2018年06月25日
パニック障害から解放される方法 305
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パニック障害から解放される方法を述べます。
パニック障害とは、いいしれぬ不安と恐怖によりパニック状態に陥るものです。
多くの場合、男性は心臓発作を恐れ、女性は取り乱すことを恐れます。
パニック障害の人は、電車や飛行機が苦手です。
電車や飛行機の中でパニックになったらと心配します。
「逃げ場のない恐怖」に襲われるからです。
特に飛行機は逃げ場はありません。
逃げ場のない状況に、巻き込まれます。
その結果、冷静でいられなくなります。
それだけではなく、パニック障害の人はいつもパニックの心配をしています。
これはパニックのリハーサルになっています。
パニックの心配をすることは、パニックのリハーサルをすることです。
悪循環に入り込みます。
心配しすぎてもいけません。
パニックになる人は、心配しすぎてリハーサルをしています。
それに常に最悪の事を考えます。
飛行機が「乱気流に巻き込まれたらどうしよう」と考えます。
さらには飛行機が「故障したらどうしよう」と考えます。
こんな考えが積み重なります。
最初は「何か困った事が起きる」こう考えます。
それが肥大化します。
最悪の状況まで考えは進みます。
飛行機の墜落まで考えます。
完全なマイナス思考です。
そのマイナス思考ゆえに動けません。
この悪循環を抜け出すことが、パニック障害からの解放です。
迷路から抜け出すことです。
それに現実に、心配とうらはらに飛行機も無事に飛行しました。
何もありません。
予測の中に、パニックの原因はあります。
現実には、何もありません。
予測により不安になり、パニックになります。
予測⇒不安⇒パニック です。
このベクトルは、過去に向かうこともあります。
そのとき後悔という、不幸に襲われます。
さらにはベクトルが過去に向かい、さらに将来に向かうこともあり。
過去⇒パニックの恐怖を思い出す⇒将来 です。
このように将来への不安に向かいます。
パニック障害の人は、こんな悪循環に生きています。
そのパニック障害の悪循環から、解放されるには何が必要でしょうか?
本当は壁はないという事に気付くことです。
パニックに陥る壁は、心の中にだけあります。
現実にはありません。
それが理解できれば、半分は解決しています。
あとの半分は「ストップ法」で解決すれば良いのです。
「ストップ法」とは、不安をストップさせるための方法です。
非生産的な思考をストップさせる方法です。
飛行機に乗ったらパニックになると心配が起きたら、こうします。
ストップと言うのです。
何かパニックになるような心配が起きたら、ストップと言うのです。
声に出しても、心の中だけでもいいです。そう言ってください。
そうやって心配を、ストップさせます。
これを身につけてください。
身についたら、それにより改善します。
改善が弱かったら、他の方法も用います。
パニック障害改善の方法は、いくらでもあります。
安心してください。
この方法は、生活の知恵のようなものです。
生活の知恵も大切です。
だが深刻なパニック障害からの改善は困難です。
より本質的な方法が必要です。
カウンセリングには、多くの方法があります。
その人の抱えている問題により、カウンセリングの方法も使い分けられなければいけません。
その人の抱えている問題には深さがあります。
どれぐらい、こころの深いところまで傷ついているかという問題です。
その深さにより、カウンセリングは適応されるべきです。
だが現実は、そうなっていません。
九州大学の調査によれば、適切なカウンセリングを受けている人は2~3割です。
不適切なカウンセリングを受けている人の方が多いのです。
そこでカウンセリングの統合理論が現れました。
有効性のあるカウンセリングを統合する理論です。
この統合理論は、柔軟にカウンセリングを行うものです。
臨機応変さがポイントです。
さらに3~4種類のカウンセリングの技能が必要です。
3~4種類のカウンセリングを臨機応変に組み合わせます。
ただそのコンビネーションには、一定の順序があります。
バレーボールの攻撃のコンビネーションにも、一定の順序があるのと同じです。
バレーボールのコンビネーションも、セッターにボールが渡らなければ始まりません。
同じ様に統合理論も、信頼に自分をあけ渡せなければ無意味です。
逆に言えば、多くの相談者は信頼が確立すれば改善します。
その信頼とは自己信頼です。
自分を信頼することです。
それが自己信頼です。
そのためにカウンセリングでは、信頼関係を重視します。
それを自己信頼に、高めていきます。
最初はカウンセラーと信頼関係を築きます。
それを自己信頼に、高めていくのです。
最初は他者信頼が築かれます。
それが高められ、自己信頼になります。
カウンセリングの技法は、技法そのものの効果も当然あります。
だが技法の習得のための、カウンセラーとの共同作業に隠された意味もあります。
共同作業により、信頼感は生まれます。
それを育んでいきます。
カウンセリングでは、目に見えないものの意味が大きいのです。
目に見えないものこそが、その本質とも言えます。
カウンセリングを受けて、なんで良くなったかわからないという事もあります。
それはカウンセリングでは、目に見えないものが本質だからです。
カウンセラーとの人間関係を通して、変化は起きます。
新しい世界は、開かれます。
カウンセリングの底辺には、カウンセラーとの人間関係を通して変化があります。
それこそが、カウンセリング成功のポイントです。
ただしパニック障害から解放されるには、パニック障害に適した方法も必要です。
普遍的なものと、特有のものが必要です。
パニック障害の人は、罪悪感を持ちやすいのです。
必要以上の責任感に苦しみます。
生活や仕事のミスに苦しみがちです。
自分を苦しめます。
ミスに過剰に反応します。
それが迷路の扉を開きます。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。
心配しすぎもマイナスの要素です。
多くの場合、パニック障害の人もそれを指摘されます。
神経症の人は、マイナス面を指摘されがちです。
その人に悪気はないのでしょう。
だがその指摘は意味がないだけではなく、害があることが多いのです。
前向きなアドバイスが必要です。
意味のあるアドバイスが必要です。
そのアドバイスは、批判を将来にいかそう。
この気持ちが大切です。
批判を、批難と受け止めないことです。
前向きに、とらえる事です。
批判であれば、将来にいかせます。
その姿勢が大切です。
さらに大切なこともあります。
ミスは個人的なことです。
その個人的なミスを将来にいかすことは、個人だけの事ではありません。
みんなのためになる事です。
そこで大きく前に踏み出します。
大きな一歩です。
ミスを将来にいかすことは、私たちのためになる事です。
私たちが浮び上がります。
私ではなく、私たちが浮び上がります。
後ろに私は退きます。
私たちのためになる事が、逆に前に出ます。
ここに真の解決の場は開かれます。
その場の中で歩み、生きられるようになります。
パニック障害の人は感受性の強い人に多いのです。
この感受性の強さを、放棄する必要はありません。
活かしていくことです。
この感受性の強さが、傷つきやすさとだけとらえると苦しみます。
新聞の記事にも、「私に同じことが起きたら」と苦しみます。
記事をこのように捉え、苦しんでいます。
ただしそこには、かくれたパワーもあります。
そのパワーは、よく気付くことによる前進に結びつきます。
今はパワーが眠っています。
感受性は共感性に通じます。
自分に閉じたとき、そうなれません。
自分のこころを開き、感受性を共感性にまで高めます。
感受性を共感性として活かします。
この感受性を共感性にまで高めることが、カウンセリングのプロセスです。
プロセスをともにすることがカウンセリングです。
もう一つ付け加えれば、嫌な人とは人間関係を持たないことも必要です。
前述したようにパニック障害になる人は、過剰適応者です。
嫌な人とも、仲良くしなければいけない。
パニック障害になる人は、この考えにより過剰適応し苦しみます。
せいぜい嫌な人とも、仲良く「した方が良い」です。
このように気楽に考えてください。
気楽さが、あなたを救います。
とにかく気楽に考えること!
