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2017年03月02日

神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法 782

お知らせ 熊本地震及び東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

「神経症の人が生活にゆとりをとり戻す方法」として、「職業上の不安」を述べます。

「社会的損失の不安」とは経済的、社会的にいまの地位を失う不安です。
誰でも、将来に不安はあります。客観化するだけでも、不安から距離はとれます。

これは「職業上の不安」にも通じるものです。
次に「職業上の不安」を述べます。

いま「職業上の不安」はとても多いのです。
これは不景気による、失業の心配が土台にあります。

どうしても、職業上の不安は広まりがちです。
その不安に、多くの人がのみ込まれそうになります。

のみ込まれれば、おぼれます。
自分を見失います。

さらに技術の進歩も、職業上の不安を広めます。
急激な技術進歩の世界を、私たちは生きています。

急激な技術進歩の世界では、自分が学んだことは常に古臭いものになっていくのです。
私たちはそんな技術進歩を、追いかけて生きています。

技術進歩は、新しいもの好きな人により支えられています。
興味によって、支えられています。

興味そのものに、成熟はありません。
若さだけです。

働くことが、成熟と結びついていません。
若さによる興味だけが、暴走します。

働くこと=成熟
働くことが、成熟とイコールであれば理想的です。

しかし現実は
働くこと=興味 であり 働くこと≠成熟 です。

これが逆になればいいのです。
それは 働くこと=成熟 です。

ただし現実は、逆方向であることが多いのです。
それが困難を強めます。

ところが人のこころの発達は、成熟に向かいます。
発達にも、見放されていると言えます。

働くことが心の成熟に向かわないで、興味に向かっています。
よって心の発達にも、見放されるのです。

根なし草のような状態になります。
そこに気付かない、生きにくさが潜んでいます。

根なし草であれば、根なし草を自覚すれば良いのです。
それを自覚できないことに、生きにくさが潜んでいます。

その自覚から、スタートすれば良いのです。
ただし、それほど強靭な自我を持った人は少ないのです。

だから、現代社会に多くの問題が発生します。
これが現実です。

現実に職業上の評価は多くの場合上司や、お客さんの評価です。
その人たちも、気持ちの不安定な人が多いのです。

気持ちの不安定な人が評価します。
だから困ります。

そのときの気分しだいであることが多いのです。
特にサービス業は、そうです。

都市化すればするほど、サービス業中心になります。
成熟から、遠ざかります。

その結果、自分の技能の向上は二の次になります。
他者の顔色ばかり、うかがうことになります。

常に上司も自分も、神経をとがらせます。
その結果、非生産的に疲れます。

他者の顔色ばかり、うかがう疲れだけが残ります。
自分の身は、削られるだけです。

たとえればハンドボールの試合で、審判の笛が怪しいと感じます。
そのときファイトは弱まります。

フェアーな試合ではないと感じます。
そのために、さらにファイトは弱まります。

ところが完全なものは、どこにもありません。
ある種、不完全で当然です。

でてくる人も社会も、不完全です。
それが完成に近づくプロセスを生きています。

不完全なものが、完成に近づくプロセスを生きています。
私たちも社会も、全てがそうです。

そう考えれば、不満も弱まります。
そこから、再スタートしましょう。

もう一つ、見えざる敵がいます。
それは、完ぺき主義です。

完ぺき主義は、完全を求めます。
100メートルを9秒で走ることを求めます。

もし100メートルを9秒で走ることができたら、さらに要求がでます。
200メートルも9秒で走れになります。

やがてマラソンも、9秒で走れになります。
無理強いされます。

正確には、自分が自分に無理強いします。
自分自身で無理強いするのです。

