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2021年03月29日

パニック障害から解放される方法 929

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パニック障害から解放される方法を述べます。

パニック障害とは、いいしれぬ不安と恐怖によりパニック状態に陥るものです。
多くの場合、男性は心臓発作を恐れ、女性は取り乱すことを恐れます。

パニック障害の人は、電車や飛行機が苦手です。
電車や飛行機の中でパニックになったらと心配します。

「逃げ場のない恐怖」に襲われるからです。
特に飛行機は逃げ場はありません。

逃げ場のない状況に、巻き込まれます。
その結果、冷静でいられなくなります。

それだけではなく、パニック障害の人はいつもパニックの心配をしています。
これはパニックのリハーサルになっています。

パニックの心配をすることは、パニックのリハーサルをすることです。
悪循環に入り込みます。
 
心配しすぎてもいけません。
パニックになる人は、心配しすぎてリハーサルをしています。

それに常に最悪の事を考えます。
飛行機が「乱気流に巻き込まれたらどうしよう」と考えます。

さらには飛行機が「故障したらどうしよう」と考えます。
こんな考えが積み重なります。

最初は「何か困った事が起きる」こう考えます。
それが肥大化します。

最悪の状況まで考えは進みます。
飛行機の墜落まで考えます。

完全なマイナス思考です。
そのマイナス思考ゆえに動けません。

この悪循環を抜け出すことが、パニック障害からの解放です。
迷路から抜け出すことです。

それに現実に、心配とうらはらに飛行機も無事に飛行しました。
何もありません。

予測の中に、パニックの原因はあります。
現実には、何もありません。

予測により不安になり、パニックになります。
予測⇒不安⇒パニック です。

このベクトルは、過去に向かうこともあります。
そのとき後悔という、不幸に襲われます。

さらにはベクトルが過去に向かい、さらに将来に向かうこともあり。
過去⇒パニックの恐怖を思い出す⇒将来 です。

このように将来への不安に向かいます。
パニック障害の人は、こんな悪循環に生きています。

そのパニック障害の悪循環から、解放されるには何が必要でしょうか?
本当は壁はないという事に気付くことです。

パニックに陥る壁は、心の中にだけあります。
現実にはありません。

それが理解できれば、半分は解決しています。
あとの半分は「ストップ法」で解決すれば良いのです。

「ストップ法」とは、不安をストップさせるための方法です。
非生産的な思考をストップさせる方法です。

飛行機に乗ったらパニックになると心配が起きたら、こうします。
ストップと言うのです。

何かパニックになるような心配が起きたら、ストップと言うのです。
声に出しても、心の中だけでもいいです。そう言ってください。

そうやって心配を、ストップさせます。
これを身につけてください。

身についたら、それにより改善します。
改善が弱かったら、他の方法も用います。

パニック障害改善の方法は、いくらでもあります。
安心してください。

この方法は、生活の知恵のようなものです。
生活の知恵も大切です。

だが深刻なパニック障害からの改善は困難です。
より本質的な方法が必要です。

カウンセリングには、多くの方法があります。
その人の抱えている問題により、カウンセリングの方法も使い分けられなければいけません。

その人の抱えている問題には深さがあります。
どれぐらい、こころの深いところまで傷ついているかという問題です。

その深さにより、カウンセリングは適応されるべきです。
だが現実は、そうなっていません。

九州大学の調査によれば、適切なカウンセリングを受けている人は2~3割です。
不適切なカウンセリングを受けている人の方が多いのです。

そこでカウンセリングの統合理論が現れました。
有効性のあるカウンセリングを統合する理論です。

この統合理論は、柔軟にカウンセリングを行うものです。
臨機応変さがポイントです。

さらに3~4種類のカウンセリングの技能が必要です。
3~4種類のカウンセリングを臨機応変に組み合わせます。

ただそのコンビネーションには、一定の順序があります。
バレーボールの攻撃のコンビネーションにも、一定の順序があるのと同じです。

バレーボールのコンビネーションも、セッターにボールが渡らなければ始まりません。
同じ様に統合理論も、信頼に自分をあけ渡せなければ無意味です。

逆に言えば、多くの相談者は信頼が確立すれば改善します。
その信頼とは自己信頼です。

自分を信頼することです。
それが自己信頼です。

そのためにカウンセリングでは、信頼関係を重視します。
それを自己信頼に、高めていきます。

最初はカウンセラーと信頼関係を築きます。
それを自己信頼に、高めていくのです。

最初は他者信頼が築かれます。
それが高められ、自己信頼になります。

カウンセリングの技法は、技法そのものの効果も当然あります。
だが技法の習得のための、カウンセラーとの共同作業に隠された意味もあります。

共同作業により、信頼感は生まれます。
それを育んでいきます。

カウンセリングでは、目に見えないものの意味が大きいのです。
目に見えないものこそが、その本質とも言えます。

カウンセリングを受けて、なんで良くなったかわからないという事もあります。
それはカウンセリングでは、目に見えないものが本質だからです。

カウンセラーとの人間関係を通して、変化は起きます。
新しい世界は、開かれます。

カウンセリングの底辺には、カウンセラーとの人間関係を通して変化があります。
それこそが、カウンセリング成功のポイントです。

ただしパニック障害から解放されるには、パニック障害に適した方法も必要です。
普遍的なものと、特有のものが必要です。

パニック障害の人は、罪悪感を持ちやすいのです。
必要以上の責任感に苦しみます。

生活や仕事のミスに苦しみがちです。
自分を苦しめます。

ミスに過剰に反応します。
それが迷路の扉を開きます。

「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。
心配しすぎもマイナスの要素です。

多くの場合、パニック障害の人もそれを指摘されます。
神経症の人は、マイナス面を指摘されがちです。

その人に悪気はないのでしょう。
だがその指摘は意味がないだけではなく、害があることが多いのです。

前向きなアドバイスが必要です。
意味のあるアドバイスが必要です。

そのアドバイスは、批判を将来にいかそう。
この気持ちが大切です。

批判を、批難と受け止めないことです。
前向きに、とらえる事です。

批判であれば、将来にいかせます。
その姿勢が大切です。

さらに大切なこともあります。
ミスは個人的なことです。

その個人的なミスを将来にいかすことは、個人だけの事ではありません。
みんなのためになる事です。

そこで大きく前に踏み出します。
大きな一歩です。

ミスを将来にいかすことは、私たちのためになる事です。
私たちが浮び上がります。

私ではなく、私たちが浮び上がります。
後ろに私は退きます。

私たちのためになる事が、逆に前に出ます。
ここに真の解決の場は開かれます。
その場の中で歩み、生きられるようになります。

パニック障害の人は感受性の強い人に多いのです。
この感受性の強さを、放棄する必要はありません。
活かしていくことです。

この感受性の強さが、傷つきやすさとだけとらえると苦しみます。
新聞の記事にも、「私に同じことが起きたら」と苦しみます。

記事をこのように捉え、苦しんでいます。
ただしそこには、かくれたパワーもあります。

そのパワーは、よく気付くことによる前進に結びつきます。
今はパワーが眠っています。

感受性は共感性に通じます。
自分に閉じたとき、そうなれません。

自分のこころを開き、感受性を共感性にまで高めます。
感受性を共感性として活かします。

この感受性を共感性にまで高めることが、カウンセリングのプロセスです。
プロセスをともにすることがカウンセリングです。

もう一つ付け加えれば、嫌な人とは人間関係を持たないことも必要です。
前述したようにパニック障害になる人は、過剰適応者です。

嫌な人とも、仲良くしなければいけない。
パニック障害になる人は、この考えにより過剰適応し苦しみます。

せいぜい嫌な人とも、仲良く「した方が良い」です。
このように気楽に考えてください。

気楽さが、あなたを救います。
とにかく気楽に考えること!