気楽に考えることができるようになれば、パニック障害は改善します。
パニック障害だけではなく、多くの心の問題は改善します。
ある人は、友人たちからホラー映画に誘われました。
だがノーと言いました。
今まではパニック障害でありながら、友人たちのホラー映画の誘いを断れません。
過剰なキマジメさゆえです。
今度は、ノーと言いました。
誘いを断れない事の中に、恐怖も含まれています。
パニック障害はパニックを恐れるだけではありません。
ノーと言うのも恐れます。
ノーと言えません。
ノーと言うのも恐怖です。
パニック障害の人は、全てが恐怖です。
恐怖から解放されません。
毎日の生活に、恐怖が漂っています。
端的なものが、パニック発作です。
恐怖が漂い、毎日生活しています。
その端的なものとして、パニック発作が起きるのです。
日々の恐怖から解放されれば、パニック発作からも解放されます。
漂う恐怖は、もともとは何もないものです。
その人自身が、自分でイメージしたものが恐怖です。
仮想の恐怖が生活に漂ってしまっています。
その生活に漂った仮想の恐怖を、弱めれば良いのです。
弱める道すじすら、今は見えません。
そのためには恐怖をきれいに取ろうとしないことです。
完全主義を緩めるのです。
そのために森田療法では、「あるがまま」という言葉を使います。
恐怖と闘わず、「あるがまま」でいろと言うのです。
何事も、身体の調子も不完全です。
それを「あるがまま」に受け入れます。
多くの場合、調子が悪くても動いているうちに良くなるものです。
ある主婦は調子が悪くて家事ができません。
森田療法では調子が悪くても、家事をするように指示します。
いわゆる目的本位の生活を指示します。
調子が悪くても、家事を進めるうちに変化が起きます。
やる気が出てきます。
掃除をすれば、次から次に汚れているところも見つかります。
そのところまで、掃除も進みます。
学校の勉強でも、「やる気を出してやろう」と考えるのはミスです。
勉強をやることにより、やる気も出ます。
とにかく始める事。
そこからやる気も出ます。
これが森田療法で、目的本位の生活を指示する理由です。
森田療法だけではなく、認知行動療法でもスタイルは異なりますが同じです。
ただし認知行動療法の方が、科学的な説明をします。
森田療法は指示的すぎる、嫌いがあります。
どちらにしても、生活を正すことは大切です。
そこから、始まります。
生活に漂った仮想の恐怖は、生活が正されれば弱まっていくことも多いのです。
そこから前向きな生活は、始まります。
心配ばかりしていても、前向きな生活は訪れません。
必要以上の心配を、将来にいかすことが大切です。
そのための、毎日のステップが大切です。
それはスモールステップでかまいません。
スモールステップだからこそ、実現できるのです。
小さな一歩の変化を目指すべきです。
毎日、散歩をするでもいいのです。
ほんの小さなことです。
その小さなことが、積み重なる事です。
それが大きなことに変わります。
そうやって気付くことがあります。
「小さなことを実現することに幸せがある」という事です。
高い地位と、幸せは別問題です。
両者は別のラインです。
むやみに高い地位を求めることも、神経症的です。
ゆとりのなさが、そうさせています。
気持ちにゆとりのある事が大切です。
急きたてられる生き方が、パニックを生みます。
生活そのものに喜びを、みいだすべきです。
パニック障害から解放されるには、こんな気付きも必要です。
人生では成功よりも、良い意味のある体験が大切です。
高級乗用車は成功の証かもしれません。だが意味は?
もう一度、問い直します。
そこに真の答えは見いだされます。
だが高級乗用車を所有する意味は、子供じみたものです。
人格の成熟とは、逆向きです。
それに気づくことも、自分を解放します。
自分を解放することは、パニックからの解放に通じます。
パニックの人は、閉じ込められています。
自分に、自分の考えに閉じ込められています。
自分の考えに閉じ込められた人は、がむしゃらに抜け出そうとします。
これがスタイルを変え、現実生活に現れたのがパニックとも言えます。
気持ちにゆとりをもつこと。
ゆとりをもって生活すること。
この二つの事を、マスターしていくことです。
それがパニック障害から解放される道筋です。
決断できない
パニック障害の人に多い悩みです。
この事から解放されることも必要です。
自信がないのです。
自分に、もしくはやり遂げる自信がないのです。
解決法は、とにかくやってみること。
自信をつけてから、やろうとしないこと。
パニック障害の人は自信をつけてから、やろうとします。
これが間違いです。
自信は、やることによりつきます。
よって自信をつけてから、やることはできません。
準備ばかりしていて、始まりません。
先ず、始める事!
それに自己決定に間違えはありません。
大きく見れば、自己決定に間違えはありません。
ミスは将来にいかせます。
そうであれば、究極的には自己決定に間違えはありません。
間違えというものはありません。
将来にいかされないものが、間違えです。
こう考えてください。
勇気を持って、決断してください。
決断して、将来にいかすこと!
そのとき、前に歩みだせます。
心配を目標設定にチェンジ
これも大切です。
私達は、何か目標を設定します。
その時に当然、リスクも考えます。
パニック障害になる人は、リスクに沈みこんでいきます。
先ずその沈みこみから解放されることです。
そのためにも、先ずやること!
考えないでやること!
