社会に多くの問題が発生します。
これが現実です。

現実に職業上の評価は多くの場合上司や、お客さんの評価です。
その人たちも、気持ちの不安定な人が多いのです。

気持ちの不安定な人が評価します。
だから困ります。

そのときの気分しだいであることが多いのです。
特にサービス業は、そうです。

都市化すればするほど、サービス業中心になります。
成熟から、遠ざかります。

その結果、自分の技能の向上は二の次になります。
他者の顔色ばかり、うかがうことになります。

常に上司も自分も、神経をとがらせます。
その結果、非生産的に疲れます。

他者の顔色ばかり、うかがう疲れだけが残ります。
自分の身は、削られるだけです。

たとえればハンドボールの試合で、審判の笛が怪しいと感じます。
そのときファイトは弱まります。

フェアーな試合ではないと感じます。
そのために、さらにファイトは弱まります。

ところが完全なものは、どこにもありません。
ある種、不完全で当然です。

でてくる人も社会も、不完全です。
それが完成に近づくプロセスを生きています。

不完全なものが、完成に近づくプロセスを生きています。
私たちも社会も、全てがそうです。

そう考えれば、不満も弱まります。
そこから、再スタートしましょう。

もう一つ、見えざる敵がいます。
それは、完ぺき主義です。

完ぺき主義は、完全を求めます。
100メートルを9秒で走ることを求めます。

もし100メートルを9秒で走ることができたら、さらに要求がでます。
200メートルも9秒で走れになります。

やがてマラソンも、9秒で走れになります。
無理強いされます。

正確には、自分が自分に無理強いします。
自分自身で無理強いするのです。

自分自身の心のメカニズムにより疲れます。
よってとても疲れます。

何でもしがみつきは、とても疲れます。
その悪循環を、抜けられなくなります。

これが性格として固定化する人もいます。
完ぺき性格者です。

完ぺき性格者は、融通がききません。
水が凍ったように、動けません。

水ではなく凍ったものです。
すなわち氷です。

そうなったとき、自分で自分を苦しめます。
生活のバランスを崩すのです。

常に不満足です。
それゆえに絶対にこない、完全を求めます。

強調すべきことは絶対に「ない」ではなく、絶対に「こない」です。
時間をいくらかけても、こないものです。

ある意味では、完成は「いま」あります。
将来には、ありません。

「いま」やるのです。
やるのは「いま」です。

それに満足は、今しか得られません。
どこにも満足はやってきません。

それに満足を仕事にだけ求めるのも、愚かです。
仕事以外にも、満足は得られます。

それに気付かない、人は困難に陥ります。
生活のバランスは、崩れます。

バランスの崩れた生活は、いっぺんに崩れがちです。
もろいのです。

私生活がおろそかになれば、仕事にのめり込みます。
その結果、ますます私生活がおろそかになります。

このように生活のバランスは、崩れています。
その結果、生活はいっぺんに崩れることもあります。

生活にゆとりがないゆえに、もろいのです。
すぐ折れてしまいます。

踏ん張っているうちは良いのです。
その踏ん張りがきかなくなったとき、危機がきます。

危機が、おとずれます。
そのとき全て崩れ去るのです。

これが日本のいたる所で、起きています。
ここ10数年間は顕著です。

日本の経済危機は、こんな姿も現わしています。
自殺者の増加です。

これは社会不安を強めます。
その結果、さらに自殺は増えます。

これに余暇の減少も、問題点です。
経済危機は、リストラを進めます。

その結果、一人あたりの仕事は増えます。
量も質も持ちきれないものになってきます。

その結果、リタイアする人も出ます。
増えもします。

このように、社会全体に不安は漂っています。
それを正せるかどうかも、不透明です。

さらに不安は、不安を引き寄せます。
不安は大きくなります。

大きな不安は、現実判断をゆがめます。
その結果、物事はスムーズに進みません。

それに現在は、地域共同体も狭められています。
地域の絆が弱まっています。

都会暮らしでは、近隣への関心も薄いのです。
それが孤独感を生みます。

孤独感を補うものもありません。
それがよけい孤独感を深めます。

自分を支えるものがありません。
そのために、よけい仕事にのめり込みます。

このように悪循環は始まり、続きます。
次に、モデルにより述べます。

ある男性は、会社で不安におそわれます。
それは上司が自分に、変によそよそしく接するのです。

そのよそよそしさは、「リストラのサインかもしれない」と考えました。
そこから悪循環は始まります。

相手のよそよそしさを疑うと、よけいとそよそしく見えます。
その結果、自分もよそよそしくなります。

不自然さは、不自然さを生みます。
さらに、その不自然さを育てもします。

この不自然さの悪循環に苦しみます。
この男性は心配することは、心配を消すと考えたのでしょう。

しかし逆です。
心配することは、心配を増します。

次回に、さらに述べます。



  