気楽に考えることができるようになれば、パニック障害は改善します。
パニック障害だけではなく、多くの心の問題は改善します。

ある人は、友人たちからホラー映画に誘われました。
だがノーと言いました。

今まではパニック障害でありながら、友人たちのホラー映画の誘いを断れません。
過剰なキマジメさゆえです。

今度は、ノーと言いました。
誘いを断れない事の中に、恐怖も含まれています。

パニック障害はパニックを恐れるだけではありません。
ノーと言うのも恐れます。

ノーと言えません。
ノーと言うのも恐怖です。

パニック障害の人は、全てが恐怖です。
恐怖から解放されません。

毎日の生活に、恐怖が漂っています。
端的なものが、パニック発作です。

恐怖が漂い、毎日生活しています。
その端的なものとして、パニック発作が起きるのです。

日々の恐怖から解放されれば、パニック発作からも解放されます。
漂う恐怖は、もともとは何もないものです。

その人自身が、自分でイメージしたものが恐怖です。
仮想の恐怖が生活に漂ってしまっています。

その生活に漂った仮想の恐怖を、弱めれば良いのです。
弱める道すじすら、今は見えません。

そのためには恐怖をきれいに取ろうとしないことです。
完全主義を緩めるのです。

そのために森田療法では、「あるがまま」という言葉を使います。
恐怖と闘わず、「あるがまま」でいろと言うのです。

何事も、身体の調子も不完全です。
それを「あるがまま」に受け入れます。

多くの場合、調子が悪くても動いているうちに良くなるものです。
ある主婦は調子が悪くて家事ができません。

森田療法では調子が悪くても、家事をするように指示します。
いわゆる目的本位の生活を指示します。

調子が悪くても、家事を進めるうちに変化が起きます。
やる気が出てきます。

掃除をすれば、次から次に汚れているところも見つかります。
そのところまで、掃除も進みます。

学校の勉強でも、「やる気を出してやろう」と考えるのはミスです。
勉強をやることにより、やる気も出ます。

とにかく始める事。
そこからやる気も出ます。

これが森田療法で、目的本位の生活を指示する理由です。
森田療法だけではなく、認知行動療法でもスタイルは異なりますが同じです。

ただし認知行動療法の方が、科学的な説明をします。
森田療法は指示的すぎる、嫌いがあります。

どちらにしても、生活を正すことは大切です。
そこから、始まります。

生活に漂った仮想の恐怖は、生活が正されれば弱まっていくことも多いのです。
そこから前向きな生活は、始まります。

心配ばかりしていても、前向きな生活は訪れません。
必要以上の心配を、将来にいかすことが大切です。

そのための、毎日のステップが大切です。
それはスモールステップでかまいません。

スモールステップだからこそ、実現できるのです。
小さな一歩の変化を目指すべきです。

毎日、散歩をするでもいいのです。
ほんの小さなことです。

その小さなことが、積み重なる事です。
それが大きなことに変わります。

そうやって気付くことがあります。
「小さなことを実現することに幸せがある」という事です。

高い地位と、幸せは別問題です。
両者は別のラインです。

むやみに高い地位を求めることも、神経症的です。
ゆとりのなさが、そうさせています。

気持ちにゆとりのある事が大切です。
急きたてられる生き方が、パニックを生みます。

生活そのものに喜びを、みいだすべきです。
パニック障害から解放されるには、こんな気付きも必要です。

人生では成功よりも、良い意味のある体験が大切です。
高級乗用車は成功の証かもしれません。だが意味は?

もう一度、問い直します。
そこに真の答えは見いだされます。

だが高級乗用車を所有する意味は、子供じみたものです。
人格の成熟とは、逆向きです。

それに気づくことも、自分を解放します。
自分を解放することは、パニックからの解放に通じます。

パニックの人は、閉じ込められています。
自分に、自分の考えに閉じ込められています。

自分の考えに閉じ込められた人は、がむしゃらに抜け出そうとします。
これがスタイルを変え、現実生活に現れたのがパニックとも言えます。

気持ちにゆとりをもつこと。
ゆとりをもって生活すること。

この二つの事を、マスターしていくことです。
それがパニック障害から解放される道筋です。

決断できない

パニック障害の人に多い悩みです。
この事から解放されることも必要です。

自信がないのです。
自分に、もしくはやり遂げる自信がないのです。

解決法は、とにかくやってみること。
自信をつけてから、やろうとしないこと。

パニック障害の人は自信をつけてから、やろうとします。
これが間違いです。

自信は、やることによりつきます。
よって自信をつけてから、やることはできません。

準備ばかりしていて、始まりません。
先ず、始める事!

それに自己決定に間違えはありません。
大きく見れば、自己決定に間違えはありません。

ミスは将来にいかせます。
そうであれば、究極的には自己決定に間違えはありません。

間違えというものはありません。
将来にいかされないものが、間違えです。

こう考えてください。
勇気を持って、決断してください。

決断して、将来にいかすこと!
そのとき、前に歩みだせます。

心配を目標設定にチェンジ
これも大切です。

私達は、何か目標を設定します。
その時に当然、リスクも考えます。

パニック障害になる人は、リスクに沈みこんでいきます。
先ずその沈みこみから解放されることです。

そのためにも、先ずやること!
考えないでやること!

やってみれば、何でもない。
そういうことが多いのです。

ただし、そうできない人もいます。
その人のための方法を書きます。

先ずあなたの心配を具体的に、ノートに書いてください。
心配の内容、程度、いつどこで心配になるかという事です。

内容:乗り物、電車やバス、エレベーター
程度:不安ですぐ降りてしまう
いつどこで:乗り物が動き出すとすぐ

つぎにこの事を、現実のストーリーにします。
語り、文章にします。

それを書いていきます。
次に見本↓を示します。

この人の場合は、このように書きます。
【もし電車に乗って、動きだしてパニックになったら、誰か助けてくれるの。
そこで心配が起きたら、すぐ電車から降ります。急行電車には、乗りません。
すぐ下車できないからです。いつも各駅停車で出かけます。】