やってみれば、何でもない。
そういうことが多いのです。
ただし、そうできない人もいます。
その人のための方法を書きます。
先ずあなたの心配を具体的に、ノートに書いてください。
心配の内容、程度、いつどこで心配になるかという事です。
内容:乗り物、電車やバス、エレベーター
程度:不安ですぐ降りてしまう
いつどこで:乗り物が動き出すとすぐ
つぎにこの事を、現実のストーリーにします。
語り、文章にします。
それを書いていきます。
次に見本↓を示します。
この人の場合は、このように書きます。
【もし電車に乗って、動きだしてパニックになったら、誰か助けてくれるの。
そこで心配が起きたら、すぐ電車から降ります。急行電車には、乗りません。
すぐ下車できないからです。いつも各駅停車で出かけます。】
そのために、生活の自由度が狭まります。
パニック障害や神経症の人は、生活の自由度を狭めてしまいます。
この狭い、生活の自由度を広めることが大切です。
そのために、ストーリーを書き換えます。
このように↓書き換えます。
【電車でパニックになったら、助けてくれる。
いまAEDはどこにでもある。もう心配はやめよう】
この書き換えは、大切です。
自分自身を安心させます。
この書き換えをメモしてください。
携帯やスマホでもいいですから、メモしてください。
それを常に見ます。
暗記してください。
記憶することは大切です。
記憶したことは、生活の背景になります。
【電車でパニックになったら、助けてくれる。
いまAEDはどこにでもある。もう心配はやめよう】
が生活の背景になります。
この新しい背景に、生活は支えられます。
その時に不安も弱まります。
ただし憶えるだけで背景ができる人もいれば、できない人もいます。
できない人は、もっと深い問題があります。
心のもっとも深いところで、信頼のぐらついている人です。
正確には、自己信頼の弱い人です。
自己信頼の弱い人には、この方法のみでは不充分です。
受容的カウンセリングが必要です。
カウンセリングで、その人が真に受けいられます。
受容的カウンセリングは、それが基本です。
クライエント中心のカウンセリングです。
暖かく肯定的なカウンセリングです。
こんなカウンセリングが必要です。
次に必要なものは、前向きな目標と姿勢です。
パニックの心配を、人生の前向きな目標に向けます。
その姿勢だけでも、大きな意味があります。
そのときの人生の前向きな目標は、小さなもので良いのです。
身近なもので良いのです。
すぐできる事で良いのです。
正確には、すぐできる事の方が良いのです。
パニックになる人は、几帳面すぎる人です。
すぐできる事よりも、先の心配をしがちです。
逆に言えば前ばかり見て、毎日の生活をおろそかにします。
そんな人は今の生活を着実に歩むことを忘れています。
今の生活を着実に歩むには、身近なことが大切です。
小さなすぐできる事が良いのです。
たとえば散歩でいいのです。
この小さなことから、次の小さなことが出てきます。
パニックを恐れる人は、小さな一歩が踏み出せません。
これが特徴です。
小さな一歩から、次の小さな一歩も出てきます。
最初の一歩も踏み出せないのです。
それゆえに最初の一歩は、気楽に踏み出せるものが良いのです。
気楽さが大切です。
それが決まっても、押しつけてはいけません。
あくまでもその人、来談者が中心です。
カウンセラーは待ちます。
最初の一歩を待ちます。
気楽に「散歩でもしようかな~~~」
こんな言葉が出てくれば理想的です。
ある人は、明るくこう伝えます。
「散歩してみるか!」
その前向きさだけでも良いのです。
出てきた前向きさをいかせば良いのです。
そのためのはげましも大切です。
カウンセラーの笑顔も大切です。
笑顔というはげましです。
言葉でないものが、大きな力を持ちます。
大切なことは、パニック障害の人は考え込みがちです。
それから解放されるためには、ゆったりとした気持ちで生活することです。
何かをしようとすると、すぐ失敗したらどうしようと考えます。
感受性が強すぎます。
何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。
強すぎる感受性はブレーキです。
新聞の交通事故の記事を読んで、自分にも起こると考えます。
交通事故に気をつけようとは考えません。
パニック障害の人にとって、事故が差し迫ったものです。
すぐそばにあるものです。
自分は、すぐ事故にあうかもしれないと考えます。
現実の事故よりも、事故にあうかもしれないという考えに支配されます。
新聞の交通事故の記事を読んで、ドミノたおしが始まります。
このドミノたおしはストップしません。
そこで大切なことは信号を守る、交通ルールを守るという事です。
そのときドミノたおしに気を取られません。
肝心かなめの事は信号を守る、交通ルールを守るという事です。
それを忘れてしまいます。
その結果、交通事故にあいやすくなります。
自分で事故を引き寄せます。
パニック障害で直接、困ることは少ないのです。
それよりも間接的に、困ることは起きがちです。
パニック障害の人だけではなく、心の問題で困っている人はそのような人が多いのです。
心の問題で直接困るよりも間接的に、困ることが多いのです。
この事は肝にめいじておくべきです。
本当に困るのは、間接的なことです。
「気で病む」だけです。
本当は、何もありません。
気で病んでつぶれてしまいます。
言葉は悪いですが、自爆してしまいます。
心が閉じてしまいます。
それと一緒に、生活も閉じてしまいます。
心配していることが本当に起きて、ダメになることはありません。
このように、気で病んでつぶれてしまいます。
先ずそれを自覚することです。
気で病まない、つぶれないことです。
常に後ろ向きに考えます。
それをターンし前向きに変えます。
水泳のターンと同じです。
逆方向に泳ぎ出します。
交通事故の心配からターンします。
ターンして信号を守る、交通ルールを守るようにします。
交通事故の被害者になってしまう事はありません。
一歩下がって、心配からターンしてください。
その時、前向きな意味を持ちます。
心配しすぎることは、注意することにターンします。
ターンできないから、困った事になります。
そのターンこそが、真の解決です。
とにかく心配よりもターン。
これを心がけます。
最初はスローターンでかまいません。
そのスローターンを身につけましょう。
スローターンが身につくだけでもいいのです。
よければクイックターンまで進みましょう。
クイックターンを目的にすることはありません。
それも余計なこだわりです。
先ずスローターンを身につけます。
水泳のクイックターンはスタイルが異なりますが、この場合は同じです。
スローターンが身につき上達すれば、クイックターンになります。
珠算の上達のように、クイックでできるようになります。
この場合、速さにこだわる必要はありません。
それもこだわりです。
パニック障害から解放されるには、こだわりを解消する必要があります。
兎に角こだわってはいけません。
こだわりが「敵」です。
この「敵」という言葉にも、「闘うもの」ものという意味が含まれています。
この「敵」には、闘わないことが必要です。
放っておくことです。
放っておくことがベストです。
最大の解決です。
放っておくことが最大の解決です。
これは森田療法や、認知行動療法にも通じます。
ただし「言うは易し、行うは難し」です。
分かっているができないが、人の常です。
そこで具体的な、生活目標を決めていきます。
それにより分かっているができない事が改善します。
具体的な生活目標を実行することに、気持ちが向かえば良いのです。
その時、不安は弱まっていきます。
森田療法では、これを「目的本位の生活」と言います。
認知行動療法では、「生活の中で不安に適応する」と述べられています。
認知行動療法では、「不安は最初の5分がピーク」と考えます。
この5分を通り抜けることをアドバイスします。
最初の5分が勝負です。
この5分を過ぎれば、良いのです。
映画館に入ると、まっ暗で何も見えません。
だが少しづつ見えてきます。
これも最初の5分がピークです。
この5分を通り抜ければ、映画館の中が見えてきます。
目が暗さになれてきます。
暗さになれ、暗さに適応します。
同じく、不安や不快感も最初の5分がピークです。
この5分を通り抜ければ良いのです。
具体的な生活目標を決めても、現実な不安や不快感はやって来ます。
その時、最初の5分が勝負であることを自覚してください。
次に現実な不安や不快感を通り過ぎる事です。
5分通り過ぎれば平気です。
このことにより、パニック障害から解放されていきます。
5分が解放の、分かれ道です。
先ず具体的な生活目標の作成。
次がその実行です。
そのなかで当然つまずきはあります。
つまずいたら、5分がまんしてください。
こうやって現実生活に根付いていけばよいのです。
恐怖の世界から、現実生活に着地することが大切です。
現実生活に根付くための協力がカウンセリングです。
お手伝いです。
より具体的な生活が、パニック障害から解放されるために大切にされます。
生活とカウンセリングにずれはありません。
生活の中で、カウンセリングは行われます。
生活とカウンセリングは一致します。