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2016年02月16日

神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法 666

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

「神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法」として、「職業上の不安」を述べます。

「社会的損失の不安」とは経済的、社会的にいまの地位を失う不安です。
誰でも、将来に不安はあります。客観化するだけでも、不安から距離はとれます。

これは「職業上の不安」にも通じるものです。
次に「職業上の不安」を述べます。

いま「職業上の不安」はとても多いのです。
これは不景気による、失業の心配が土台にあります。

どうしても、職業上の不安は広まりがちです。
その不安に、多くの人がのみ込まれそうになります。

のみ込まれれば、おぼれます。
自分を見失います。

さらに技術の進歩も、職業上の不安を広めます。
急激な技術進歩の世界を、私たちは生きています。

急激な技術進歩の世界では、自分が学んだことは常に古臭いものになっていくのです。
私たちはそんな技術進歩を、追いかけて生きています。

技術進歩は、新しいもの好きな人により支えられています。
興味によって、支えられています。

興味そのものに、成熟はありません。
若さだけです。

働くことが、成熟と結びついていません。
若さによる興味だけが、暴走します。

働くこと=成熟
働くことが、成熟とイコールであれば理想的です。

しかし現実は
働くこと=興味 であり 働くこと≠成熟 です。

これが逆になればいいのです。
それは 働くこと=成熟 です。

ただし現実は、逆方向であることが多いのです。
それが困難を強めます。

ところが人のこころの発達は、成熟に向かいます。
発達にも、見放されていると言えます。

働くことが心の成熟に向かわないで、興味に向かっています。
よって心の発達にも、見放されるのです。

根なし草のような状態になります。
そこに気付かない、生きにくさが潜んでいます。

根なし草であれば、根なし草を自覚すれば良いのです。
それを自覚できないことに、生きにくさが潜んでいます。

その自覚から、スタートすれば良いのです。
ただし、それほど強靭な自我を持った人は少ないのです。

だから、現代社会に多くの問題が発生します。
これが現実です。

現実に職業上の評価は多くの場合上司や、お客さんの評価です。
その人たちも、気持ちの不安定な人が多いのです。

気持ちの不安定な人が評価します。
だから困ります。

そのときの気分しだいであることが多いのです。
特にサービス業は、そうです。

都市化すればするほど、サービス業中心になります。
成熟から、遠ざかります。

その結果、自分の技能の向上は二の次になります。
他者の顔色ばかり、うかがうことになります。

常に上司も自分も、神経をとがらせます。
その結果、非生産的に疲れます。

他者の顔色ばかり、うかがう疲れだけが残ります。
自分の身は、削られるだけです。

たとえればハンドボールの試合で、審判の笛が怪しいと感じます。
そのときファイトは弱まります。

フェアーな試合ではないと感じます。
そのために、さらにファイトは弱まります。

ところが完全なものは、どこにもありません。
ある種、不完全で当然です。

でてくる人も社会も、不完全です。
それが完成に近づくプロセスを生きています。

不完全なものが、完成に近づくプロセスを生きています。
私たちも社会も、全てがそうです。

そう考えれば、不満も弱まります。
そこから、再スタートしましょう。

もう一つ、見えざる敵がいます。
それは、完ぺき主義です。

完ぺき主義は、完全を求めます。
100メートルを9秒で走ることを求めます。

もし100メートルを9秒で走ることができたら、さらに要求がでます。
200メートルも9秒で走れになります。

やがてマラソンも、9秒で走れになります。
無理強いされます。

正確には、自分が自分に無理強いします。
自分自身で無理強いするのです。

自分自身の心のメカニズムにより疲れます。
よってとても疲れます。

何でもしがみつきは、とても疲れます。
その悪循環を、抜けられなくなります。

これが性格として固定化する人もいます。
完ぺき性格者です。

完ぺき性格者は、融通がききません。
水が凍ったように、動けません。

水ではなく凍ったものです。
すなわち氷です。

そうなったとき、自分で自分を苦しめます。
生活のバランスを崩すのです。

常に不満足です。
それゆえに絶対にこない、完全を求めます。

強調すべきことは絶対に「ない」ではなく、絶対に「こない」です。
時間をいくらかけても、こないものです。

ある意味では、完成は「いま」あります。
将来には、ありません。

「いま」やるのです。
やるのは「いま」です。

それに満足は、今しか得られません。
どこにも満足はやってきません。

それに満足を仕事にだけ求めるのも、愚かです。
仕事以外にも、満足は得られます。

それに気付かない、人は困難に陥ります。
生活のバランスは、崩れます。

バランスの崩れた生活は、いっぺんに崩れがちです。
もろいのです。

私生活がおろそかになれば、仕事にのめり込みます。
その結果、ますます私生活がおろそかになります。

このように生活のバランスは、崩れています。
その結果、生活はいっぺんに崩れることもあります。

生活にゆとりがないゆえに、もろいのです。
すぐ折れてしまいます。

踏ん張っているうちは良いのです。
その踏ん張りがきかなくなったとき、危機がきます。

危機が、おとずれます。
そのとき全て崩れ去るのです。

これが日本のいたる所で、起きています。
ここ10数年間は顕著です。

日本の経済危機は、こんな姿も現わしています。
自殺者の増加です。

これは社会不安を強めます。
その結果、さらに自殺は増えます。

これに余暇の減少も、問題点です。
経済危機は、リストラを進めます。

その結果、一人あたりの仕事は増えます。
量も質も持ちきれないものになってきます。

その結果、リタイアする人も出ます。
増えもします。

このように、社会全体に不安は漂っています。
それを正せるかどうかも、不透明です。

さらに不安は、不安を引き寄せます。
不安は大きくなります。

大きな不安は、現実判断をゆがめます。
その結果、物事はスムーズに進みません。

それに現在は、地域共同体も狭められています。
地域の絆が弱まっています。

都会暮らしでは、近隣への関心も薄いのです。
それが孤独感を生みます。

孤独感を補うものもありません。
それがよけい孤独感を深めます。

自分を支えるものがありません。
そのために、よけい仕事にのめり込みます。

このように悪循環は始まり、続きます。
次に、モデルにより述べます。

ある男性は、会社で不安におそわれます。
それは上司が自分に、変によそよそしく接するのです。

そのよそよそしさは、「リストラのサインかもしれない」と考えました。
そこから悪循環は始まります。

相手のよそよそしさを疑うと、よけいとそよそしく見えます。
その結果、自分もよそよそしくなります。

不自然さは、不自然さを生みます。
さらに、その不自然さを育てもします。

この不自然さの悪循環に苦しみます。
この男性は心配することは、心配を消すと考えたのでしょう。

しかし逆です。
心配することは、心配を増します。

心配すればするほど、心配になります。
心配は心のど真ん中に、居座ってしまいます。

次回に、さらに述べます。



  