そのために、生活の自由度が狭まります。
パニック障害や神経症の人は、生活の自由度を狭めてしまいます。

この狭い、生活の自由度を広めることが大切です。
そのために、ストーリーを書き換えます。

このように↓書き換えます。

【電車でパニックになったら、助けてくれる。
いまAEDはどこにでもある。もう心配はやめよう】

この書き換えは、大切です。
自分自身を安心させます。

この書き換えをメモしてください。
携帯やスマホでもいいですから、メモしてください。

それを常に見ます。
暗記してください。

記憶することは大切です。
記憶したことは、生活の背景になります。

【電車でパニックになったら、助けてくれる。
いまAEDはどこにでもある。もう心配はやめよう】
が生活の背景になります。

この新しい背景に、生活は支えられます。
その時に不安も弱まります。

ただし憶えるだけで背景ができる人もいれば、できない人もいます。
できない人は、もっと深い問題があります。

心のもっとも深いところで、信頼のぐらついている人です。
正確には、自己信頼の弱い人です。

自己信頼の弱い人には、この方法のみでは不充分です。
受容的カウンセリングが必要です。

カウンセリングで、その人が真に受けいられます。
受容的カウンセリングは、それが基本です。

クライエント中心のカウンセリングです。
暖かく肯定的なカウンセリングです。

こんなカウンセリングが必要です。
次に必要なものは、前向きな目標と姿勢です。

パニックの心配を、人生の前向きな目標に向けます。
その姿勢だけでも、大きな意味があります。

そのときの人生の前向きな目標は、小さなもので良いのです。
身近なもので良いのです。

すぐできる事で良いのです。
正確には、すぐできる事の方が良いのです。

パニックになる人は、几帳面すぎる人です。
すぐできる事よりも、先の心配をしがちです。

逆に言えば前ばかり見て、毎日の生活をおろそかにします。
そんな人は今の生活を着実に歩むことを忘れています。

今の生活を着実に歩むには、身近なことが大切です。
小さなすぐできる事が良いのです。

たとえば散歩でいいのです。
この小さなことから、次の小さなことが出てきます。

パニックを恐れる人は、小さな一歩が踏み出せません。
これが特徴です。

小さな一歩から、次の小さな一歩も出てきます。
最初の一歩も踏み出せないのです。

それゆえに最初の一歩は、気楽に踏み出せるものが良いのです。
気楽さが大切です。

それが決まっても、押しつけてはいけません。
あくまでもその人、来談者が中心です。

カウンセラーは待ちます。
最初の一歩を待ちます。

気楽に「散歩でもしようかな~~~」
こんな言葉が出てくれば理想的です。

ある人は、明るくこう伝えます。
「散歩してみるか!」

その前向きさだけでも良いのです。
出てきた前向きさをいかせば良いのです。

そのためのはげましも大切です。
カウンセラーの笑顔も大切です。

笑顔というはげましです。
言葉でないものが、大きな力を持ちます。

大切なことは、パニック障害の人は考え込みがちです。
それから解放されるためには、ゆったりとした気持ちで生活することです。

何かをしようとすると、すぐ失敗したらどうしようと考えます。
感受性が強すぎます。

何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。
強すぎる感受性はブレーキです。

新聞の交通事故の記事を読んで、自分にも起こると考えます。
交通事故に気をつけようとは考えません。

パニック障害の人にとって、事故が差し迫ったものです。
すぐそばにあるものです。

自分は、すぐ事故にあうかもしれないと考えます。
現実の事故よりも、事故にあうかもしれないという考えに支配されます。

新聞の交通事故の記事を読んで、ドミノたおしが始まります。
このドミノたおしはストップしません。

そこで大切なことは信号を守る、交通ルールを守るという事です。
そのときドミノたおしに気を取られません。

肝心かなめの事は信号を守る、交通ルールを守るという事です。
それを忘れてしまいます。

その結果、交通事故にあいやすくなります。
自分で事故を引き寄せます。

パニック障害で直接、困ることは少ないのです。
それよりも間接的に、困ることは起きがちです。

パニック障害の人だけではなく、心の問題で困っている人はそのような人が多いのです。
心の問題で直接困るよりも間接的に、困ることが多いのです。

この事は肝にめいじておくべきです。
本当に困るのは、間接的なことです。

「気で病む」だけです。
本当は、何もありません。

気で病んでつぶれてしまいます。
言葉は悪いですが、自爆してしまいます。

心が閉じてしまいます。
それと一緒に、生活も閉じてしまいます。

心配していることが本当に起きて、ダメになることはありません。
このように、気で病んでつぶれてしまいます。

先ずそれを自覚することです。
気で病まない、つぶれないことです。

常に後ろ向きに考えます。
それをターンし前向きに変えます。

水泳のターンと同じです。
逆方向に泳ぎ出します。

交通事故の心配からターンします。
ターンして信号を守る、交通ルールを守るようにします。

交通事故の被害者になってしまう事はありません。
一歩下がって、心配からターンしてください。

その時、前向きな意味を持ちます。
心配しすぎることは、注意することにターンします。

ターンできないから、困った事になります。
そのターンこそが、真の解決です。

とにかく心配よりもターン。
これを心がけます。

最初はスローターンでかまいません。
そのスローターンを身につけましょう。

スローターンが身につくだけでもいいのです。
よければクイックターンまで進みましょう。

クイックターンを目的にすることはありません。
それも余計なこだわりです。

先ずスローターンを身につけます。
水泳のクイックターンはスタイルが異なりますが、この場合は同じです。

スローターンが身につき上達すれば、クイックターンになります。
珠算の上達のように、クイックでできるようになります。

この場合、速さにこだわる必要はありません。
それもこだわりです。

パニック障害から解放されるには、こだわりを解消する必要があります。
兎に角こだわってはいけません。

こだわりが「敵」です。
この「敵」という言葉にも、「闘うもの」ものという意味が含まれています。

この「敵」には、闘わないことが必要です。
放っておくことです。

放っておくことがベストです。
最大の解決です。

放っておくことが最大の解決です。
これは森田療法や、認知行動療法にも通じます。

ただし「言うは易し、行うは難し」です。
分かっているができないが、人の常です。

そこで具体的な、生活目標を決めていきます。
それにより分かっているができない事が改善します。

具体的な生活目標を実行することに、気持ちが向かえば良いのです。
その時、不安は弱まっていきます。

森田療法では、これを「目的本位の生活」と言います。
認知行動療法では、「生活の中で不安に適応する」と述べられています。

認知行動療法では、「不安は最初の5分がピーク」と考えます。
この5分を通り抜けることをアドバイスします。

最初の5分が勝負です。
この5分を過ぎれば、良いのです。

映画館に入ると、まっ暗で何も見えません。
だが少しづつ見えてきます。

これも最初の5分がピークです。
この5分を通り抜ければ、映画館の中が見えてきます。

目が暗さになれてきます。
暗さになれ、暗さに適応します。

同じく、不安や不快感も最初の5分がピークです。
この5分を通り抜ければ良いのです。

具体的な生活目標を決めても、現実な不安や不快感はやって来ます。
その時、最初の5分が勝負であることを自覚してください。

次に現実な不安や不快感を通り過ぎる事です。
5分通り過ぎれば平気です。

このことにより、パニック障害から解放されていきます。
5分が解放の、分かれ道です。

先ず具体的な生活目標の作成。
次がその実行です。

そのなかで当然つまずきはあります。
つまずいたら、5分がまんしてください。

こうやって現実生活に根付いていけばよいのです。
恐怖の世界から、現実生活に着地することが大切です。

現実生活に根付くための協力がカウンセリングです。
お手伝いです。

より具体的な生活が、パニック障害から解放されるために大切にされます。
生活とカウンセリングにずれはありません。

生活の中で、カウンセリングは行われます。
生活とカウンセリングは一致します。

いまの新しいカウンセリングは、ここに特徴があります。
特別なカウンセリングスタイルをとることなく、生活をいかしていきます。

今までは特別なカウンセリングのスタイルがありました。
生活とは、別の世界でカウンセリングは行われました。

だが新しいカウンセリングは異なります。
生活とカウンセリングは一つです。

それゆえに生活の場でカウンセリングは行われます。
パニック障害からの解放は、窮屈な生活からの生活でもあります。

生活の窮屈さからの解放。
それがパニック障害からの解放とイコールです。

パニック障害の人は縮こまった生き方をしています。
その縮こまった生き方からの解放が必要です。

パニック障害≒縮こまった生き方
このような関係です。

現実はそれほど、脅威ではありません。
ある小学校の家庭科の先生は、針が怖くて教えられなくなりました。

それは児童が「針を間違えて身体に刺したら」という心配からです。
最初は、それを児童に頻繁に注意しました。

だが児童はうるさがるだけになってしまいます。
そのためによけい不安になります。

よけい不安になると、よけいな心配も出てきます。
それは「自分が針を間違えて児童に刺したら」という心配です。

この不安は深刻なものになりました。
自分に直接責任があるからです。

誰かがするのではなく、自分がすることを恐れだしました。
家庭科の授業は恐怖になりました。

「授業中に自分が児童を針で刺したら」と心配です。
そうなったらと考えると、生きた心地がしません。

それを考えていくと、胸苦しくもなり始めます。
パニックにおそわれました。

この人は心配しすぎにより、パニックになっています。
心配しすぎが、パニックに結びつきました。

このように自分の強迫観念が、パニックに結びつく人もいます。
単純にパニック障害のみに苦しむ人はまれです。

パニック障害の人は、パニック障害だけに苦しんでいるのではありません。
多くの神経症的な問題に苦しんでいることが多いのです。

そこには心配しやすい、不安感が強いという性格があります。
森田療法では、これを神経質と呼んでいます。

森田正馬は神経質な人が、神経質症になるとしました。
これは人格論的な発想です。

この人格論的な発想は、人格を固定化されたものと捉えがちです。
それに対して、精神分析療法は人格を柔軟に捉えます。

精神分析療法は人格を、発達論として考えます。
それは柔軟な捉えかたといえます。

そのように捉えるがゆえに、人格の改善も精神分析療法は目的とします。
森田療法よりも精神分析療法は守備範囲が広いのです。

このように精神分析療法の守備範囲は広く、性格改善も目的とされます。
その人の全てが、精神分析療法の守備範囲です。

心配しすぎという性格の改善も、目的とされます。
逆に言えば性格の改善なくして、何も成しとげられません。

前述のようにパニック障害の人は縮こまった生き方をしています。
その縮こまった生き方からの解放も、精神分析療法の守備範囲です。

生活の窮屈さからの解放は、認知療法でも目的とされます。
それは精神分析療法よりも、現実的なものです。

その認知療法による改善を述べます。
この家庭科の先生も、現実に児童を傷つけることはありません。

ただ、予測により不安になっているだけです。
その予測は、現実から目をそらすこともしています。

この家庭科の先生は授業をしっかり行う事です。
それはできなくても、しっかりした授業計画は立てられます。

逆に言えば授業をしっかり行うというかんじんかなめの事から、目をそらしてもいます。
不安は目をそらす役割とも言えます。

そこでこの人は、授業計画をたてました。
それに沿って授業を行うようにアドバイスしました。

森田療法では、これを目的本位と言います。
自分の気分よりも目的を大切にします。

「気分よりも目的を大切」にする目的本位と言います。
これは神経症改善の近道です。

森田療法で目的本位を指導するのは、認知行動療法にも通じます。
その理由を述べます。

森田療法で目的本位を指導するのは、現実を「あるがまま」に受け入れるためです。
認知行動療法は「症状は最初の5分をピークに20分で消える」という科学的根拠によるものです。

認知行動療法から、森田療法に光を当てて考えてみます。
目的本位に現実を「あるがままに受け入れていれば20分たって症状は消えている」となります。

そう考えれば、認知行動療法と森田療法の入り口は異なります。
だが出口は同じです。

この人の授業計画は、森田療法の目的本位を目指すものです。
「気分よりも目的を大切」にするものです。

「嫌な気分よりも目的を大切」にして授業を行います。
そうやっていると「20分たって症状は消えている」のです。

このように認知行動療法と森田療法の入り口は異なりますが、出口は同じです。
その入り口に入るための授業計画です。

大切なことは、入り口から入ったらユータン禁止だという事です。
ユータンは何ももたらしません。

この人も授業計画にそって授業を行います。
最初の5分がとても苦しいのです。

だがそこを頑張って!
20分たてば楽になります。

20分ユータン禁止!
そこを頑張って!

ただしそれでも、ユータンしてしまう人もいます。
その人には、次の方法があります。

その方法は考えれば苦しむことを、考える事の無意味さを知るのです。
考えれば苦しむことを、考える事に意味がありますか?

現実には迷路に入るだけです。
それでも考えれば、迷路は深まります。

パニック障害になる人は、否定性の方向に流される人です。
それを肯定性の方向に流れを、かえなければいけません。

そのために、質問をもちいます。
「あなたがそのことを考え続けることは、何をもたらしますか?」

この答えは、ただ一つです。
「何ももたらしません。」

そのことを考え続けることは、何ももたらさないということ。
この事実に向かい合います。

向かい合った時、ハンドルは切られます。
だがその負担に耐えられない人もいます。

解っていても、どうしてもそちらにハンドルを切る人。
その人には、録音による方法を用います。

録音による方法とは、携帯に録音する方法です。
その録音を再生し、聴きます。

その録音の内容はその人に最も適切なものとします。
このケースでは、以上↑の内容を録音します。

すなわち、この↓言葉になります。
「心配を考え続けても、何ももたらさない」

このように録音し、聴きます。
自分の声で録音してください。それに意味があります。

自分の声を聴くことにより、内容が内面化されやすいのです。
こころの声にかわりやすいのです。

喉から出る声が、こころの声にかわりやすいのです。
こころの声として聴くと、より効果的です。

私達は物事を、こころの声で判断しています。
よって自分の声で録音することに、大きな意味があります。

そうやって「心配を考え続けても、何ももたらさない」ことを根付かせます。
この家庭科の先生は授業に向かいました。

それでよいのです。
目的本位にやってみる事です。

当然、心配事はうかびます。
ただ最初の5分がピークです。

5分我慢してください。
これがポイントです。

最初のうちは、5分我慢できませんでした。
その時は椅子に座り、次のリラックス法を行います。

この方法は、インスタントなリラックス法です。
緊張したら、デスクワークならば仕事をしながらでもできます。

仕事中に緊張しそうになったら、椅子に座ったまま次の方法を行います。
先ず目を閉じてください。

次に左右の手それぞれをかたく5秒間ぐらい握って、握りこぶしを作ってください。
次に完全に力を抜いて、10秒間ぐらいリラックスさせてください。これをできるだけ5セットぐらいまで、繰り返します。