いまの新しいカウンセリングは、ここに特徴があります。
特別なカウンセリングのスタイルをとることなく、生活をいかしていきます。
今までは特別なカウンセリングのスタイルがありました。
生活とは、別の世界でカウンセリングは行われました。
だが新しいカウンセリングは異なります。
生活とカウンセリングは一つです。
それゆえに生活の場でカウンセリングは行われます。
パニック障害からの解放は、窮屈な生活からの生活でもあります。
生活の窮屈さからの解放。
それがパニック障害からの解放とイコールです。
パニック障害の人は縮こまった生き方をしています。
その縮こまった生き方からの解放が必要です。
パニック障害≒縮こまった生き方
このような関係です。
現実はそれほど、脅威ではありません。
ある小学校の家庭科の先生は、針が怖くて教えられなくなりました。
それは児童が「針を間違えて身体に刺したら」という心配からです。
最初は、それを児童に頻繁に注意しました。
だが児童はうるさがるだけになってしまいます。
そのためによけい不安になります。
よけい不安になると、よけいな心配も出てきます。
それは「自分が針を間違えて児童に刺したら」という心配です。
この不安は深刻なものになりました。
自分に直接責任があるからです。
誰かがするのではなく、自分がすることを恐れだしました。
家庭科の授業は恐怖になりました。
「授業中に自分が児童を針で刺したら」と心配です。
そうなったらと考えると、生きた心地がしません。
それを考えていくと、胸苦しくもなり始めます。
パニックにおそわれました。
この人は心配しすぎにより、パニックになっています。
心配しすぎが、パニックに結びつきました。
このように自分の強迫観念が、パニックに結びつく人もいます。
単純にパニック障害のみに苦しむ人はまれです。
パニック障害の人は、パニック障害だけに苦しんでいるのではありません。
多くの神経症的な問題に苦しんでいることが多いのです。
そこには心配しやすい、不安感が強いという性格があります。
森田療法では、これを神経質と呼んでいます。
森田正馬は神経質な人が、神経質症になるとしました。
これは人格論的な発想です。
この人格論的な発想は、人格を固定化されたものと捉えがちです。
それに対して、精神分析療法は人格を柔軟に捉えます。
精神分析療法は人格を、発達論として考えます。
それは柔軟な捉えかたといえます。
そのように捉えるがゆえに、人格の改善も精神分析療法は目的とします。
森田療法よりも精神分析療法は守備範囲が広いのです。
このように精神分析療法の守備範囲は広く、性格改善も目的とされます。
その人の全てが、精神分析療法の守備範囲です。
心配しすぎという性格の改善も、目的とされます。
逆に言えば性格の改善なくして、何も成しとげられません。
前述のようにパニック障害の人は縮こまった生き方をしています。
その縮こまった生き方からの解放も、精神分析療法の守備範囲です。
生活の窮屈さからの解放は、認知療法でも目的とされます。
それは精神分析療法よりも、現実的なものです。
その認知療法による改善を述べます。
この家庭科の先生も、現実に児童を傷つけることはありません。
ただ、予測により不安になっているだけです。
その予測は、現実から目をそらすこともしています。
この家庭科の先生は授業をしっかり行う事です。
それはできなくても、しっかりした授業計画は立てられます。
逆に言えば授業をしっかり行うというかんじんかなめの事から、目をそらしてもいます。
不安は目をそらす役割とも言えます。
そこでこの人は、授業計画をたてました。
それに沿って授業を行うようにアドバイスしました。
森田療法では、これを目的本位と言います。
自分の気分よりも目的を大切にします。
「気分よりも目的を大切」にする目的本位と言います。
これは神経症改善の近道です。
森田療法で目的本位を指導するのは、認知行動療法にも通じます。
その理由を述べます。
森田療法で目的本位を指導するのは、現実を「あるがまま」に受け入れるためです。
認知行動療法は「症状は最初の5分をピークに20分で消える」という科学的根拠によるものです。
認知行動療法から、森田療法に光を当てて考えてみます。
目的本位に現実を「あるがままに受け入れていれば20分たって症状は消えている」となります。
そう考えれば、認知行動療法と森田療法の入り口は異なります。
だが出口は同じです。
この人の授業計画は、森田療法の目的本位を目指すものです。
「気分よりも目的を大切」にするものです。
「嫌な気分よりも目的を大切」にして授業を行います。
そうやっていると「20分たって症状は消えている」のです。
このように認知行動療法と森田療法の入り口は異なりますが、出口は同じです。
その入り口に入るための授業計画です。
大切なことは、入り口から入ったらユータン禁止だという事です。
ユータンは何ももたらしません。
この人も授業計画にそって授業を行います。
最初の5分がとても苦しいのです。
だがそこを頑張って!
20分たてば楽になります。
20分ユータン禁止!
そこを頑張って!
ただしそれでも、ユータンしてしまう人もいます。
その人には、次の方法があります。
その方法は考えれば苦しむことを、考える事の無意味さを知るのです。
考えれば苦しむことを、考える事に意味がありますか?
現実には迷路に入るだけです。
それでも考えれば、迷路は深まります。
パニック障害になる人は、否定性の方向に流される人です。
それを肯定性の方向に流れを、かえなければいけません。
そのために、質問をもちいます。
「あなたがそのことを考え続けることは、何をもたらしますか?」
この答えは、ただ一つです。
「何ももたらしません。」
そのことを考え続けることは、何ももたらさないということ。
この事実に向かい合います。
向かい合った時、ハンドルは切られます。
だがその負担に耐えられない人もいます。
解っていても、どうしてもそちらにハンドルを切る人。
その人には、録音による方法を用います。
録音による方法とは、携帯に録音する方法です。
その録音を再生し、聴きます。
その録音の内容はその人に最も適切なものとします。
このケースでは、以上↑の内容を録音します。
すなわち、この↓言葉になります。
「心配を考え続けても、何ももたらさない」
このように録音し、聴きます。
自分の声で録音してください。それに意味があります。
自分の声を聴くことにより、内容が内面化されやすいのです。
こころの声にかわりやすいのです。
喉から出る声が、こころの声にかわりやすいのです。
こころの声として聴くと、より効果的です。
私達は物事を、こころの声で判断しています。
よって自分の声で録音することに、大きな意味があります。
そうやって「心配を考え続けても、何ももたらさない」ことを根付かせます。
この家庭科の先生は授業に向かいました。
それでよいのです。
目的本位にやってみる事です。
当然、心配事はうかびます。
ただ最初の5分がピークです。
5分我慢してください。
これがポイントです。
最初のうちは、5分我慢できませんでした。
その時は椅子に座り、次のリラックス法を行います。
この方法は、インスタントなリラックス法です。
緊張したら、デスクワークならば仕事をしながらでもできます。
さらに述べます。
パニック障害から解放される方法を述べます。
パニック障害とは、いいしれぬ不安と恐怖によりパニック状態に陥るものです。
多くの場合、男性は心臓発作を恐れ、女性は取り乱すことを恐れます。
パニック障害の人は、電車や飛行機が苦手です。
電車や飛行機の中でパニックになったらと心配します。
「逃げ場のない恐怖」に襲われるからです。
特に飛行機は逃げ場はありません。
逃げ場のない状況に、巻き込まれます。
その結果、冷静でいられなくなります。
それだけではなく、パニック障害の人はいつもパニックの心配をしています。
これはパニックのリハーサルになっています。
パニックの心配をすることは、パニックのリハーサルをすることです。
悪循環に入り込みます。
心配しすぎてもいけません。
パニックになる人は、心配しすぎてリハーサルをしています。
それに常に最悪の事を考えます。
飛行機が「乱気流に巻き込まれたらどうしよう」と考えます。
さらには飛行機が「故障したらどうしよう」と考えます。
こんな考えが積み重なります。
最初は「何か困った事が起きる」こう考えます。
それが肥大化します。
最悪の状況まで考えは進みます。
飛行機の墜落まで考えます。
完全なマイナス思考です。
そのマイナス思考ゆえに動けません。
この悪循環を抜け出すことが、パニック障害からの解放です。
迷路から抜け出すことです。
それに現実に、心配とうらはらに飛行機も無事に飛行しました。
何もありません。
予測の中に、パニックの原因はあります。
現実には、何もありません。
予測により不安になり、パニックになります。
予測⇒不安⇒パニック です。
このベクトルは、過去に向かうこともあります。
そのとき後悔という、不幸に襲われます。
さらにはベクトルが過去に向かい、さらに将来に向かうこともあり。
過去⇒パニックの恐怖を思い出す⇒将来 です。
このように将来への不安に向かいます。
パニック障害の人は、こんな悪循環に生きています。
そのパニック障害の悪循環から、解放されるには何が必要でしょうか?