自分自身の心のメカニズムにより疲れます。
よってとても疲れます。

何でもしがみつきは、とても疲れます。
その悪循環を、抜けられなくなります。

これが性格として固定化する人もいます。
完ぺき性格者です。

完ぺき性格者は、融通がききません。
水が凍ったように、動けません。

水ではなく凍ったものです。
すなわち氷です。

そうなったとき、自分で自分を苦しめます。
生活のバランスを崩すのです。

常に不満足です。
それゆえに絶対にこない、完全を求めます。

強調すべきことは絶対に「ない」ではなく、絶対に「こない」です。
時間をいくらかけても、こないものです。

ある意味では、完成は「いま」あります。
将来には、ありません。

「いま」やるのです。
やるのは「いま」です。

それに満足は、今しか得られません。
どこにも満足はやってきません。

それに満足を仕事にだけ求めるのも、愚かです。
仕事以外にも、満足は得られます。

それに気付かない、人は困難に陥ります。
生活のバランスは、崩れます。

バランスの崩れた生活は、いっぺんに崩れがちです。
もろいのです。

私生活がおろそかになれば、仕事にのめり込みます。
その結果、ますます私生活がおろそかになります。

このように生活のバランスは、崩れています。
その結果、生活はいっぺんに崩れることもあります。

生活にゆとりがないゆえに、もろいのです。
すぐ折れてしまいます。

踏ん張っているうちは良いのです。
その踏ん張りがきかなくなったとき、危機がきます。

危機が、おとずれます。
そのとき全て崩れ去るのです。

これが日本のいたる所で、起きています。
ここ10数年間は顕著です。

日本の経済危機は、こんな姿も現わしています。
自殺者の増加です。

これは社会不安を強めます。
その結果、さらに自殺は増えます。

これに余暇の減少も、問題点です。
経済危機は、リストラを進めます。

その結果、一人あたりの仕事は増えます。
量も質も持ちきれないものになってきます。

その結果、リタイアする人も出ます。
増えもします。

このように、社会全体に不安は漂っています。
それを正せるかどうかも、不透明です。

さらに不安は、不安を引き寄せます。
不安は大きくなります。

大きな不安は、現実判断をゆがめます。
その結果、物事はスムーズに進みません。

それに現在は、地域共同体も狭められています。
地域の絆が弱まっています。

都会暮らしでは、近隣への関心も薄いのです。
それが孤独感を生みます。

孤独感を補うものもありません。
それがよけい孤独感を深めます。

自分を支えるものがありません。
そのために、よけい仕事にのめり込みます。

このように悪循環は始まり、続きます。
次に、モデルにより述べます。

ある男性は、会社で不安におそわれます。
それは上司が自分に、変によそよそしく接するのです。

そのよそよそしさは、「リストラのサインかもしれない」と考えました。
そこから悪循環は始まります。

相手のよそよそしさを疑うと、よけいとそよそしく見えます。
その結果、自分もよそよそしくなります。

不自然さは、不自然さを生みます。
さらに、その不自然さを育てもします。

この不自然さの悪循環に苦しみます。
この男性は心配することは、心配を消すと考えたのでしょう。

しかし逆です。
心配することは、心配を増します。

心配すればするほど、心配になります。
心配は心のど真ん中に、居座ってしまいます。

ど真ん中に居座って、動きません。
動かそうとすると、より大きくなります。

そこで「放っておく」という、発想も出ます。
放っておくのが、最大の解決というのです。

私たちは、予測により不安になります。
将来を予測することが、不安の原因です。

不安は、予測の中にのみあります。
ほかのどこにもありません。

そのほかのどこにもないものによって、今がおろそかになります。
これは、とても愚かです。

やがて眠れなくなります。
睡眠障害が起きます。

睡眠障害が起きると、迷路に完全に入っています。
生活も崩れています。

ここまでくると、大きな問題です。
次に、その解決方法を述べます。

先ず不安そのものの持つ意味と、価値を検証することです。
はたして不安に意味と、価値はりますか?