Posted by counselor at 09:46Comments(0)カウンセリング

2016年02月17日

神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法 667

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

「神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法」として、「職業上の不安」を述べます。

「社会的損失の不安」とは経済的、社会的にいまの地位を失う不安です。
誰でも、将来に不安はあります。客観化するだけでも、不安から距離はとれます。

これは「職業上の不安」にも通じるものです。
次に「職業上の不安」を述べます。

いま「職業上の不安」はとても多いのです。
これは不景気による、失業の心配が土台にあります。

どうしても、職業上の不安は広まりがちです。
その不安に、多くの人がのみ込まれそうになります。

のみ込まれれば、おぼれます。
自分を見失います。

さらに技術の進歩も、職業上の不安を広めます。
急激な技術進歩の世界を、私たちは生きています。

急激な技術進歩の世界では、自分が学んだことは常に古臭いものになっていくのです。
私たちはそんな技術進歩を、追いかけて生きています。

技術進歩は、新しいもの好きな人により支えられています。
興味によって、支えられています。

興味そのものに、成熟はありません。
若さだけです。

働くことが、成熟と結びついていません。
若さによる興味だけが、暴走します。

働くこと=成熟
働くことが、成熟とイコールであれば理想的です。

しかし現実は
働くこと=興味 であり 働くこと≠成熟 です。

これが逆になればいいのです。
それは 働くこと=成熟 です。

ただし現実は、逆方向であることが多いのです。
それが困難を強めます。

ところが人のこころの発達は、成熟に向かいます。
発達にも、見放されていると言えます。

働くことが心の成熟に向かわないで、興味に向かっています。
よって心の発達にも、見放されるのです。

根なし草のような状態になります。
そこに気付かない、生きにくさが潜んでいます。

根なし草であれば、根なし草を自覚すれば良いのです。
それを自覚できないことに、生きにくさが潜んでいます。

その自覚から、スタートすれば良いのです。
ただし、それほど強靭な自我を持った人は少ないのです。

だから、現代社会に多くの問題が発生します。
これが現実です。

現実に職業上の評価は多くの場合上司や、お客さんの評価です。
その人たちも、気持ちの不安定な人が多いのです。

気持ちの不安定な人が評価します。
だから困ります。

そのときの気分しだいであることが多いのです。
特にサービス業は、そうです。

都市化すればするほど、サービス業中心になります。
成熟から、遠ざかります。

その結果、自分の技能の向上は二の次になります。
他者の顔色ばかり、うかがうことになります。

常に上司も自分も、神経をとがらせます。
その結果、非生産的に疲れます。

他者の顔色ばかり、うかがう疲れだけが残ります。
自分の身は、削られるだけです。

たとえればハンドボールの試合で、審判の笛が怪しいと感じます。
そのときファイトは弱まります。

フェアーな試合ではないと感じます。
そのために、さらにファイトは弱まります。

ところが完全なものは、どこにもありません。
ある種、不完全で当然です。

でてくる人も社会も、不完全です。
それが完成に近づくプロセスを生きています。

不完全なものが、完成に近づくプロセスを生きています。
私たちも社会も、全てがそうです。

そう考えれば、不満も弱まります。
そこから、再スタートしましょう。

もう一つ、見えざる敵がいます。
それは、完ぺき主義です。

完ぺき主義は、完全を求めます。