本当は壁はないという事に気付くことです。
パニックに陥る壁は、心の中にだけあります。
現実にはありません。
それが理解できれば、半分は解決しています。
あとの半分は「ストップ法」で解決すれば良いのです。
「ストップ法」とは、不安をストップさせるための方法です。
非生産的な思考をストップさせる方法です。
飛行機に乗ったらパニックになると心配が起きたら、こうします。
ストップと言うのです。
何かパニックになるような心配が起きたら、ストップと言うのです。
声に出しても、心の中だけでもいいです。そう言ってください。
そうやって心配を、ストップさせます。
これを身につけてください。
身についたら、それにより改善します。
改善が弱かったら、他の方法も用います。
パニック障害改善の方法は、いくらでもあります。
安心してください。
この方法は、生活の知恵のようなものです。
生活の知恵も大切です。
だが深刻なパニック障害からの改善は困難です。
より本質的な方法が必要です。
カウンセリングには、多くの方法があります。
その人の抱えている問題により、カウンセリングの方法も使い分けられなければいけません。
その人の抱えている問題には深さがあります。
どれぐらい、こころの深いところまで傷ついているかという問題です。
その深さにより、カウンセリングは適応されるべきです。
だが現実は、そうなっていません。
九州大学の調査によれば、適切なカウンセリングを受けている人は2~3割です。
不適切なカウンセリングを受けている人の方が多いのです。
そこでカウンセリングの統合理論が現れました。
有効性のあるカウンセリングを統合する理論です。
この統合理論は、柔軟にカウンセリングを行うものです。
臨機応変さがポイントです。
さらに3~4種類のカウンセリングの技能が必要です。
3~4種類のカウンセリングを臨機応変に組み合わせます。
ただそのコンビネーションには、一定の順序があります。
バレーボールの攻撃のコンビネーションにも、一定の順序があるのと同じです。
バレーボールのコンビネーションも、セッターにボールが渡らなければ始まりません。
同じ様に統合理論も、信頼に自分をあけ渡せなければ無意味です。
逆に言えば、多くの相談者は信頼が確立すれば改善します。
その信頼とは自己信頼です。
自分を信頼することです。
それが自己信頼です。
そのためにカウンセリングでは、信頼関係を重視します。
それを自己信頼に、高めていきます。
最初はカウンセラーと信頼関係を築きます。
それを自己信頼に、高めていくのです。
最初は他者信頼が築かれます。
それが高められ、自己信頼になります。
カウンセリングの技法は、技法そのものの効果も当然あります。
だが技法の習得のための、カウンセラーとの共同作業に隠された意味もあります。
共同作業により、信頼感は生まれます。
それを育んでいきます。
カウンセリングでは、目に見えないものの意味が大きいのです。
目に見えないものこそが、その本質とも言えます。
カウンセリングを受けて、なんで良くなったかわからないという事もあります。
それはカウンセリングでは、目に見えないものが本質だからです。
カウンセラーとの人間関係を通して、変化は起きます。
新しい世界は、開かれます。
カウンセリングの底辺には、カウンセラーとの人間関係を通して変化があります。
それこそが、カウンセリング成功のポイントです。
ただしパニック障害から解放されるには、パニック障害に適した方法も必要です。
普遍的なものと、特有のものが必要です。
パニック障害の人は、罪悪感を持ちやすいのです。
必要以上の責任感に苦しみます。
生活や仕事のミスに苦しみがちです。
自分を苦しめます。
ミスに過剰に反応します。
それが迷路の扉を開きます。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。
心配しすぎもマイナスの要素です。
多くの場合、パニック障害の人もそれを指摘されます。
神経症の人は、マイナス面を指摘されがちです。
その人に悪気はないのでしょう。
だがその指摘は意味がないだけではなく、害があることが多いのです。
前向きなアドバイスが必要です。
意味のあるアドバイスが必要です。
そのアドバイスは、批判を将来にいかそう。
この気持ちが大切です。
批判を、批難と受け止めないことです。
前向きに、とらえる事です。
批判であれば、将来にいかせます。
その姿勢が大切です。
さらに大切なこともあります。
ミスは個人的なことです。
その個人的なミスを将来にいかすことは、個人だけの事ではありません。
みんなのためになる事です。
そこで大きく前に踏み出します。
大きな一歩です。
ミスを将来にいかすことは、私たちのためになる事です。
私たちが浮び上がります。
私ではなく、私たちが浮び上がります。
後ろに私は退きます。
私たちのためになる事が、逆に前に出ます。
ここに真の解決の場は開かれます。
その場の中で歩み、生きられるようになります。
パニック障害の人は感受性の強い人に多いのです。
この感受性の強さを、放棄する必要はありません。
活かしていくことです。
この感受性の強さが、傷つきやすさとだけとらえると苦しみます。
新聞の記事にも、「私に同じことが起きたら」と苦しみます。
記事をこのように捉え、苦しんでいます。
ただしそこには、かくれたパワーもあります。
そのパワーは、よく気付くことによる前進に結びつきます。
今はパワーが眠っています。
感受性は共感性に通じます。
自分に閉じたとき、そうなれません。
自分のこころを開き、感受性を共感性にまで高めます。
感受性を共感性として活かします。
この感受性を共感性にまで高めることが、カウンセリングのプロセスです。
プロセスをともにすることがカウンセリングです。
もう一つ付け加えれば、嫌な人とは人間関係を持たないことも必要です。
前述したようにパニック障害になる人は、過剰適応者です。
嫌な人とも、仲良くしなければいけない。
パニック障害になる人は、この考えにより過剰適応し苦しみます。
せいぜい嫌な人とも、仲良く「した方が良い」です。
このように気楽に考えてください。
気楽さが、あなたを救います。
とにかく気楽に考えること!