多くの場合、不安の解決を求めると悪循環に入るだけです。
迷路に入るだけです。

たとえればギャンブルで負けて、ギャンブルで取り戻そうとするのと同じです。
けっして取り戻せません。

それに気づくこと。
気付きが、最初の一歩になります。

そもそもギャンブルは、非生産的な解決方法です。
けっして、生産的なものではありません。

まして、絶対にプラスに働きません。
いかなる意味においても、プラスに働きません。

不安の解決を求めるというギャンブルを、やめること。
けっして安心は、取り戻せません。

非生産的な、不安の解決を求めていたのです。
まず大切なことは、不安の性格を見極めることです。

そのために意味のある不安と、そうでないものに分けます。
両者が混合しているのが、いまの状態です。

いまは意味のない不安に、足を引っ張られているのです。
これでは、何も前に進みません。

意味のない不安に足を引っ張られることなく、前に進むことが大切です。
そのための具体的な課題を、カウンセラーと話し合います。

ここに具体的な課題と書いたことには、大きな意味があります。
問題の解決ではなく、課題をマスターすることです。

カウンセラーは話し合い、課題を作ります。
その課題を家や、職場で実行します。

このように生活を通して、カウンセリングを行います。
生活とカウンセリングは、別のものではありません。

生活とカウンセリングの間の距離を縮めることが必要です。
距離があればあるほど、地に足のつかないものになってしまいます。

神経症の人が生活にゆとりをとり戻すのは、現実生活においてです。
その現実生活と別に行うカウンセリングには、意味が感じられません。

意味が感じられないものは、中断しやすいのです。
それゆえに失敗するのです。

より具体的な、現実の目標設定は大切です。
それを二人で、話し合います。

先ず職場で、フレンドリーになることです。
親しい人間関係を築くことです。

次は計画をもって動くこと、を目的にしました。
このように現実の目標は設定されました。

それをさらに具体化するのです。
先ず親しく、挨拶をすることから始めました。

そうすると、気付いたことがあります。
相手も親しく、挨拶を返すのです。

今までは、相手を不愛想な人と思っていました。
しかし、そうではありませんでした。

相手は自分に関心を持っていたのです。
でも無口なので、どうしていいのかわからなかったのです。

この事実に気付きました。
大きな事実です。

相手も、自分と同じような人だったのです。
この気付きだけでも、安心できました。

さらにリストラの恐怖もありました。
いつリストラされるかもしれないと、心配でした。

この心配は、漂っていました。
それに支配されていました。

この漂ったものに、支配されなくなることが次の課題です。
そのためにリストラされるかもしれないという心配の持つ、プラスとマイナスをノートに書いてもらいました。

その結果、マイナスしかないことに気付きます。
心配して解決することは、何もありません。

そうであれば、リストラされるかもしれないという心配を受け入れればよいのです。
心配してもしょうがないことは、心配しないのです。

その覚悟は大切です。
それが心配の、折り返し地点になります。

心配の折り返し地点を、折り返せば意味は変わります。
その人の心配の意味は、変わります。

この人はそれ以降、心配より働くことにチェンジしました。
大きなチェンジです。

失業の心配の真の解決は、働くことです。
ただし会社で正しく評価されず、自分に見合う仕事を与えられないという不満は残りました。

それを爆発させることは、自爆になります。
社会化した行為ではありません。

やはり社会化した解決を、目指すべきです。
それが人格の成熟にも、通じます。

おとなの対応ですね。
それを身につけるのです。

この人の場合は、会社の評価を受け入れます。
格差のある評価を受け入れました。

不公平なあつかいも、仕事の一部と考えました。
そうやって受け入れました。

職場の困ったことも、仕事の一部としたのです。
そうやって困難に向かい合いました。

職場で、働いている人どうしのトラブルはあります。
それも、仕事の一部としたのです。

そう考えれば、それほどトラブルに妨げられません。
あとはより具体的な、目標を設定します。

その目標は具体的であればベターです。
かつ前向きであればベストです。

前向きでかつ具体的であることが、必要です。
これはプラスの要素です。

もう一つ大切なことは、この逆のことです。
今いる地位にあぐらをかかないことです。

今の自分の業績、今までの業績にもあぐらをかかないことです。
常に、前に進む姿勢こそが大切です。

現在の技術革新の時代には、あぐらをかくことは難しいのです。