100メートルを9秒で走ることを求めます。

もし100メートルを9秒で走ることができたら、さらに要求がでます。
200メートルも9秒で走れになります。

やがてマラソンも、9秒で走れになります。
無理強いされます。

正確には、自分が自分に無理強いします。
自分自身で無理強いするのです。

自分自身の心のメカニズムにより疲れます。
よってとても疲れます。

何でもしがみつきは、とても疲れます。
その悪循環を、抜けられなくなります。

これが性格として固定化する人もいます。
完ぺき性格者です。

完ぺき性格者は、融通がききません。
水が凍ったように、動けません。

水ではなく凍ったものです。
すなわち氷です。

そうなったとき、自分で自分を苦しめます。
生活のバランスを崩すのです。

常に不満足です。
それゆえに絶対にこない、完全を求めます。

強調すべきことは絶対に「ない」ではなく、絶対に「こない」です。
時間をいくらかけても、こないものです。

ある意味では、完成は「いま」あります。
将来には、ありません。

「いま」やるのです。
やるのは「いま」です。

それに満足は、今しか得られません。
どこにも満足はやってきません。

それに満足を仕事にだけ求めるのも、愚かです。
仕事以外にも、満足は得られます。

それに気付かない、人は困難に陥ります。
生活のバランスは、崩れます。

バランスの崩れた生活は、いっぺんに崩れがちです。
もろいのです。

私生活がおろそかになれば、仕事にのめり込みます。
その結果、ますます私生活がおろそかになります。

このように生活のバランスは、崩れています。
その結果、生活はいっぺんに崩れることもあります。

生活にゆとりがないゆえに、もろいのです。
すぐ折れてしまいます。

踏ん張っているうちは良いのです。
その踏ん張りがきかなくなったとき、危機がきます。

危機が、おとずれます。
そのとき全て崩れ去るのです。

これが日本のいたる所で、起きています。
ここ10数年間は顕著です。

日本の経済危機は、こんな姿も現わしています。
自殺者の増加です。

これは社会不安を強めます。
その結果、さらに自殺は増えます。

これに余暇の減少も、問題点です。
経済危機は、リストラを進めます。

その結果、一人あたりの仕事は増えます。
量も質も持ちきれないものになってきます。

その結果、リタイアする人も出ます。
増えもします。

このように、社会全体に不安は漂っています。
それを正せるかどうかも、不透明です。

さらに不安は、不安を引き寄せます。
不安は大きくなります。

大きな不安は、現実判断をゆがめます。
その結果、物事はスムーズに進みません。

それに現在は、地域共同体も狭められています。
地域の絆が弱まっています。

都会暮らしでは、近隣への関心も薄いのです。
それが孤独感を生みます。

孤独感を補うものもありません。
それがよけい孤独感を深めます。

自分を支えるものがありません。
そのために、よけい仕事にのめり込みます。

このように悪循環は始まり、続きます。
次に、モデルにより述べます。

ある男性は、会社で不安におそわれます。
それは上司が自分に、変によそよそしく接するのです。

そのよそよそしさは、「リストラのサインかもしれない」と考えました。
そこから悪循環は始まります。

相手のよそよそしさを疑うと、よけいとそよそしく見えます。
その結果、自分もよそよそしくなります。

不自然さは、不自然さを生みます。
さらに、その不自然さを育てもします。

この不自然さの悪循環に苦しみます。
この男性は心配することは、心配を消すと考えたのでしょう。

しかし逆です。
心配することは、心配を増します。

心配すればするほど、心配になります。
心配は心のど真ん中に、居座ってしまいます。

ど真ん中に居座って、動きません。
動かそうとすると、より大きくなります。

次回に、さらに述べます。



  