気楽に考えることができるようになれば、パニック障害は改善します。
パニック障害だけではなく、多くの心の問題は改善します。
ある人は、友人たちからホラー映画に誘われました。
だがノーと言いました。
今まではパニック障害でありながら、友人たちのホラー映画の誘いを断れません。
過剰なキマジメさゆえです。
今度は、ノーと言いました。
誘いを断れない事の中に、恐怖も含まれています。
パニック障害はパニックを恐れるだけではありません。
ノーと言うのも恐れます。
ノーと言えません。
ノーと言うのも恐怖です。
パニック障害の人は、全てが恐怖です。
恐怖から解放されません。
毎日の生活に、恐怖が漂っています。
端的なものが、パニック発作です。
恐怖が漂い、毎日生活しています。
その端的なものとして、パニック発作が起きるのです。
日々の恐怖から解放されれば、パニック発作からも解放されます。
漂う恐怖は、もともとは何もないものです。
その人自身が、自分でイメージしたものが恐怖です。
仮想の恐怖が生活に漂ってしまっています。
その生活に漂った仮想の恐怖を、弱めれば良いのです。
弱める道すじすら、今は見えません。
そのためには恐怖をきれいに取ろうとしないことです。
完全主義を緩めるのです。
そのために森田療法では、「あるがまま」という言葉を使います。
恐怖と闘わず、「あるがまま」でいろと言うのです。
何事も、身体の調子も不完全です。
それを「あるがまま」に受け入れます。
多くの場合、調子が悪くても動いているうちに良くなるものです。
ある主婦は調子が悪くて家事ができません。
森田療法では調子が悪くても、家事をするように指示します。
いわゆる目的本位の生活を指示します。
調子が悪くても、家事を進めるうちに変化が起きます。
やる気が出てきます。
掃除をすれば、次から次に汚れているところも見つかります。
そのところまで、掃除も進みます。
学校の勉強でも、「やる気を出してやろう」と考えるのはミスです。
勉強をやることにより、やる気も出ます。
とにかく始める事。
そこからやる気も出ます。
これが森田療法で、目的本位の生活を指示する理由です。
森田療法だけではなく、認知行動療法でもスタイルは異なりますが同じです。
ただし認知行動療法の方が、科学的な説明をします。
森田療法は指示的すぎる、嫌いがあります。
どちらにしても、生活を正すことは大切です。
そこから、始まります。
生活に漂った仮想の恐怖は、生活が正されれば弱まっていくことも多いのです。
そこから前向きな生活は、始まります。
心配ばかりしていても、前向きな生活は訪れません。
必要以上の心配を、将来にいかすことが大切です。
そのための、毎日のステップが大切です。
それはスモールステップでかまいません。
スモールステップだからこそ、実現できるのです。
小さな一歩の変化を目指すべきです。
毎日、散歩をするでもいいのです。
ほんの小さなことです。
その小さなことが、積み重なる事です。
それが大きなことに変わります。
そうやって気付くことがあります。
「小さなことを実現することに幸せがある」という事です。
高い地位と、幸せは別問題です。
両者は別のラインです。
むやみに高い地位を求めることも、神経症的です。
ゆとりのなさが、そうさせています。
気持ちにゆとりのある事が大切です。
急きたてられる生き方が、パニックを生みます。
生活そのものに喜びを、みいだすべきです。
パニック障害から解放されるには、こんな気付きも必要です。
人生では成功よりも、良い意味のある体験が大切です。
高級乗用車は成功の証かもしれません。だが意味は?
もう一度、問い直します。
そこに真の答えは見いだされます。
だが高級乗用車を所有する意味は、子供じみたものです。
人格の成熟とは、逆向きです。
それに気づくことも、自分を解放します。
自分を解放することは、パニックからの解放に通じます。
パニックの人は、閉じ込められています。
自分に、自分の考えに閉じ込められています。
自分の考えに閉じ込められた人は、がむしゃらに抜け出そうとします。
これがスタイルを変え、現実生活に現れたのがパニックとも言えます。
気持ちにゆとりをもつこと。
ゆとりをもって生活すること。
この二つの事を、マスターしていくことです。
それがパニック障害から解放される道筋です。
決断できない
パニック障害の人に多い悩みです。
この事から解放されることも必要です。
自信がないのです。
自分に、もしくはやり遂げる自信がないのです。
解決法は、とにかくやってみること。
自信をつけてから、やろうとしないこと。
パニック障害の人は自信をつけてから、やろうとします。
これが間違いです。
自信は、やることによりつきます。
よって自信をつけてから、やることはできません。
準備ばかりしていて、始まりません。
先ず、始める事!
それに自己決定に間違えはありません。
大きく見れば、自己決定に間違えはありません。
ミスは将来にいかせます。
そうであれば、究極的には自己決定に間違えはありません。
間違えというものはありません。
将来にいかされないものが、間違えです。
こう考えてください。
勇気を持って、決断してください。
決断して、将来にいかすこと!
そのとき、前に歩みだせます。
心配を目標設定にチェンジ
これも大切です。
私達は、何か目標を設定します。
その時に当然、リスクも考えます。
パニック障害になる人は、リスクに沈みこんでいきます。
先ずその沈みこみから解放されることです。
そのためにも、先ずやること!
考えないでやること!