ただし意味の異なるあぐらもあります。

それは自分の地位に甘んじて、勉強を深めないことです。
人にやらせて、自分は何もしないことです。

人にやらせて、自分は何もしない姿勢は、すべてを遠ざけます。
それは人だけではなく、肝心かなめの仕事も遠ざけます。

今の業績にあぐらをかかないことにより、前に進めます。
あぐらをかけば、今までの業績の価値も失います。

常に常に、前を見ることです。
そうやって、さらに全体を見渡すことです。

このようにして、現実を素直に受け入れます。
現実に抵抗することなく、素直に受け入れます。

受け入れれば困難は、その性格を変えます。
困難は、チャレンジに変わります。

小学校の運動会と、同じようなものです。
ビリになることを恐れないで、チャレンジするのです。

神経症の人は運動会で、転ぶことを怖がっている小学生と同じです。
気持ちにゆとりが、ありません。

怖がるから、腰がひけます。
よってバットを思いっきり振れない、打者になってしまいます。

多くの場合、学校の先生のように説教をします。
「おもいっきりバットを振れ!」

こうやって、説得します。
その結果、説得の犠牲者になってしまいます。

カウンセリングの利用者に、説得の犠牲者はとても多いのです。
そこから方向を変えるのも、カウンセリングの役割です。

分かったからといって、それは役立ちません。
逆に分かることは、壁になります。

分かることは、強固な壁でもあるのです。
そうならないように、心がけなければいけません。

分かったから、できないことも多いのです。
打者が間違えたバットスイングを指摘されても、困るだけのことも多いのです。

間違えたバットスイングを、正す方法も必要です。
正す方法こそが、必要です。

間違えを正す方法を示さなければ、現実は何も変わりません。
足踏みするだけです。

この人は現実を受け入れ、そこで次の策を練りました。
それは職場のゲームの流れです。若いときの豊臣秀吉のようになったのです。

織田信長は、絶対的な存在です。
その中で、秀吉は自分の地位を確立します。

秀吉の、織田軍における判断はよかったのです。
この人も職場における、自分の位置を判断しました。

信長は、横暴なひとでした。
秀吉は自分の行動を、その横暴さを前提に考えました。

そうやって、自分を前に出していきます。
戦術とも言えます。

当然、その職場ごとに前提は異なります。
ただしどんな職場でも、自分を前に出していかなければいけないのも事実です。

秀吉も、信長の草履をふところで温めました。
そうやって、自分を前に出しました。

職場ごとに、出しかたも異なります。
だが知恵が大切であることに、かわりはありません。

次に不安に支配されやすい思考をかえました。
そのための方法を、述べます。

先ず、具体的な心配を確かめます。
この人は解雇の心配を、確かめました。

それは「本当に解雇されるのか?」
「あるとすれば、どれぐらいの確率か?」

このことを、予想してもらいました。
具体的に数字も書いてもらいました。

そうすると、50%と書かれていました。
半分の確率です。

困ったことは半分起きて、半分起きません。
これでは、不安です。

特に神経症的な不安に支配されている人は、半分は全部になってしまいます。
半分起きることは、全分起きることになってしまいます。

この人の困難の本質は、ここにあります。
心配しすぎです。

そのもの自体は、それほどのことはありません。
心配が、その人を苦しめます。

この事実を知るだけでは、不安から抜け出せません。
逆に不安を強める結果に終わることも、多いのです。

正しいことを伝えることは、正しいやり方ではありません。
後者の正しいやり方が大切です。

正しいことを言うのではなく、正しく導くことが大切です。
多くの場合、正しいことを言うのに一生懸命です。

それに自分でも、心配しすぎに気付いています。
だが分かっていても、なおせません。

そのための方法を、述べます。
「本当に解雇されると考える事のメリットは?」で始まる質問です。

その人の、今の状態に焦点を移すのです。
今にフォーカスするのです。

その結果、こう答えられました。
「いま本当に解雇されると考える事のメリットはありません」

心配することに、メリットはないのです。
より正確に言えば、心配しすぎることにメリットはないのです。

体操の白井君も、勇気を持って演技します。
だから、後ろ向きなミスはありません。

白井君は自分で、後ろ向きなミスは認めないのです。
だが前向きなミスは、受け入れます。

常に前向きです。
その姿勢が、メダルにつながりました。

怖がらない事が、成功の秘訣です。
これは、すべてに通じます。

この人も、クビを怖がることの愚かさに気付きます。