そうやってリラックスします。
この先生も、行いました。

この方法は自分で意識的に緊張をつくります。
それにより、過度に緊張しないようにするものです。

この先生も過度の緊張から、心配が生まれていたとも考えられます。
「はじめに緊張ありき」です。

だが心配から緊張が生まれるとも言えます。
逆に緊張から、心配が生まれるとも言えます。

最初は心配から緊張が生まれました。
だが緊張から、心配が生まれるようになったのでしょう。

心配からの緊張が慢性化すると、困った事が起きます。
緊張から、心配が生まれるようになります。

これを逆に解除していくのが、先ほどのリラックス法です。
身体の緊張を解除し、不安を取っていきます。

パニック障害は身についてもいます。
それを解除し、解放します。

身体の緊張となってしまったパニック。
解除し、不安を取ります。

パニック障害になる人は、自分に対するイメージが悪いのです。
それから解放される必要があります。

具体的には、「自分を責める」傾向のある人です。
自分の責任にしがちな人です。

その人は自分を否定的に考えがちな人です。
そんなパーソナリティーの人です。

その人は多くの場合、こう言われます。
「自分ばかり責めるな」

そう言われて、苦しみます。
その言葉により、自分ばかり責めてしまうからです。

直接の指摘は、意味がありません。
それ以上に、逆効果です。

それよりも、理解が大切です。
その人の苦しみを、解ってあげる事です。

解ってあげる事により、「自分ばかり責める」ことは減ります。
このように直接ではなく、間接的に解決を進めます。

多くの場合「自分ばかり責めるな」と言って、相手を責めています。
このわなに、知らず知らずに入っています。

先ずその人を責めることをやめる事です。
家族や先生は、先ずその人を責めることをやめる事です。

先ず家族や先生は態度で示すことです。
それにより改善の方向に向かいます。

言葉よりも態度です。
態度が全てを決めます。

その人が責められなくなれば、自分らしく生きられます。
新しい世界に生きます。

さらにそこには自己嫌悪も潜んでいます。
自分を愛せない問題です。

自分を愛せない、自己嫌悪が潜んでいます。
自分を愛せないがゆえの、問題が起きます。

それは弱さです。
強くなるには、自分を愛せる事が必要です。

その愛を与えます。
カウンセラーの役割は、そこにあります。

「パニック障害から解放される方法」と言います。
だが方法は、パニック障害改善の決定的な要素ではありません。

方法、技術は一面の真理です。
パニック障害改善にも、技術よりも関係性が大切です。

愛を与えること。
その与えられた愛を、内面化すること。

内面化された愛は、その人を支えます。
こころの芯になっていきます。

そのこころの芯こそが大切です。
びくともしないものに、なれれば理想的です。

そこまでいかなくても一定以上になる事です。
自分自身を支えられるぐらいにはなる事です。

それをカウンセラーとの人間関係を通して行います。
これが技術よりも関係性が大切である理由です。

自分が悪いと考えがちの人は、視野が狭いと言えます。
多くの場合、相手を神様と考えているとも言えます。

神様に向かい合うのですから、緊張します。
ぎこちなくなります。

本当は、相手も同じ人間です。
間違えたことを言ったり、やったりする同じ人間です。

それを知り、理解する。
その理解には、体験が必要です。

その理解のための体験の場が必要です。
それがカウンセリングです。

体験による理解です。
その場をカウンセリングルームは与えます。

カウンセラーとの関係を通して、行います。
これがパニック障害を解放に導きます。

究極的には、「自分はOK」。
この自覚です。

いま「自分はOK」でありません。
NOです。

真の愛は、芯まで届きます。
その時、「自分はOK」だと気づきます。

多くの場合、パニック障害の人は本当に恐れているものがあります。
それはパニックにより起こる過呼吸や、不安ではありません。

パニックにより起こる過呼吸や、不安は目隠しです。
本当の問題は、見えない所にあります。

たとえば近親者の死があります。
ある人は、親戚の叔父の死でした。

叔父の死に直面し、死を恐れました。
そこからパニックが始まりました。

多くの場合、それは意識されていません。
無意識に追いやられています。

またある人は、家族が闘病生活になりました。
それにより、身内の死を恐れました。

その身内の死に対する恐れは、消えたように見えました。
その恐れは、チェンジしました。

恐れは消えたように見えましたが、チェンジしたのです。
心はとても巧妙なものです。

本当に知らなければいけないものを、巧妙に隠します。
意識から、見えないようにします。

見えないようにしたものは、エネルギーを持ち続けます。
それは意識の表面に出ようとします。

そのエネルギーが外に現れたものは特徴があります。
それは変装しています。

症状として、変装して現れます。
心は自分をあざむこうとします。

この自分をあざむこうとすることがくせ者です。
他人をあざむこうとするよりもくせ者です。

自分をあざむこうとする事から、症状は形成されます。
自己欺瞞により困難の扉は開きます。

問題は自己欺瞞にあり。
この自己欺瞞の姿勢です。

自己欺瞞の姿勢は、こころの芯まで届いているものです。
それゆえに、困難の扉は深刻に開きます。

それがパニック障害です。
だが自分では何もわかりません。

自分でも分からないほど、自己欺瞞は深いのです。
深く隠れています。

自分で自分をあざむこうとする事。
これを解除する事。

自分で自分をあざむこうとする事を、解除するのは難しいのです。
そこにはカウンセラーのサポートが必要です。

個人のあいだのもめごとでも、誰かが入れば解決しやすいですね。
内的な問題も、同様です。

カウンセラーのサポートによって、自己欺瞞は意識化されます。
そうやって解除されます。

解除されたら、それをいかしていきましょう。
困難は、将来にいかしましょう。

パニックのエネルギーを真に進むべき方向に向けましょう。
あるパニック障害の人をモデルに述べます。

この人は癌を恐れていました。
癌ノイローゼのような状態です。

この人は多くの健康法を試みます。
これは癌ノイローゼの人に多いのです。

癌ノイローゼの人は多くの健康法を試みます。
だがけっして安心しません。

それは癌以外の本当の理由があるからです。
それこそが、本当に解決されなければいけません。

多くの場合、今の生活が原因です。
正確には今の生活がうまくいっていないことが、原因です。

自分が身体を心配することは、他者に自分を心配してもらいたい場合に多いのです。
これが核心に有ります。

この人の場合、家族関係がうまくいっていません。
カウンセリングは、そこに向かい深まっていきます。

家族に会話がない状態です。
閉塞状態と言えます。

この人は、その閉塞状態に閉じ込められていました。
そこから解放されたいのです。

具体的には、奥さんとうまくいきません。
一方的にまくしたてる奥さんです。

このまくしたてこそが、この人の生活の悩みでした。
ある日気づいたら、癌の心配が起きていました。

身体を気にする人は、生活に悩みを持っています。
その悩みは、スタイルをかえます。

それが身体の心配です。
この人は、癌の心配として起きました。

私たちは子供のころ病気をして、親の看病を受けました。
子供が病気をすれば、親は心配します。

それがこの人の心の中で、繰り返されます。
誰かに、自分を心配してもらいたい。

この人の場合は、奥さんです。
一方的にまくしたてる奥さんです。

この人は、奥さんに一方的にまくしたてられて困っています。
さすがに病気の時は、それはありません。

自分が病気の時は、まくしたてられないことに気づいています。
それが無意識的に働きました。

奥さんに、自分を心配してもらいたい。
それが本質です。

このことから悪循環は始まっています。
その悪循環から、抜け出すことが必要です。

病気になって、まくしたてをストップしたい。
より正確には、ブロックしたいのです。

奥さんのまくしたてからの逃避が、癌の心配です。
肝心かなめの事は、ここに有りました。

夫婦円満こそが、真の解決です。
本当の解決は夫婦円満にあり。

家族関係や人間関係のつまずきは、こころの問題の原因です。
こころの問題から解放されるためには、円満な人間関係こそが本質です。

そのための家族カウンセリングもあります。
家族カウンセリングとは個人ではなく、家族を交えてのカウンセリングです。

それにより夫婦円満に向かいます。
向かう事に大きな意味があります。

普通にカウンセリングを始めても、まっすぐに進むものではありません。
当然ハードルはあります。

この人は癌の心配をカウンセリングしました。
夫婦関係と言う横道のように見える、本当に解決に至る道がありました。

本当の解決は、夫婦円満にあり。
こういうことは多いのです。

横道に見える事こそが、本当の道です。
こころは自分自身を最も欺きます。

この人も、家族関係の改善にカウンセリングのハンドルを切ります。
家族カウンセリングを行います。

夫婦円満は話し合いにあり。
誰かを挟んで話し合う事です。

それが家族カウンセリングです。
この人も奥さんと向かい合いました。

今まで、最も避けてきたことです。
それに向き合うだけでも、大きな一歩です。

家族の問題にも、完全な解決は有りません。
だが今までは、向き合うことすらなかったのです。

向き合いながら、家族は前を向きます。
カウンセリングとしては、それだけで良いのです。

本当に向き合わなければいけないものから、目をそらさせているものがあります。
この人は、それが癌の心配でした。

それを自覚化しました。
奥さんと向かい合うという、正しい解決に進みました。
次はパニックの時の、心得について述べます。

パニックの時の、心得としては抵抗しないことです。
いまのパニックに溺れないことです。

女性の場合、パニックになるとそれを隠そうとします。
必要以上に隠そうとします。

それが悪循環を生みます。
迷路に入り込みます。

女性のパニックはデパートのような、広いところで起きがちです。