やってみれば、何でもない。
そういうことが多いのです。
ただし、そうできない人もいます。
その人のための方法を書きます。
先ずあなたの心配を具体的に、ノートに書いてください。
心配の内容、程度、いつどこで心配になるかという事です。
内容:乗り物、電車やバス、エレベーター
程度:不安ですぐ降りてしまう
いつどこで:乗り物が動き出すとすぐ
つぎにこの事を、現実のストーリーにします。
語り、文章にします。
それを書いていきます。
次に見本↓を示します。
この人の場合は、このように書きます。
【もし電車に乗って、動きだしてパニックになったら、誰か助けてくれるの。
そこで心配が起きたら、すぐ電車から降ります。急行電車には、乗りません。
すぐ下車できないからです。いつも各駅停車で出かけます。】
そのために、生活の自由度が狭まります。
パニック障害や神経症の人は、生活の自由度を狭めてしまいます。
この狭い、生活の自由度を広めることが大切です。
そのために、ストーリーを書き換えます。
このように↓書き換えます。
【電車でパニックになったら、助けてくれる。
いまAEDはどこにでもある。もう心配はやめよう】
この書き換えは、大切です。
自分自身を安心させます。
この書き換えをメモしてください。
携帯やスマホでもいいですから、メモしてください。
それを常に見ます。
暗記してください。
記憶することは大切です。
記憶したことは、生活の背景になります。
【電車でパニックになったら、助けてくれる。
いまAEDはどこにでもある。もう心配はやめよう】
が生活の背景になります。
この新しい背景に、生活は支えられます。
その時に不安も弱まります。
ただし憶えるだけで背景ができる人もいれば、できない人もいます。
できない人は、もっと深い問題があります。
心のもっとも深いところで、信頼のぐらついている人です。
正確には、自己信頼の弱い人です。
自己信頼の弱い人には、この方法のみでは不充分です。
受容的カウンセリングが必要です。
カウンセリングで、その人が真に受けいられます。
受容的カウンセリングは、それが基本です。
クライエント中心のカウンセリングです。
暖かく肯定的なカウンセリングです。
こんなカウンセリングが必要です。
次に必要なものは、前向きな目標と姿勢です。
パニックの心配を、人生の前向きな目標に向けます。
その姿勢だけでも、大きな意味があります。
そのときの人生の前向きな目標は、小さなもので良いのです。
身近なもので良いのです。
すぐできる事で良いのです。
正確には、すぐできる事の方が良いのです。
パニックになる人は、几帳面すぎる人です。
すぐできる事よりも、先の心配をしがちです。
逆に言えば前ばかり見て、毎日の生活をおろそかにします。
そんな人は今の生活を着実に歩むことを忘れています。
今の生活を着実に歩むには、身近なことが大切です。
小さなすぐできる事が良いのです。
たとえば散歩でいいのです。
この小さなことから、次の小さなことが出てきます。
パニックを恐れる人は、小さな一歩が踏み出せません。
これが特徴です。
小さな一歩から、次の小さな一歩も出てきます。
最初の一歩も踏み出せないのです。
それゆえに最初の一歩は、気楽に踏み出せるものが良いのです。
気楽さが大切です。
それが決まっても、押しつけてはいけません。
あくまでもその人、来談者が中心です。
カウンセラーは待ちます。
最初の一歩を待ちます。
気楽に「散歩でもしようかな~~~」
こんな言葉が出てくれば理想的です。
ある人は、明るくこう伝えます。
「散歩してみるか!」
その前向きさだけでも良いのです。
出てきた前向きさをいかせば良いのです。
そのためのはげましも大切です。
カウンセラーの笑顔も大切です。
笑顔というはげましです。
言葉でないものが、大きな力を持ちます。
大切なことは、パニック障害の人は考え込みがちです。
それから解放されるためには、ゆったりとした気持ちで生活することです。
何かをしようとすると、すぐ失敗したらどうしようと考えます。
感受性が強すぎます。
何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。
強すぎる感受性はブレーキです。
新聞の交通事故の記事を読んで、自分にも起こると考えます。
交通事故に気をつけようとは考えません。
パニック障害の人にとって、事故が差し迫ったものです。
すぐそばにあるものです。
自分は、すぐ事故にあうかもしれないと考えます。
現実の事故よりも、事故にあうかもしれないという考えに支配されます。
新聞の交通事故の記事を読んで、ドミノたおしが始まります。
このドミノたおしはストップしません。
そこで大切なことは信号を守る、交通ルールを守るという事です。
そのときドミノたおしに気を取られません。
肝心かなめの事は信号を守る、交通ルールを守るという事です。
それを忘れてしまいます。
その結果、交通事故にあいやすくなります。
自分で事故を引き寄せます。
パニック障害で直接、困ることは少ないのです。
それよりも間接的に、困ることは起きがちです。
パニック障害の人だけではなく、心の問題で困っている人はそのような人が多いのです。
心の問題で直接困るよりも間接的に、困ることが多いのです。
この事は肝にめいじておくべきです。
本当に困るのは、間接的なことです。
「気で病む」だけです。
本当は、何もありません。
気で病んでつぶれてしまいます。
言葉は悪いですが、自爆してしまいます。
心が閉じてしまいます。
それと一緒に、生活も閉じてしまいます。
心配していることが本当に起きて、ダメになることはありません。
このように、気で病んでつぶれてしまいます。
先ずそれを自覚することです。
気で病まない、つぶれないことです。
常に後ろ向きに考えます。
それをターンし前向きに変えます。
水泳のターンと同じです。
逆方向に泳ぎ出します。
交通事故の心配からターンします。
ターンして信号を守る、交通ルールを守るようにします。
交通事故の被害者になってしまう事はありません。
一歩下がって、心配からターンしてください。
その時、前向きな意味を持ちます。
心配しすぎることは、注意することにターンします。
ターンできないから、困った事になります。
そのターンこそが、真の解決です。
とにかく心配よりもターン。
これを心がけます。
最初はスローターンでかまいません。
そのスローターンを身につけましょう。
スローターンが身につくだけでもいいのです。
よければクイックターンまで進みましょう。
クイックターンを目的にすることはありません。
それも余計なこだわりです。
先ずスローターンを身につけます。
水泳のクイックターンはスタイルが異なりますが、この場合は同じです。
スローターンが身につき上達すれば、クイックターンになります。
珠算の上達のように、クイックでできるようになります。
この場合、速さにこだわる必要はありません。
それもこだわりです。
パニック障害から解放されるには、こだわりを解消する必要があります。
兎に角こだわってはいけません。
こだわりが「敵」です。
この「敵」という言葉にも、「闘うもの」ものという意味が含まれています。
この「敵」には、闘わないことが必要です。
放っておくことです。
放っておくことがベストです。
最大の解決です。
放っておくことが最大の解決です。
これは森田療法や、認知行動療法にも通じます。
ただし「言うは易し、行うは難し」です。
分かっているができないが、人の常です。
そこで具体的な、生活目標を決めていきます。
それにより分かっているができない事が改善します。
具体的な生活目標を実行することに、気持ちが向かえば良いのです。
その時、不安は弱まっていきます。
森田療法では、これを「目的本位の生活」と言います。
認知行動療法では、「生活の中で不安に適応する」と述べられています。
認知行動療法では、「不安は最初の5分がピーク」と考えます。
この5分を通り抜けることをアドバイスします。
最初の5分が勝負です。
この5分を過ぎれば、良いのです。
映画館に入ると、まっ暗で何も見えません。
だが少しづつ見えてきます。
これも最初の5分がピークです。
この5分を通り抜ければ、映画館の中が見えてきます。
目が暗さになれてきます。
暗さになれ、暗さに適応します。
同じく、不安や不快感も最初の5分がピークです。
この5分を通り抜ければ良いのです。
具体的な生活目標を決めても、現実な不安や不快感はやって来ます。
その時、最初の5分が勝負であることを自覚してください。
次に現実な不安や不快感を通り過ぎる事です。
5分通り過ぎれば平気です。