次にクビを怖がることの、不合理さの検証に向かいます。

そのために、次の質問をしました。
「解雇になったら、具体的にどうしますか?」

「ハローワークに行きます」
こう答えました。

「そうすると、どうなりますか?」
こう質問します。

「全くダメかもしれない」
「職が見つからないという意味ですか?」

このような会話が、続きがちです。
ここに神経症的な傾向が、垣間見られます。

神経症的な傾向とは、「自分のすることは全部だめ」というものです。
それが垣間見られます。

この「自分のすることは全部だめ」というものは、思い込みです。
正確には間違えた思い込みです。

正しくない、間違えた思い込みに支配されています。
その結果、間違えた結果に導かれます。

その間違えた思い込みに支配されなければ、良いのです。
大切なことは、間違えた思い込みの支配を抜ける事です。

そのためには、「自分のすることは全部だめ」という事がミスであることを自覚しなければいけません。
その自覚のための方法を述べます。

そもそも、今まで「自分のすることは全部だめだったでしょうか?」
これを考えてみることです。

少なくとも、全部だめだったことはありません。
一部が、だめだったのです。

これは女性のダイエット失敗者にも、通じます。
一口食べたら、ダイエット完全失敗と考えます。

正確には一口食べたら、一口失敗です。
けっして全部失敗ではありません。

一口だけ失敗したのに、全部失敗したと考えます。
ここから食べ始めて、本当にダイエットは完全失敗します。

一口食べたら、一口だけ失敗です。
それだけの話です。

一口食べて、ダイエットは完全失敗ではありません。
この人も職が見つからない、全部だめだと考えがちです。

そもそも職が見つからないという事は、思い込みです。
いままでもそう思っても、就職してきました。

マイナスの思い込みに支配されてしまうのです。
その結果、身動きできなくなります。

そこでプラスのストーリーを、語ってもらいました。
マイナスの拘束から、自由になるためです。

プラスのストーリーは、楽観的なものです。
すぐ就職できるというものです。

カウンセラーは、その根拠を尋ねます。
「なんで、そう思います?」

この質問に、こう答えました。
「いままで、そうだったから」

このラインを大切にすれば良いのです。
「そうです。大丈夫!」

いままで、そうだったから大丈夫です。
だが意地悪な人がいて、多くの場合に自分の心のなかにいてこうつぶやきがちです。

「そうかな、安心したいだけじゃない」
こう言うのです。

この発言は × です。
正確には XXXXXXX です。

困っている人を、陥れるような言葉です。
他者を、おもいやる気持ちがありません。

それに、自分で自分を安心させたいという気持ちがあるのも事実です。
それを消し去るのがカウンセリングです。

多くの場合、相談を受ける人も自分を安心させたいという気持ちがあります。
これがカウンセリングを妨げます。

カウンセラーも安心したいのです。
これがカウンセリング最大の敵です。

カウンセラー自身も、人間としての限界はあります。
そのぎりぎりのところで、カウンセリングは行われます。

両者が自分を安心させたいという気持ちがぶつかるところが、必ず現れます。
そこがカウンセリングのポイントです。

カウンセリングは、ギリギリの局面で行います。
そんな厳しさがあります。

自分を安心させたいという気持ちのあるカウンセラーが、それを放棄します。
そうやって気持ちのぶつかりあいを避けます。

ここのところが、ポイントです。
もとに戻れば、「そうです。大丈夫!」と胸を張って言ってください。

常に困っている人には、「そうです。大丈夫!」と胸を張って言うぐらいの心構えでいてください。
それが大切です。

そう胸を張って言うだけで、大きく変わります。
大きな信頼は、すべてを支えます。

次に思い込みそのものの、検証をします。
思い込みに妥当性があるかを、検証します。

この人は、仕事に対し力不足を感じていました。
自分の能力に自信がありませんでした。

それにより、うまくいきそうになっても希望的なものにすぎないと考えます。
自分で出口をふさぎます。

注意しなければいけないのは、自分で出口をふさぐということです。
ブレーキは自分の中にあるのです。

そのブレーキを検証します。
ブレーキの妥当性を、検証します。

この人にはお姉さんがいます。
いつも父親から、お姉さんと比べられていました。

常にお姉さんよりもダメなのです。
その結果、自分は全部ダメになってしまいました。

この事にも、大きなゆがみがあります。
物事の認知の大きなゆがみがあります。

お姉さんよりもダメだったら、全部ダメでしょうか?
お姉さんよりもダメ⇒全部ダメ ?