よけいパニックになるとそれを隠そうとします。

心配のあまり、それがパニックを起こします。
心配しすぎることにより、パニックを引き寄せてしまうのです。

現実に起きるパニックを隠そうとしないことです。
それだけでも改善に向かいます。

パニックを隠そうとすることは、引き寄せてしまいます。
自分の本当の姿を見せてもいいぐらいの気持ちを持ちましょう。

ただし現実にはそれはできません。
自分の本当の姿を見せてもいいぐらいの相手は必要です。

それがカウンセラーです。
そこにカウンセリングの大きな意味もあります。

ただひたすら聴く人。
自分の意見を言わずに、聴く人がカウンセラーです。

カウンセラーに語る事により、自分の本当の姿を知ります。
同時に気持ちも共有できます。

気持ちが共有された時、隠そうという気持ちも弱まります。
やがて消えていきます。

そもそもパニック障害になる人は、何事においても気持ちを隠そうとします。
その隠そうとする気持ちからの解放は大きな意味があります。

ある意味で気持ちを隠そうとすることが、パニック障害に通じています。
隠されたものは、お化けにもなり得ます。

そのお化けがパニックです。
パニック状態です。

逆に言えば、隠さなければお化けにもなりません。
お化けは、イメージのなかだけにいます。

隠すという事は、よそ行きの姿勢です。
パニック障害の人は、よそ行きの姿勢で生きています。

そのよそ行きの姿勢で固まっています。
柔軟に動けません。

少なくともカウンセリングの場で、そのよそ行きの姿勢を弱めます。
それだけでも効果的です。

この弱まった姿勢は、困難を呼び寄せません。
パニック障害の人は、自分で困難を呼び寄せています。

そのよそ行きの姿勢。
柔軟に動けない姿勢が問題を生みます。

体操であれば、柔軟体操。
カウンセリングではこころのふれ合いが、柔軟体操になります。

カウンセラーとのこころのふれ合いは、ふれ愛でもあります。
それがこころを柔軟にします。

ふれ愛は、人をかえます。
プラスに肯定的に、人をかえます。

そのふれ愛は、人をプラスにかえます。
それによりパニックも克服されます。

パニックの克服は、きれいに消し去られるものではありません。
予期不安は常に働きます。

家族旅行の計画中に、予期不安は働きだすこともあります。
「乗り物に乗ってパニックになったら」と言う心配です。

その時、家族の力は大切です。
その力が大きな意味を持ちます。

協力してくれる関係。
これが「もし困ったら」を克服します。

それが内面化すれば、具体的なものも必要でなくなります。
自分で解決できます。

カウンセリングは、この内面化を行うものです。
内面化のプロセスです。

このような人には、家族面接も必要です。
家族面接が、大きな力になります。

それにより「もし~~~になったら」と言う心配を克服します。
「もし~~~になったら」と言う心配に、左右されなくなります。

家族の支えは、大きな意味があります。
それは本人を支える力にもなります。

将来に対する不安には、一つの特徴があります。
それは最悪のケースをイメージした結果だという事です。

常に最悪のケースを考えています。
かつそうなると思い込んでいます。

最悪のケースを考え行動します。
そのために委縮した生活を、毎日おくっています。

委縮しているから、出口をさがしています。
ただしい出口から、出られないことが多いのです。

現実に、最悪の結果は先ずありません。
最悪を心配する人には、あり得ないことです。

それは、「まず心配することは起きない」ものだからです。
自動車の運転でも事故を心配しているときに、まず事故は起きません。

気がゆるみ、運転が雑になると危険です。
同じように、心配している限り安全です。

気がゆるむと危険。
心配は安全。

「心配することは起きない」
この事をおぼえてください。

心配しすぎにより、心配しすぎという困った事が起きます。
心配しすぎという荷物を、背中に乗せてしまいます。

その荷物を下ろすことです。
下ろせば、楽になります。

この人も荷物を下ろします。
家族旅行の計画に参加します。

そのとき、自分で立ち止まって考える事の大切さを知りました。
リニアモーターカーに乗るように急いでいたことに気づきました。

ただし家族の気遣いは必要です。
カウンセリングよりも、家族の気遣いは大切です。

家族の気遣いがじゅうぶんであれば、カウンセリングは必要でない。
それぐらい家族の気遣いは大切です。

その気遣いは、育んでいくもの。
そのために家族カウンセリグはあります。

この人も家族旅行の計画に参加し、前向きに発言します。
それをカウンセラーは無条件に肯定します。

多くの場合、家族は無条件に肯定しません。
この人には無条件の肯定が必要です。

より正確には無条件に肯定してくれる人が必要です。
それがカウンセラーです。

その無条件の肯定は支えです。
土台です。

無条件の肯定に支えられてこそ、前進できます。
それはエンジンとも言えます。

またその燃料とも言えます。
常に与え続けなければいけない燃料でもあります。

一面そうです。
だが無条件の肯定が内面化されれば、燃料は必要でなくなります。

カウンセリングは無条件の肯定による、自己信頼の確立です。
自己信頼の内面化です。

自己信頼が内面化されれば、燃料は必要でなくなります。
自分で動けるようになります。

カウンセリングは、その内面化のための働きかけです。
究極的には、その人が内面化します。

究極は、その人自身が解決します。
カウンセラーはサポートをするのです。

倒れそうな人を、支えます。
支え終わったら、自分で歩くのです。

こう書きましたが、現実はもう少し複雑です。
支えと、その終わりの中間があるからです。

運動会のリレーでいえば、バトンパスがあります。
このバトンパスが難しいのです。

バトンパスには、それなりの技術が必要です。
カウンセラーは、その技術として「もし~~がうまくいったら」という方法を用いました。

この人の場合は、次のようなものです。
「もし旅行中にパニックにならなかったら、どうなりますか?」

この人は、こう答えました。
「楽しい旅行になります!」

そこで新しい可能性に気づきます。
新しい可能性に生きようとします。

常に前に前に、可能性をつくっていきます。
後ろは向きません。

そうやって楽しい話をすすめます。
多くの場合、楽しい話が現実化します。

しかし、そうなれ「ない」人もいます。
そうならない人はいません。だがそうなれ「ない」人はいます。

そうなれ「ない」人は、どこかでブロックされています。
気持ちが、どこかでブロックされています。

そうなれ「ない」人は、自己信頼の弱さによりブロックされています。
自己信頼の弱さは、希望も奪います。

その深い闇の世界を生きています。
それが現実です。

カウンセリングは自己信頼を強めます。
それにより奪われた希望を、取り戻します。

その自己信頼は、関係性により育まれます。
カウンセリングでは、主にカウンセラーとの関係性により育まれます。

カウンセリングの成功は、カウンセラーとの関係性により決定される。
こう言い切る人もいます。

最後は、自分の力。
自分がどれぐらい力をつけられるかです。

カウンセラーとの関係性の中で、信頼を育んでいきます。
それは他者信頼であり、自己信頼です。

究極的には自己信頼です。
自己信頼こそが土台です。

自己信頼という土台から、他者信頼が生まれます。
自己信頼の回復こそが、全てとも言えます。

その自己信頼の回復は、カウンセラーとの関係性が大切です。
それこそが、全てです。

カウンセラーとの関係性により、自己信頼を回復させます。
それは他者信頼と、表裏一体とも言えます。

自己信頼⇒他者信頼 であり 他者信頼⇒自己信頼
というように、表裏一体です。

この他者信頼の、他者というものの姿になるのがカウンセラーです。
他者というものになります。

二人で、他者信頼を確立します。
より正確には自己信頼に裏付けられた、他者信頼を確立します。

カウンセラーは他者の代表です。
ここにカウンセリングの特徴があります。

それと同時に親、特に母親です。
これは心の法則に基づくものです。

心の法則とは、発達的な法則です。
人の心の発達には一定の法則があります。

産まれて初めて出会う人は、母親です。
この母親との関係性が、人格の基礎をつくります。

特に対人関係の基礎をつくります。
対人関係は、母親との関係のくり返しと言えます。

いわゆるみつごの魂百までもです。
母親との関係が、対人関係として現れます。

当然、そこにゆがみもあります。
そのゆがみを正していくのです。

それはカウンセラーとの関係性により行われます。
人間関係により行われます。

そこで暖かい関係を体験します。
体験により確立します。

暖かい関係を体験し、内面化します。
このプロセスをたどります。

このプロセスこそが、大切です。
必要なプロセスです。

それにより母親との関係のくり返しをストップします。
それだけではありません。

ストップだけではなく、前に進みます。
前進します。

より意味深い関係をつくります。
非生産的な関係から生産的な関係に進みます。

それがカウンセリングの役割です。
関係性を通して、それを行います。

暖かい関係の体験。
その体験による自己確立です。

むかしのカウンセリングは、テクニカルでした。
技術重視でした。

いまのカウンセリングは、人間関係を重視します。
カウンセラーとの触れ合いを重視します。

人間性心理学という分野もあります。
それぐらい、人間性に軸足を置きます。

カウンセリングは「良い体験は良い人をつくる」という所に、いま軸足を置いています。
当たり前といえば、当たり前です。

その良い体験を通して、良い人になるプロセスが大切です。
この人は、そうやって「もし困った事が起きたら」を希望に書き換えていきます。

「もし困った事が起きたら」⇒「こんな素晴らしい事が起きたら」
このように書き換えます。

この人は、
旅行中にパニックにならなかったら⇒楽しい旅行になります

このようにプラスに書き換えていきます。
将来を、意味のあるものにしていきます。

例えばゴールデンウィークの旅行を考えてみます。
今までは「もし乗り物でパニックがが起きたら」⇒「旅行は諦める」

