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2012年09月29日

歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法 169

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今日も歪んだ神経症の「思い込み」をいかす方法について、述べます。

神経症の人は歪んだ思い込みに支配され、不安で身動きできない状態です。ただし不安になっているときは、歪んだ思い込みによる心配そのものはある程度ストップもしています。

認知行動療法では心配や不安に実際に、向き合うのです。
心配や不安の言いしれぬムードが増大しても、向き合うのです。これがポイントです。

向き合うと、一つの大きな事実に気付きます。
それは「心配していたほどのことはない」という、気付きです。

神経症の人の「思い込み」は、大きく歪んだものです。
現実にそれに向き合うと、「心配していたほどのことはない」ということの気付きます。

神経症の本当の解決は直接、不安や恐怖に向かい合うことです。
そうやって不安や恐怖を実感して、本来その不安や恐怖はそれほど心配することではないということに気付くことです。

次にモデルにより、「罪悪感の克服」の方法を述べます。

ある若い女性です。この人は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

それは自分は、「品行方正でなければならない」という考えによるものでした。
そしてそれゆえに、苦しんでもいました。

この人は、硬直した自己イメージにしばりつけられていたのです。
その結果、自由な気持ちが失われていたのです。

逆方向から述べれば、もし自分が「品行方正でなければ」、それだけですべてはマイナスに動き出してしまうと考えていたのです。

このように硬直した自己イメージにしばりつけられた人は、次のように自分に問うことも必要です。
「なぜ怒りを、顔に表してはいけない?」

誰でも怒りを、顔に表すことはあります。
それは誰でも、風邪をひくことがあるのと同じです。

「絶対に、風邪をひいてはいけない」と考える人は、愚かです。
おなじように「絶対に、怒りを顔に表してはいけない」と考える人も、愚かです。

さらにこの人は、怒りを感じるだけでもいけないのです。
怒りという感情すら、品行方正に反するいけないことなのです。

ここにも、大きな誤りがあります。
感情そのものにいい、悪いはそもそもないのです。

たとえば「泥棒をしたい」と考えることと、実際に泥棒をすることは違います。
それと同じように、考えるだけであればいい、悪いはそもそもないのです。

ところがこころの柔軟性が失われると、「泥棒をしたい」と考えるだけで悪いことになってしまいます。
自然な感情すら、否定的に受け取られるのです。

この自然な感情を、押さえ込もうとします。
その結果、さらに否定性の迷路をさ迷うのです。

この人は現実生活でも、困っていたことがあります。
それは横断歩道が赤信号の時に、近くに小さな子供がいると起きました。

その近くにいる小さな子供を、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配したのです。
そのために横断歩道のそばは、避けがちでした。

これは先ほどの自分は「品行方正でなければならない」という考えと、同じような理由によります。
この人は自分は「品行方正でなければ」、人から受け入れられないと強く信じていました。

さらにこの人の心配には、一つのこころの歪みがはたらいていたのです。それは「考えていることは直接、行動とつながっている」という歪んだメカニズムです。

「考えていることは直接、行動とつながっている」という思い込みから、「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないという心配」を説明してみます。

この人は「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と考えたときに、その考えと行動は異なるものだと認識できないのです。

考え=行動 です。
けっして 考え≠行動 ではないのです。 

ただし本当は、この逆です。
考え=行動 は、この人の思い込みです。

よって事実は、考え≠行動 であることの理解が必要です。
そのための方法を、この人に用いました。

この人は、前述のように「横断歩道が赤信号の時に近くに小さな子供がいると、道路に突きとばしてしまうかもしれないと心配」していました。この考えと行動は異なるものだと、認識できればいいのです。

そこでこの人に、こころの中で「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」と繰り返してもらいました。おおよそ10分~20分、こころの中でそう繰り返してもらいました。

その繰り返しの中で、こころの中の「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに気付いてもらうためです。

こころの中でその言葉を繰り返していると、こころはその言葉で飽和します。
こころの飽和状態こそが、考えそのもののばかばかしさに気付かせるのです。

この人も10分ぐらい繰り返すうちに、その考えのばかばかしさに気付いてきました。
ただそれでも、ストップしないことが大切です。

最初のうちは20分以上、こころの中で繰り返すことは必要です。
自分の考えのばかばかしさに、あきあきするまで繰り返すのです。

そして20分以上、こころの中で繰り返したらストップします。
もうこころは、その言葉で飽和しました。

そのときには「子供を道路に突きとばしてしまうかもしれない」という考えそのもののばかばかしさに、気付いていたのです。

その結果、考えに引きずられなくなりました。
はっきりと考えと行動を、分けられるようになりました。

なおこれは行動療法の方向からの、改善です。
次に認知療法の方向からの、アプローチを述べます。

この若い女性は、いつも笑顔でいなければいけない。
顔に怒りを、表してはいけないと思っていました。

そこには大きな、こころの歪みがあります。
それを正していくのです。そのための方法が、認知療法です。

この人は「品行方正でなければ」、いけないと思っていました。
それは怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたからです。

ところが当然、誰にでも怒りはあります。
その誰にでもある怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていたのです。