これがこの人の苦しみの、原因です。
解決も、ここに潜んでいます。

お姉さんよりもダメでも、自分は出来損ないにはなりません。
そういう勘違いだけがおきます。

この人は、勘違いに苦しんでいます。
ただそれに気付いていません。

それに気づくように、するのがカウンセリングです。
生活にゆとりをとり戻すために、必要なことです。

「お姉さんよりもダメでも、自分は出来損ないにはならない」ことに、気付かせます。
これがポイントです。

カウンセリングの難しさは教えないで、気付かせることにあります。
これが次の実践におけるポイントです。

そのためには、現実にピッタリする言葉が必要です。
この場合、「フェアでない」という言葉でした。

正確には「お父さんはフェアでない」のです。
これが現実打開にピッタリした言葉です。

この言葉を、実感できればよいのです。
そのための方法を述べます。

メモ法が、用いられます。
この方法を、先ず行ってください。

メモ法とは、メモする方法です。
紙に「お父さんはフェアでない」とメモします。

そのメモを、困ったら読み返します。
やがて記憶されます。

記憶されたら、メモは必要ありません。
心の中で、繰り返せばよいのです。

この方法で効果のない人は、録音法を行います。
録音法には、録音できるものが必要です。

携帯の録音機能を、使えばよいでしょう。
携帯に「お父さんはフェアでない」と録音します。

それを何回も聴くのです。
自分の声ゆえに、大きな効果があります。

自分の声だからこそ、言いきかせ効果が出ます。
その効果も大きいのです。

このような方法により、「お父さんはフェアでない」という言葉を定着させます。
心にしみこませます。

そうすれば、「お姉さんよりもダメでも、自分は出来損ないにはならない」ことに気付きます。
自然に気付きます。

これはこの人の、間違えた後ろ向きな思い込みです。
当然、前向きな思い込みもあります。

それは「ミスをしてはいけない」というものです。
前に向かう性格の思い込みです。

この「ミスをしてはいけない」というものも、正確には間違えた思い込みです。
間違えたことのない人はいません。

「ミスはしない方が良い」のです。
これが事実です。

あまりにも強固に「ミスをしてはいけない」と、思い込むことはマイナスです。
その思い込みに支配されてしまうからです。

「ミスはしない方が良い」、これぐらいが良いのです。
そう思ったとき、気持ちにゆとりも生まれます。

気持ちにゆとりがなければ、何事も成しとげられません。
ゆったりしたものもできません。

常に過剰な心配は、ミスを生みます。
それをゆとりのあるものに、変えていくのです。

さらに大切なことは、「誰でもミスをする」という事です。
ミスをしない人はいません。

誰でもミスをすることを、許されています。
けっきょく誰しもミスをする人間です。

ミスをする権利はあります。
ミスをしても良いのです。

「自分もミスをする権利のある人間だ」という事です。
それを高校野球の選手宣誓のように行います。

先ほどの録音法によって、言いきかせてもよいです。
心の中で、自分に言いきかせてもよいです。

どのような道筋でも、良いのです。
「自分もミスをする権利のある人間だ」という事を、心の真ん中に定着させれば良いのです。

それが心の真ん中に定着したとき、ミスを恐れません。
ミスに振り回されなくなります。

それと同時に、人格も変化しています。
行動の変化と人格の変化は、相通じるものです。

行動療法と精神分析療法は、対立的に考えられがちです。