「もし乗り物でパニックがが起きなかったら」⇒「乗り物の中で楽しくおしゃべり」
このように変わります。

そのストーリーを前に進めていくのです。
「乗り物の中で楽しくおしゃべり」⇒「おみやげを決めよう」

話は、さらに楽しく進みます。
⇒「おみやげは何にしよう」と話は、弾みます。

このようにストーリーは、前に前にと進んでいきます。
後ろ向きな話が、ターンします。

逆向きに、前向きに進み始めるのです。
ただしつまずきもあり得ます。

そのつまずきでも転びません。
引きずりません。

このように常に前向きな考え方を身につける事です。
それが大切です。

もう一つ言えば、パニック障害になる人の考えていることはまず起きません。
起きないことを心配しているだけです。

心配でつぶれる人。
それが現実です。

現実は何も起きません。
心配のドミノ倒しが起きるだけです。

その心配のドミノ倒しが、その人を倒します。
繰り返します、現実は何も倒していないのです。

何も倒し、何も倒れていな事実。
これを知ることが大切です。

パニック障害になる人の考えていることはまず起きませんし、その起きないことを心配しているだけです。
ある人は、駅で電車を待っているときに気を失う事を恐れました。

だが、それは起きません。
心配が、気を失う事のブレーキだからです。

気を失う事を心配している限り、気を失う事はありません。
心配はブレーキです。

これを心の片隅にとどめることも大切です。
それにより、安心できます。

心配の持つブレーキ効果です。
ブレーキは必ずかかります。

そこから、心配を捉え直せば良いのです。
捉え直すことにより、客観化すれば良いのです。

心配事は起きないか、起きても小さなことです。
それほどのことは起きません。

それを致命的なことと考えるのが、心配のドミノ倒しの始まりです。
本当は倒れていないドミノに、苦しめられます。

倒れていないドミノ。
ドミノ倒しは始まっていません。

倒れてもいないもの。
始まってもいなドミノ倒し。

そのドミノ倒しに、倒れてしまいます。
気持ちだけ、倒れてしまいます。

本当は気持ちだけ倒れます。
だがその人も倒れてしまうのです。

これがパニック障害の人の姿です。
何も起きていないのに、ダウンしてしまいます。

常に人生を楽しめません。
不安の連続です。

この改善のために必要なことは、不安を避けよとしないことです。
不安でいいのです。

分かりやすく言えば、「不安になってもいいんだよ」と自分に語りかけることです。
やさしくフレンドリーに自分に語りかけることです。

ハコミという新しいカウンセリングがあります。
やさしくフレンドリーに自分に語りかけるカウンセリングです。

このようにテクニカルに行ってもいいです。
それかカウンセラーとの関係性のなかで行っても良いのです。

どちらにしても、ゴールは同じです。
「不安になってもいい」ということを内面化させるのです。

自分に ok! を言います。
自分と言う人間に ok! を言います。

自分に対する ok! こそが人間としての土台です。 
この土台から、全ては始まります。

こころの土台。
この土台に、全ては築かれます。

そのときに身をまかせる姿勢が築かれます。
それはまた身をゆだねる姿勢とも言えます。

自分に寛容になる事です。
パニック障害の人は、自分に寛容になれない人です。

自分に寛容になれれば解決する問題。
それがパニック障害です。

だが単純に前進しないことも事実です。
壁はでてきます。

壁は、予測による不安です。
それは「もし~~でパニックになったら」というものです。

人は予測により不安になります。
パニック障害の人は、この傾向の強い人です。

多くのパニック障害の人は、予測によりたじろいでしまいます。
壁を前にたじろいでしまいます。

その壁を破る事。
乗り越えることです。

だが注意点があります。
それはパニック障害から解放される本質とも言えます。

いまパニック障害に苦しんでいる人には、それは驚くべきことです。
もともと壁はありません。

壁はない。
自分の思いが壁をつくっているだけです。

もともと困難はありません。
シャドーボクシングのようなもの。

先ずそれに気づくこと。
気づけば、消える影です。

壁の間でたたずまないこと。
バックしないことです。

ない壁を抜けてください。
壁抜けという言葉も、正確には不適切です。

ない壁を抜けることはできません。
壁がないことに気づくだけです。

気づくだけで消える壁。
気づくことだけが必要です。

ある人は、苦手な人と会わなければいけませんでした。
そのときに不安を消そうとしました。

不安を消して、進もうとしました。
それが間違えです。

不安を消して、不安をゼロにしてから進むことはできません。
それは考え違えです。

前に進みながら、不安は弱まっていきます。
進むことと、弱まることは一致しています。

そこで背中の一押しが必要です。
誰かが、背中を一押ししなければいけません。

カウンセリングでは当然、カウンセラーが背中を一押しします。
家族が一押ししても良いのです。

ただし背中の一押しも、コツがあります。
カウンセラーは背中を一押を心得ています。

とにかく誰かが、背中を一押しします。
それにより壁を越します。

壁を越えれば、何でもない事。
「もともと何でもなかった事」に気づきます。

壁を越えれば、気づきません。
越えることにより解ります。

解ってからやろう。
これが迷路の入り口です。

やりながら解る。
こちらが正解です。

この人も、とにかくやってみました。
やる事により、不安は消えました。

要するにミスは前後関係にあります。
不安は消してから、やる事は不可能です。

「先ず不安を消してから」という発想は間違えです。
その発想には、今の自分を受容できなさがからんでいます。

神経症やパニック障害の根は深いのです。
自分を受容できないという、根の深さがそこにはあります。

行動療法のみでは、今の自分を受容できなさを横に置きます。
その横に置いたものは、その人をおびやかすようになりがちです。

そのための認知療法です。
認知療法により、横に置いたものも真ん中に置きます。

自分を受容できないという、根の深さを改善します。
それを過去に戻るよりも、前に前に行います。

これは精神分析療法と大きく異なる点と言えます。
過去の修正よりも、前に向かうのです。

常に前に向かうのが、パニック障害から解放されるための新しい方法です。
そのために、具体的な目標設定をします。

その目標設定は、次のようなものです。
「あなたが朝起きて困っていることがなくなっていたら、何をしてみたいですか?」

このように目標を設定します。
今までは「朝起きて困っていることが先ず頭に浮かびました」ね。

それをチェンジします。
前向きにチェンジします。

それが「朝起きて困っていることがなくなっていたら、何をしてみたいですか?」という問いです。
このように前に進みます。

そこで、前向きな姿勢が生まれます。
その姿勢こそが、大切です。

前向きさは、すべてを解決します。
ある意味、その姿勢だけですべてを解決します。

ただし前向きな姿勢は、生まれただけでは不充分です。
維持され続けなければいけません。

そのためには、現実を前向きに歩み続けなければいけません。
そのための具体的な目標設定です。

人によっては、「のんびりしたい」という人もいます。
人によっては、「旅行したい」という人もいます。

それぞれ、前向きな希望はあります。
その希望を明らかにします。

希望に向かって進みます。
歩んでいくのです。

歩みながら、固めていく。
前向きさは、歩みながら固めていくものです。

お正月に決めたことが、まっすぐにゆがむことなく前に進みません。
三日坊主も多いのです。

自転車に乗ることをマスターするのも、同じです。
1メーター乗れても、2メーターで転ぶことも多いのです。

少なくとも400メーター乗れれば、もう転ぶことはありません。
それと同じです。

前向きさも、くじけそうになります。
そうならないためには「のんびりしたい」よりも、「旅行したい」の方が良いのです。

さらにそれを実行すればベストです。
本当に旅行するのです。

目的を持って、それに向かい歩みだします。
ゴールデンウィークやお正月休みの計画を立てます。

実際に旅行します。
実践します。

そのプロセスが改善のプロセスです。
電車での旅行が、やがて飛行機での旅行になるかもしれません。

実践です。
実際に、そうしていくのです。

けっして、証明ではありません。
現実に実践していきます。

その積み重ねこそが、パニック障害から解放されるために必要です。
カウンセリングは、その道筋を示すものです。

カウンセラーは改善のアドバイザー。
本質ではありません。

最後は、自分の頑張りです。
自分の頑張りこそが、改善のポイントです。

その頑張りを引き出す人。
それもカウンセラーです。

パニック障害から解放されるには、その本質的な問題からの解放も必要です。
芯の問題からの解放も必要です。

その芯の問題は、その人の性格のようになっています。
性格化されています。

パニック障害になる人には、特有の性格傾向があると言えます。
性格神経症とも言われます。

性格神経症は、狭義の意味では性格の偏りを示します。
広義では、神経症の人特有の性格傾向を示します。

パニック障害から解放される方法を述べていますから、パニック障害の人特有の性格傾向を述べます。
その特有の性格傾向として、罪悪感を持ちやすいことがあげられます。

何でも自分の責任と考えます。
自分を責めます。

それゆえに、生きることが辛いのです。
義務的に生きてしまうのです。

我慢、我慢で生きています。
当然、我慢しなければいけない時もあります。

だが、いつも我慢です。
それがパニック障害の人特有の性格傾向の一つです。

この性格傾向も、改善しなければいけないものです。
カウンセリングでは、そのように対応します。

性格の改善も、カウンセリングの守備範囲です。
それなくして、パニック障害から解放されることはありません。

罪悪感を持ちやすい人は、両親の仲の悪かった人に多いのです。
両親の仲の悪さを、取り持とうとすることにより罪悪感が生まれます。

親の不機嫌さを、自分のせいと考えるからです。