この人はこのように信じていましたから、常に生き方は消極的でした。
そしてその消極さにも、こころの不自由さを感じていたのです。

こころの自由さをとり戻すには誰にでもある感情、怒りを自分にもあることを認めることです。
自分にもあるという事実を、認めることがポイントです。

それだけで、こころの迷路を抜け出せます。
閉そく感から、解放されるのです。

さらにこれに、プラスしていくべきこともあります。
それは感情そのものの持つ、矛盾も同時に受け入れることです。

この人は怒りを悪いものだ、あってはいけないことだと信じていましたから、自己主張も悪いものと考えていました。このように怒りを境界として、感情を二分していたのです。

それは白黒テレビのようなものです。
けっして、カラーテレビではありません。

現実を白黒でしか、表せません。
ありのままに、表現できないのです。

よって、現実は白黒テレビのようなものです。
カラーテレビよりは、味気ないのです。

最も本質的なことは、現実はカラーテレビなのです。
現実は、多様性を有しているのです。

そして現実は多様性を有していると同時に、こころも多様性を有しているのです。
人のこころは矛盾するものを、同時に持っているのです。

矛盾するものを同時に持つだけの、深さもあるのです。
神経症になると、その深さが失われてしまいます。

神経症、ノイローゼの人は矛盾するものを同時に持てません。
一つのものしか、持てません。

神経症、ノイローゼの人は、自分のこころの中の矛盾に気付いていないのです。
事実に、に気付いていないのです。

そしてかつ、自分のこころの中の矛盾するものがあることを悪いことと考えてしまいます。
その結果、苦しむのです。

大切なことはこころの中に矛盾するものがあることを、認めることです。
もし認められなければ、認めようとすることです。

こころの中に矛盾するものがあることを、認めようとすればそれだけで大きく前進します。
もし現実に矛盾するものに出合っても、それに巻き込まれません。

それぐらい人間の持つ複雑さ、自分の持つ複雑さに気付いているのです。
それを受けいられるぐらい、こころの容量も大きくなっているのです。


自分の持つ複雑さに気付き、こころの容量を大きくすることにより改善する、こころの問題は多いのです。それを、ある主婦をモデルに述べます。

この人は結婚生活が、とても不安定でした。
客観的には、何の妨げもない結婚生活です。

その妨げは、この人のこころの中にありました。
結婚前は、ご主人に対して一つの思いしかありませんでした。

「愛している」という、思いです。
しかし今は、他の思いがプラスされたのです。

現実の結婚生活では愛情も不安や、怒りにさらされることもあります。
その不安や怒りにさらされたときに、複雑な気持ちにおそわれるのです。

特にこの人を、困らせたことがあります。
それは不安や怒りにさらされたときに、「結婚は破綻する」という気持ちにおそわれました。

この「結婚は破綻する」という気持ちが、とてもこの人を困らせたのです。
現実の結婚生活のなかで不安や怒りにさらされると、「結婚は破綻する」という気持ちに巻き込まれたのです。

現実にご主人は、この人に気持ちを向けています。
しかしこの人は、ほんの少しご主人の関心が仕事やテレビに向かうと不安におそわれました。

24時間、ご主人が自分のほうを向いていないと愛情の不安定さを感じました。
そしてそれはいま「結婚は破綻している」と思われたのです。

それゆえにほんの少しご主人の関心が仕事やテレビに向かうと、自分のほうに関心を向けさせようとひっしになりました。ただしひっしになればなるほど、夫婦関係はチグハグナものになりました。

それは問題の本質は、自分にあるからです。
自分が変わらなければ、解決しない問題なのです。

さらにもう少し、深いこころの問題もあります。
この人には、こころの芯の不安定さもあります。

そのこころの芯の不安定さゆえに、ほんの少しご主人の関心が仕事やテレビに向かうだけでこころがゆり動かされるのです。

それも含めて、カウンセリングは進められました。
先ず「あなたはご両親に、矛盾するところを感じましたか?」

次に「あなたは学校の先生に、矛盾するところを感じましたか?」
「小学生のときは?中学生のときは?高校~~~」

このように話を進めると多くの場合、一つの傾向があることに気付きます。
それは小学生のときは、矛盾するところを感じない場合がとても多いのです。

小学生のときは親や、学校の先生を無批判に信じてしまいます。
ところが中学生ぐらいから、それが弱まります。

高校生になれば、さらに学校の先生を無批判に信じなくなります。
これは子供の自己形成のプロセスと、一致します。

人は発達とともに、自分自身を形成します。
それは親や学校の先生との間に、境界線を引いていくプロセスです。

そのプロセスの中では、親や学校の先生に批判的になることもあります。
そしてそれこそが、自己形成に必要なことです。

いわゆる自我の確立です。
それは子供が大人になるためには、当然のことです。

このように相手に対する、この人の場合はご主人に対する見方はある種、当然です。
ご主人の態度に矛盾を感じたり、違和感を感じるのはある種、当然です。

これは子供が大人になるのと、同じようなメカニズムです。
ご主人を現実の中で、見るために起きたことです。

さらに、述べます。



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