このことにより、パニック障害から解放されていきます。
5分が解放の、分かれ道です。
先ず具体的な生活目標の作成。
次がその実行です。
そのなかで当然つまずきはあります。
つまずいたら、5分がまんしてください。
こうやって現実生活に根付いていけばよいのです。
恐怖の世界から、現実生活に着地することが大切です。
現実生活に根付くための協力がカウンセリングです。
お手伝いです。
より具体的な生活が、パニック障害から解放されるために大切にされます。
生活とカウンセリングにずれはありません。
生活の中で、カウンセリングは行われます。
生活とカウンセリングは一致します。
いまの新しいカウンセリングは、ここに特徴があります。
特別なカウンセリングのスタイルをとることなく、生活をいかしていきます。
今までは特別なカウンセリングのスタイルがありました。
生活とは、別の世界でカウンセリングは行われました。
だが新しいカウンセリングは異なります。
生活とカウンセリングは一つです。
それゆえに生活の場でカウンセリングは行われます。
パニック障害からの解放は、窮屈な生活からの生活でもあります。
生活の窮屈さからの解放。
それがパニック障害からの解放とイコールです。
パニック障害の人は縮こまった生き方をしています。
その縮こまった生き方からの解放が必要です。
パニック障害≒縮こまった生き方
このような関係です。
現実はそれほど、脅威ではありません。
ある小学校の家庭科の先生は、針が怖くて教えられなくなりました。
それは児童が「針を間違えて身体に刺したら」という心配からです。
最初は、それを児童に頻繁に注意しました。
だが児童はうるさがるだけになってしまいます。
そのためによけい不安になります。
よけい不安になると、よけいな心配も出てきます。
それは「自分が針を間違えて児童に刺したら」という心配です。
この不安は深刻なものになりました。
自分に直接責任があるからです。
誰かがするのではなく、自分がすることを恐れだしました。
家庭科の授業は恐怖になりました。
「授業中に自分が児童を針で刺したら」と心配です。
そうなったらと考えると、生きた心地がしません。
それを考えていくと、胸苦しくもなり始めます。
パニックにおそわれました。
この人は心配しすぎにより、パニックになっています。
心配しすぎが、パニックに結びつきました。
このように自分の強迫観念が、パニックに結びつく人もいます。
単純にパニック障害のみに苦しむ人はまれです。
パニック障害の人は、パニック障害だけに苦しんでいるのではありません。
多くの神経症的な問題に苦しんでいることが多いのです。
そこには心配しやすい、不安感が強いという性格があります。
森田療法では、これを神経質と呼んでいます。
森田正馬は神経質な人が、神経質症になるとしました。
これは人格論的な発想です。
この人格論的な発想は、人格を固定化されたものと捉えがちです。
それに対して、精神分析療法は人格を柔軟に捉えます。
精神分析療法は人格を、発達論として考えます。
それは柔軟な捉えかたといえます。
そのように捉えるがゆえに、人格の改善も精神分析療法は目的とします。
森田療法よりも精神分析療法は守備範囲が広いのです。
このように精神分析療法の守備範囲は広く、性格改善も目的とされます。
その人の全てが、精神分析療法の守備範囲です。
心配しすぎという性格の改善も、目的とされます。
逆に言えば性格の改善なくして、何も成しとげられません。
前述のようにパニック障害の人は縮こまった生き方をしています。
その縮こまった生き方からの解放も、精神分析療法の守備範囲です。
生活の窮屈さからの解放は、認知療法でも目的とされます。
それは精神分析療法よりも、現実的なものです。
その認知療法による改善を述べます。
この家庭科の先生も、現実に児童を傷つけることはありません。
ただ、予測により不安になっているだけです。
その予測は、現実から目をそらすこともしています。
この家庭科の先生は授業をしっかり行う事です。
それはできなくても、しっかりした授業計画は立てられます。
逆に言えば授業をしっかり行うというかんじんかなめの事から、目をそらしてもいます。
不安は目をそらす役割とも言えます。
そこでこの人は、授業計画をたてました。
それに沿って授業を行うようにアドバイスしました。
森田療法では、これを目的本位と言います。
自分の気分よりも目的を大切にします。
「気分よりも目的を大切」にする目的本位と言います。
これは神経症改善の近道です。
森田療法で目的本位を指導するのは、認知行動療法にも通じます。
その理由を述べます。
森田療法で目的本位を指導するのは、現実を「あるがまま」に受け入れるためです。
認知行動療法は「症状は最初の5分をピークに20分で消える」という科学的根拠によるものです。
認知行動療法から、森田療法に光を当てて考えてみます。
目的本位に現実を「あるがままに受け入れていれば20分たって症状は消えている」となります。
そう考えれば、認知行動療法と森田療法の入り口は異なります。
だが出口は同じです。
この人の授業計画は、森田療法の目的本位を目指すものです。
「気分よりも目的を大切」にするものです。
「嫌な気分よりも目的を大切」にして授業を行います。
そうやっていると「20分たって症状は消えている」のです。
このように認知行動療法と森田療法の入り口は異なりますが、出口は同じです。
その入り口に入るための授業計画です。
大切なことは、入り口から入ったらユータン禁止だという事です。
ユータンは何ももたらしません。
この人も授業計画にそって授業を行います。
最初の5分がとても苦しいのです。
だがそこを頑張って!
20分たてば楽になります。
20分ユータン禁止!
そこを頑張って!
ただしそれでも、ユータンしてしまう人もいます。
その人には、次の方法があります。
その方法は考えれば苦しむことを、考える事の無意味さを知るのです。
考えれば苦しむことを、考える事に意味がありますか?
現実には迷路に入るだけです。
それでも考えれば、迷路は深まります。
パニック障害になる人は、否定性の方向に流される人です。
それを肯定性の方向に流れを、かえなければいけません。
そのために、質問をもちいます。
「あなたがそのことを考え続けることは、何をもたらしますか?」
この答えは、ただ一つです。
「何ももたらしません。」
そのことを考え続けることは、何ももたらさないということ。
この事実に向かい合います。
向かい合った時、ハンドルは切られます。
だがその負担に耐えられない人もいます。
解っていても、どうしてもそちらにハンドルを切る人。
その人には、録音による方法を用います。
録音による方法とは、携帯に録音する方法です。
その録音を再生し、聴きます。
その録音の内容はその人に最も適切なものとします。
このケースでは、以上↑の内容を録音します。
すなわち、この↓言葉になります。
「心配を考え続けても、何ももたらさない」
このように録音し、聴きます。
自分の声で録音してください。それに意味があります。
自分の声を聴くことにより、内容が内面化されやすいのです。
こころの声にかわりやすいのです。
喉から出る声が、こころの声にかわりやすいのです。
こころの声として聴くと、より効果的です。
私達は物事を、こころの声で判断しています。
よって自分の声で録音することに、大きな意味があります。
そうやって「心配を考え続けても、何ももたらさない」ことを根付かせます。
この家庭科の先生は授業に向かいました。
それでよいのです。
目的本位にやってみる事です。
当然、心配事はうかびます。
ただ最初の5分がピークです。
5分我慢してください。
これがポイントです。
最初のうちは、5分我慢できませんでした。
その時は椅子に座り、次のリラックス法を行います。
この方法は、インスタントなリラックス法です。
緊張したら、デスクワークならば仕事をしながらでもできます。
さらに述べます。
パニック障害から解放される方法 994
パニック障害から解放される方法 993
パニック障害から解放される方法 992
パニック障害から解放される方法 991
パニック障害から解放される方法 990
パニック障害から解放される方法 989
パニック障害から解放される方法 993
パニック障害から解放される方法 992
パニック障害から解放される方法 991
パニック障害から解放される方法 990
パニック障害から解放される方法 989
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