一定の年齢にたっしない子供は、そう考えがちです。

親の不機嫌さを、自分のせいとするのです。
それが小学校でも中学校でも続きます。

それだけならいいのです。
学校の先生の不機嫌さも、自分のせいと考えがちだから悪いのです。

同級生の不機嫌さも、自分のせいと考えがちです。
全部自分のせいです。

それも悪いことです。
悪いことは全部自分のせいです。

これでは地獄に生きているようです。
ある意味でパニック障害の人は地獄に生きています。

この事は、自己尊重の低さとも言えます。
自己尊重の低さに覆われています。

本当は自己尊重の低さが原因です。
それが罪悪感に導きます。

自己尊重を高めることも必要です。
それもカウンセリングの目標になります。

パニック障害から解放されるには、直接にパニックの改善に向かう行動療法があります。
それと間接的にパニックの改善に向かう認知療法があります。

この二つを用いたものが認知行動療法です。
外的な適応と内的な適応をともに考えたものです。

この人の自己尊重の低さは、内的なものです。
それは認知療法で扱います。

パニックそのものは、外的なものです。
それは行動療法で扱います。

先ずここでは自己尊重の低さゆえの、罪悪感の克服を考えます。
それは認知療法によります。

罪悪感を持つ人は、不完全燃焼の炎のような生き方をしています。
常に満たされません。

何事もうまくいかないのは、自分のせいと考えがちです。
こころに重しが、碇がついています。

その碇は、「しなくていい我慢をする」ことです。
その結果、生きることは味気なくなります。

認知療法により、、「しなくていい我慢をする」ことを正します。
生きることに意味を与えます。

苦しみを正当化させる必要はなくなります。
すべては自分のせいではありません。

それにすべてを自分のせいにしても、何も生まれません。
非生産的なものです。

自分を打ちのめすだけです。
それも自分で、自分を打ちのめすだけです。

これをやめられるのは、やっている人だけです。
自分を責めるのをやめるのは、自分だけです。

罪悪感により、守られるものがあります。
それは今までの自分です。

より正確には、守られるものは今までの「自分の生き方」です。
このゆがんだ守りこそが、こころの不自由さの原因です。

ゆがんだ生き方を守るから、苦しみます。
苦しみは、今の生き方の間違えを教えています。

この苦しみの原因に気づくことが大切です。
それにより今の生き方を正します。

このような人は、自分に厳しいのです。
罪悪感は、その厳しさの現れです。

それにより今の生が委縮してしまうのです。
委縮したものを、まっすぐにします。

それがカウンセリングです。
真っ直ぐにするための多くの方法があります。

先ず関係性の確立です。
カウンセラーとの正しい関係性の確立です。

そこに関係性を重視する、カウンセラーの姿勢が垣間見えます。
ある意味、カウンセラーの姿勢が全てです。

よって寛容な生き方が求められます。
寛容に生きられるときに、全ては変わるのです。

寛容に生きられずに、過去に苦しむ人は多いのです。
後悔ばかりしています。

ただし過去に苦しむことは非生産的です。
だが過去そのものは生産的です。

過去そのものを活用できないから、非生産的になります。
活用できれば、生産的です。

過去の活用と生産性は表裏一体です。
その理解は大切です。

過去の活用ができれば生産的になれます。
活用できなければ非生産的になります。

過去の活用の有無は、何によって決定されるのでしょうか?
いま活用できるかは、いまのその人の姿勢により決まります。

いまその人が自己尊重できれば良いのです。
自己尊重こそが、全ての鍵です。

自己尊重が確立されること。
そのときに過去から解き放たれます。

今あなたは変わります。
今です。

罪悪感を手放して考えれば、ミスはあなただけが原因と言えません。
周りのフォローが不十分なこともあります。

決定的に自分の責任で有る事は、ありません。
それは思い込みです。

自分で責任を抱えこむことは有りません。
抱えこむことは、「しなくていい我慢」です。

「しなくていい我慢」は生きづらさです。
さらにはパニックの原因です。

神経症やノイローゼの人は、生きづらい人です。
「しなくていい我慢」を常にしているからです。

その「しなくていい我慢」から解放されること。
それが神経症やノイローゼの生きづらさからの、解放につながります。

「しなくていい我慢」を常にしている人は、怒りも抑え込んでいます。
だがそれゆえに、怒りが爆発することもあります。

おとなしい人が爆発する。
それは比較的有ります。

その解決は、「しなくていい我慢」をしない。
怒りを抑え込まないことです。

さらにはその爆発の結果、罪悪感も持ちます。
「そんなに人を責めなくてもいいじゃないか」という罪悪感です。

怒りに自他を巻き込まない。
怒って苦しむのは、最後は自分です。

特に子供のいる女性は注意です
そのような人をモデルに述べます。

中学生の男の子がいます。
学校の成績は優秀です。

このお母さんは、満たされない人です。
その満たされなさが、この子に向かいます。

子供を通して満たそうとしますから、本当の問題は未解決です。
その未解決な問題は、横に置かれます。

そのために、それほどのこともないのにイライラ状態です。
子供に怒りは向かいます。

向かう事により、子供の成績も落ちていきます。
それによりイライラ状態です。

この人は、イライラにより胃を悪くしました。
そのため、入院生活です。

その入院生活中に、子供はどうなるか心配で心配でいました。
だが何も起きていませんでした。

むしろ、のびのびしていました。
開かれ解放されていました。

現実には、お母さんは子供に悪影響を与えていただけです。
それだけのことでした。

この人は、自分で自分を苦しめていたのです。
それも家族を巻き込んで、そうしていたのです。

「しなくていい我慢」は怒りを抑え込み、その結果はこのようになりがちです。
「しなくていい我慢」は、しないことです。

結局、怒りを我慢することは悪循環に入るだけです。
それにけっして怒りは悪い事ではありません。

多くの場合、怒らない人には一つの思いがあります。
それは怒りは人間関係をダメにするという思いです。

それにより「自分との関係を悪くする」ことになります。
最後は「自分との関係を悪くする」ことにより破綻します。

それよりも大切なことがあります。
「自分との関係を良くする」ことです。

より正確には「『自分自身』との関係を良くする」ことです。
これが第一です。

「『自分自身』との関係を良くする」ことにより、対等な関係が持てます。
「しなくていい我慢」は、対等な関係を築けません。

「しなくていい我慢」は、自分を相手の下にしてしまいます。
そのために「しなくていい我慢」を続けざるを得ないことになります。

悪循環に入るのです。
逆に「自分との関係を良くする」ことは好循環を生みます。

選択理論という、カウンセリングがあります。
その理論では、良い人間関係を選択できないから神経症になると考えます。

自分を実現できないから神経症、ノイローゼは生まれると考えます。
選択理論では不幸な人が神経症、ノイローゼを選択していると考えるのです。

不幸を解決する事。
これが選択理論による現実療法の目的です。

幸せになりたいけれども、幸せになれない。
それを選択、自己決定と考えたのです。

自己決定は変えられます。
現実に変えられます。

良い自己決定を選択し、現実を良くしていく。
これが現実療法です。

その良い自己決定の選択が、「自分との関係を良くする」ことです。
これは好循環を生みます。

パニック障害になる人は他者に対し恐れています。
その恐れから解放されることです。

落ち着いていられません。
それが恐れを生みます。

こんな人は感受性の強い人です。
その強さが困難を生みます。

「鈍感になれ」とは言えません。
そうなれないから、苦しんでいるのです。

ベストの選択は、「自分との関係を良くする」ことです。
これは無理なく、その人を解放します。

その「自分との関係を良くする」ことを学びます。
カウンセリングと言っても、勉強や学習に近いものです。

ノートも用いられます。
それが認知療法の特徴とも言えます。

ノートを用いて、自分の認知のゆがみを正します。
パニック障害の人は、その道筋も解ってきています。

パニック障害の克服に関して、その落としどころがあります。
パニックから解放される認知の方法です。

認知の結論は「なったら、なったとき考えよう」です。
パニック障害からの解放は、多くの場合ここにあります。

これが改善のゴールです。
それが分かっている今、パニック障害からの解放は容易です。

そこに向かって進めば良いのです。
ハンドルを握れば良いのです。

この「なったら、なったとき考えよう」は土台です。
その上に、「自分との関係を良くする」ことがあります。

「なったら、なったとき考えよう」という楽観的な考え方。
それが出来たら、もう「自分との関係を良くする」ことは完成しています。

両者は別々のものではありません。
密接な関係があります。

「なったら、なったとき考えよう」という楽観的な考え方を支えているもの。
それは信頼です。

より正確には、自己信頼です。
自己信頼の確立は、全てをカバーします。

自己信頼こそが楽観的に考えられ、前向きな対人関係も築けます。
そこに不安は入り込めません。

パニック障害の人は、楽観的に考えられません。
そこから解放されるには、楽観的な考え方が大切です。

本当は何も起きていません。
悲観的な考えに支配されているだけです。

悲観的な考えを解除する。
それがパニック障害の解決です。

悲観的な考えは執着です。
パニック障害も執着です。

執着からの解放が必要です。
そのために認知を正していきます。

「なったら、なったとき考えよう」という楽観的な考え方にハンドルを切れれば良いのです。
そのための質問をします。

「このまま心配することは、何をあなたにもたらしますか?」
こう質問しました。

この人は、こう言いました。
「何ももたらしません」

そうなんです。
何ももたらさないのに、心配しています。

これこそが折り返し地点です。