そこには「行動の変化と人格の変化は相通じる」という視点が、欠落しています。

行動の変化は人格の変化を、ともないます。
ともに相通じるものです。

これはより正確には、逆も成り立ちます。
人格の変化は行動の変化を、ともなうのです。

だから、どちらからアプローチしても良いのです。
アプローチしやすい所から、アプローチするのが一般的です。

このアプローチしやすい所は、その人の相談内容です。
いま困っている所です。

この事は、とても大切です。
カウンセラーは、自分のやり方から入りがちです。

自分のやり方、りゅうぎはカウンセリングを最もジャマします。
困っている事よりも、カウンセラーが前に出てしまうからです。

困っていて相談に来る人が、ファーストです。
最も大切にされなければいけません。

そこが入り口です。
入り口から入るからこそ、スムーズに進みます。

カウンセリングにとって大切なのは、前向きさです。
それはカウンセリング全体の雰囲気としても、流れとしても必要です。

問題解決を、先ず優先します。
そこから流れも生まれます。

カウンセリングは、人を扱います。
よって全てが一つです。

かつ全てが、同時並行して進みます。
電車でいえば東海道線、山手線、京浜東北線の3線並行で走っているようなものです。

その電車を動かすのは、カウンセラーではありません。
相談に来る人自身が、真に動かします。

多くの場合、家族が動かしています。
特に家族の中でごう慢な人です。

ごう慢な人は、ごう慢に困難を乗り越えようとします。
本質は、何も変わりません。

相談に来る人自身が、主体になります。
あくまでもクライエント中心です。

パチンコで損をしたら、パチンコを辞めるのが一番の解決です。
同じ様にごう慢ゆえにうまくいかなければ、ごう慢さを辞めるのが一番の解決です。

失敗を恐れる人は、自分の中にごう慢な親のような人がいます。
それゆえに苦しみます。

その自分の中にいるごう慢な親のような人から、解放されなければいけません。
精神分析療法では、これを転移という言葉で扱います。

精神分析療法ではごう慢な親のイメージが、相手に移ると考えます。
その移ったイメージを扱います。

具体的な精神分析療法の場面ではごう慢な親のイメージは、カウンセラーに移ります。
そのイメージを正していきます。

それに対して、こころのメカニズムを用いていくのです。
こころのメカニズムを用いて、正していきます。

クライエント中心療法も同じように、そのイメージを正していきます。
ただし、その方法が大きく異なります。

クライエント中心療法では、カウンセラーとの関係性を用います。
カウンセラーとの関係性により、正していきます。

カウンセラーとの人間関係そのものが、精神分析療法の解釈と一致します。
人間関係により、過去と今のゆがみを正していきます。

現実に精神分析療法では、破壊衝動に動かされがちです。
否定的な面が出がちです。

それに対し、クライエント中心療法はそうなりません。
おそらくそれは、カウンセラーとの関係性を重視するからでしょう。

カウンセラーとの関係性が暖かく受容的である時、破壊衝動に動かされません。
人格の肯定的な面が出ます。

暖かく受容的な関係において、人は自己肯定に向かいます。
前向きに、生き始めます。

その時、全ては変わっています。
自分も世界も、変わっています。

次回に、さらに述べます。







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