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2016年02月20日

神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法 668

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

「神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法」として、「職業上の不安」を述べます。

「社会的損失の不安」とは経済的、社会的にいまの地位を失う不安です。
誰でも、将来に不安はあります。客観化するだけでも、不安から距離はとれます。

これは「職業上の不安」にも通じるものです。
次に「職業上の不安」を述べます。

いま「職業上の不安」はとても多いのです。
これは不景気による、失業の心配が土台にあります。

どうしても、職業上の不安は広まりがちです。
その不安に、多くの人がのみ込まれそうになります。

のみ込まれれば、おぼれます。
自分を見失います。

さらに技術の進歩も、職業上の不安を広めます。
急激な技術進歩の世界を、私たちは生きています。

急激な技術進歩の世界では、自分が学んだことは常に古臭いものになっていくのです。
私たちはそんな技術進歩を、追いかけて生きています。

技術進歩は、新しいもの好きな人により支えられています。
興味によって、支えられています。

興味そのものに、成熟はありません。
若さだけです。

働くことが、成熟と結びついていません。
若さによる興味だけが、暴走します。

働くこと=成熟
働くことが、成熟とイコールであれば理想的です。

しかし現実は
働くこと=興味 であり 働くこと≠成熟 です。

これが逆になればいいのです。
それは 働くこと=成熟 です。

ただし現実は、逆方向であることが多いのです。
それが困難を強めます。

ところが人のこころの発達は、成熟に向かいます。
発達にも、見放されていると言えます。

働くことが心の成熟に向かわないで、興味に向かっています。
よって心の発達にも、見放されるのです。

根なし草のような状態になります。
そこに気付かない、生きにくさが潜んでいます。

根なし草であれば、根なし草を自覚すれば良いのです。
それを自覚できないことに、生きにくさが潜んでいます。

その自覚から、スタートすれば良いのです。
ただし、それほど強靭な自我を持った人は少ないのです。

だから、現代社会に多くの問題が発生します。
これが現実です。

現実に職業上の評価は多くの場合上司や、お客さんの評価です。
その人たちも、気持ちの不安定な人が多いのです。

気持ちの不安定な人が評価します。
だから困ります。

そのときの気分しだいであることが多いのです。
特にサービス業は、そうです。

都市化すればするほど、サービス業中心になります。
成熟から、遠ざかります。

その結果、自分の技能の向上は二の次になります。
他者の顔色ばかり、うかがうことになります。

常に上司も自分も、神経をとがらせます。
その結果、非生産的に疲れます。

他者の顔色ばかり、うかがう疲れだけが残ります。
自分の身は、削られるだけです。

たとえればハンドボールの試合で、審判の笛が怪しいと感じます。
そのときファイトは弱まります。

フェアーな試合ではないと感じます。
そのために、さらにファイトは弱まります。

ところが完全なものは、どこにもありません。
ある種、不完全で当然です。

でてくる人も社会も、不完全です。
それが完成に近づくプロセスを生きています。

不完全なものが、完成に近づくプロセスを生きています。
私たちも社会も、全てがそうです。

そう考えれば、不満も弱まります。
そこから、再スタートしましょう。

もう一つ、見えざる敵がいます。
それは、完ぺき主義です。

完ぺき主義は、完全を求めます。
100メートルを9秒で走ることを求めます。

もし100メートルを9秒で走ることができたら、さらに要求がでます。
200メートルも9秒で走れになります。

やがてマラソンも、9秒で走れになります。
無理強いされます。

正確には、自分が自分に無理強いします。
自分自身で無理強いするのです。

自分自身の心のメカニズムにより疲れます。
よってとても疲れます。

何でもしがみつきは、とても疲れます。
その悪循環を、抜けられなくなります。

これが性格として固定化する人もいます。
完ぺき性格者です。

完ぺき性格者は、融通がききません。
水が凍ったように、動けません。

水ではなく凍ったものです。
すなわち氷です。

そうなったとき、自分で自分を苦しめます。
生活のバランスを崩すのです。

常に不満足です。
それゆえに絶対にこない、完全を求めます。

強調すべきことは絶対に「ない」ではなく、絶対に「こない」です。
時間をいくらかけても、こないものです。

ある意味では、完成は「いま」あります。
将来には、ありません。

「いま」やるのです。
やるのは「いま」です。

それに満足は、今しか得られません。
どこにも満足はやってきません。

それに満足を仕事にだけ求めるのも、愚かです。
仕事以外にも、満足は得られます。

それに気付かない、人は困難に陥ります。
生活のバランスは、崩れます。

バランスの崩れた生活は、いっぺんに崩れがちです。
もろいのです。

私生活がおろそかになれば、仕事にのめり込みます。
その結果、ますます私生活がおろそかになります。

このように生活のバランスは、崩れています。
その結果、生活はいっぺんに崩れることもあります。

生活にゆとりがないゆえに、もろいのです。
すぐ折れてしまいます。

踏ん張っているうちは良いのです。
その踏ん張りがきかなくなったとき、危機がきます。

危機が、おとずれます。
そのとき全て崩れ去るのです。

これが日本のいたる所で、起きています。
ここ10数年間は顕著です。

日本の経済危機は、こんな姿も現わしています。
自殺者の増加です。

これは社会不安を強めます。
その結果、さらに自殺は増えます。

これに余暇の減少も、問題点です。
経済危機は、リストラを進めます。

その結果、一人あたりの仕事は増えます。
量も質も持ちきれないものになってきます。

その結果、リタイアする人も出ます。
増えもします。

このように、社会全体に不安は漂っています。
それを正せるかどうかも、不透明です。

さらに不安は、不安を引き寄せます。
不安は大きくなります。

大きな不安は、現実判断をゆがめます。
その結果、物事はスムーズに進みません。

それに現在は、地域共同体も狭められています。
地域の絆が弱まっています。

都会暮らしでは、近隣への関心も薄いのです。
それが孤独感を生みます。

孤独感を補うものもありません。
それがよけい孤独感を深めます。

自分を支えるものがありません。
そのために、よけい仕事にのめり込みます。

このように悪循環は始まり、続きます。
次に、モデルにより述べます。

ある男性は、会社で不安におそわれます。
それは上司が自分に、変によそよそしく接するのです。

そのよそよそしさは、「リストラのサインかもしれない」と考えました。
そこから悪循環は始まります。

相手のよそよそしさを疑うと、よけいとそよそしく見えます。
その結果、自分もよそよそしくなります。

不自然さは、不自然さを生みます。
さらに、その不自然さを育てもします。

この不自然さの悪循環に苦しみます。
この男性は心配することは、心配を消すと考えたのでしょう。

しかし逆です。
心配することは、心配を増します。

心配すればするほど、心配になります。
心配は心のど真ん中に、居座ってしまいます。

ど真ん中に居座って、動きません。
動かそうとすると、より大きくなります。

そこで「放っておく」という、発想も出ます。
放っておくのが、最大の解決というのです。

次回に、さらに述べます。



  

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