心配からの折り返し地点になります。

それに気づいたとき、折り返せます。
そこが折り返し地点になります。

ある意味、今すぐでも折り返せます。
ある意味、永遠に折り返せないとも言えます。

今すぐ折り返せて、永遠に折り返せないとも言えます。
心配事とは、このようなものです。

今すぐ折り返せるための、方法を考えていきます。
カウンセラーと考えていきます。

ゴールは「なったら、なったとき考えよう」という楽観的な考え方です。
そのために、言いきかせることは効果は有りません。

言いきかせることは力が入っています。
その力を抜かなければいけません。

カウンセリングを必要とする人に、言いきかせる人がいます。
学校の先生に、これは多いのです。

多くの場合、言いきかせる人は自信がない。
自分の発言に確信が持てない人です。

その確信のなさは、どこかでキャッチされています。
それが全体を動かしてしまいます。

言いきかせは無力です。
場合によっては、逆効果です。

言いきかせるよりも受け止める事。
それが効果です。

当然、それをカウンセラーは知っています。
だからカウンセラーは受け止めます。

受け止めれば、それだけで改善は起きます。
少なくとも改善方向には向かいます。

受け止め気づくプロセス。
それをともに歩むのがカウンセリングです。

ゴールは「なったら、なったとき考えよう」というゴール。
楽観的な考え方です。

それは単純には成しとげられません。
人それぞれの道があります。

だがその道は、経験的な体験的な道です。
経験、体験により身に付きます。

カウンセリングは、それが自然に身につくために必要な道です。
歩むことにより、こころの足腰が強くなる道です。

カウンセリングは具体的には、パニック障害の改善という目的に向かう道です。
だが歩みながら、足腰は強くなっています。

しらずしらずのうちに、こころの足腰は強くなっています。
気づいたときに、自分は変わっています。

これも一つの解決です。
カウンセリングの技法も一つの解決です。

技法は全てではありません。
しらずしらずのうちにこころの足腰が強くなり気づいたときに、自分は変わっている方が本当かもしれません。

より正確には本ものかもしれません。
こんな割り切れなさも、カウンセリングにはあります。

「なったら、なったとき考えよう」という楽観的な考え方の本質は何でしょうか?
楽観的なものの考え方です。

自分自身に対する楽観論。
世界に対する楽観論です。

それは、言いきかせることにより確立できません。
カウンセリングという人間関係が必要です。

何らかの人間関係は必要です。
カウンセリングである必要はありません。

柳田国男の記す、日本の古き地域共同体にもカウンセリングのような要素は有りました。
長老の知恵に、それは表現されていました。

ところが近代化するに従い、それは失われます。
現代では、消え失せてしまいました。

お相撲では「ものいい」がつきます。
ボクシングには、「ものいい」がありません。

意見をぶつけ合います。
長老の知恵はありません。

長老の知恵から遠ざかるだけです。
ある意味で、本当の解決はありません。

楽観的な考え方も、長老の知恵に含まれます。
深い大きな知恵です。

「なったら、なったとき考えよう」というゴールに至るには、いくつもの道があります。
科学的な心理療法の道もあります。

この科学的な心理療法の道で、最も科学的であるのが認知行動療法です。
「なったら、なったとき考えよう」というゴールに、科学的に導きます。

認知のゆがみとして、今の状態をとらえます。
「心配しても、何の意味のないことを心配している」のが現実のこの人の姿です。

そのために、次の質問をします。
「心配することは、あなたに何をもたらしますか?」

多くの人は、考え込みます。
いま自分のしていることに対する、質問だからです。

自分のしていることを、自分で明らかにする。
それにより、明らかになるものがあります。

無駄な苦労をしている。
心配しすぎという事です。

それに気づかせるための質問です。
直接語ることなく、質問により気づかせます。

これが認知療法の特徴です。
その方が、気づきやすいのです。

「心配することは、あなたに何をもたらしますか?」この質問。
その回答は、「何もなりません」です。

「何も、もたらしません」です。
これが悪循環の姿です。

自分の姿を鏡に映す。
それにより客観化します。

自分の姿を鏡に映し、客観化して気づいたこと。
それが「心配しても、何にもならない」です。

これを身につけていくのです。
それがカウンセリングプロセスになります。

そのためにいくつかの方法があります。
録音する方法もあります。

それはこの「心配しても、何にもならない」を身につけるものです。
録音し、聴くのです。

簡単です。

スマートホンに「心配しても、何にもならない」と録音します。

それを聴きます。
不安になったら聴きます。

それでいいです。
だが常に聴いても良いのです。

できたら暗記することです。
『平家物語』の冒頭を憶えるように、「心配しても、何にもならない」と憶えます。

憶えれば、身につきます。
それだけで、良くなる人もいます。

この方法で改善しないときは、次の方法に進みます。
それは「長い録音法」です。

これは、不安のストーリーを書きだします。
それを録音します。

ある広場恐怖症の女性をモデルに述べます。
パニック障害、特に広場恐怖症は女性に多いものです。

広場恐怖症は大きな公園、デパートのような広いところでパニックになるものです。
女性は特に、取り乱すことを恐れます。

その女性をモデルに述べます。
筆記用具と、レポート用紙でもノートでもいいですから書く紙を用意します。

その紙に、いつも自分が心配するように作文にします。
その例を以下に示します。

【今日は、デパートにお中元の品を頼みに行きます】
このように始めてください。

【デパートのフロアーは広いから心配です】
【どうしよう】

心配を書き続けます。
【行くのやめようかな】

【どうしようかしら】
目的を達するストーリーにしてください。

【とにかく進む】
このように書き続けることが、理想的です。

現実に、広い所から逃げない。
そのために、こう書いてください。

【嫌でも、デパートに行く】
これは決意です。

作文の中でも、決意を示します。
心配になるかもしれませんが、そうしてください。

実際に、デパートに行ってください。
必要があったら、行ってください。

恐怖から逃げない。
それが大切です。

この録音法は、さらに続きます。
録音するのです。

自分の声で録音してください。
それが大切です。

人は、言葉によりものごとを考えます。
それも自分の内的な言葉によってです。

それゆえに、自分の声で録音してください。
それが効果的です。

録音するだけでも、効果はあります。
人によっては、それだけでも改善します。

次に、それを聴きます。
身を入れて聴きます。

不安に、身をさらします。
直面させます。

これがパニック障害から解放されるための、行動論からの解決です。
認知論的な解決も大切です。

認知論的な解決は、「自分で解決できないことを解決しようとしている」という事です。
ある人は、エレベーターに乗るとパニックになります。

それを考え、心配します。
だが考え、心配することは解決にはなりません。

逆に考え心配することは、リハーサルになってしまいます。
決して解決にはなりません。

考え、心配しない。
それこそが、解決です。

エレベーターに乗る。
何も考えずに、ただ乗るだけです。

この事を知ったら、、「自分で解決できないことを解決しようとしている」ことに気付いてください。
「なったら、なった時に考えよう」とできれば良いのです。

理性的な判断が大切です。
動揺しない姿勢を保つには、理性的な判断が大切です。

不安に巻き込まれない、理性的な判断。
それが求められます。

究極的には、「腹が座る」のです。
そのためにはカウンセリングだけではなく、毎日の生活も大切です。

カウンセリングのプロセスは毎日の生活が大切になるようにしていきます。
最後は毎日の生活に、着地します。

生活への着地。
このプロセスをともに歩むのがカウンセリングです。

逆に言えば、パニック障害は毎日の生活のなかで解放されるものです。
生活そのものが解決のプロセスとして、歩まれます。

カウンセリングと毎日の生活は別のものではありません。
地続きです。

地続きという認識がなければいけません。
そうでなければ、ひもの切れた凧になってしまいます。

カウンセリングと毎日の生活が地続きだからこそ、効果は出ます。
そのためには、毎日の生活は地続きにたるものでなければいけません。

多くの神経症の人は、カウンセリングと毎日の生活がつながりにくいながらもつながります。
それは多くの神経症の人は「先延ばしの癖」により、カウンセリングと毎日の生活がつながりにくくなっているからです。

その「先延ばしの癖」は、「先ず手をつけること」により改善します。
考えないで、やってみることです。

やれば、やる気が出てきます。
やる気は、やる事により出ます。

カウンセリングと毎日の生活は地続きです。
重なっています。

生活の改善は、パニック障害の改善とも地続きです。
切り離して考えることは不可能です。

カウンセリングでは、その人のすべてを扱います。
持ちます。

パニックの心配ばかりしていることは、非生産的です。
けっして解放に導きません。

心配ばかりしていても、解決しません。
心配の迷路に入り込むだけです。

心配するよりは、何かをする。
これが大切です。

人生は、困難の連続のような面もあります。
困難を取り除いてから、進もうと考えればいつまでも進めません。

困難と共に歩みだします。
そういうものです。

「困難と共に歩む」
それを学びます。

パニックを恐れながら、歩みだします。
その姿勢が大切です。

エレベータに乗る必要があったら、乗ります。
苦しくなったら、途中で降りてもかまいません。

「しなくていい我慢はしない」のです。
多くのパニック障害の人は「しなくていい我慢をしてしまう」のです。

出口が無くなります。
それが破綻します。

パニック障害から解放されるためには、「無理をしない生活」こそが大切です。
気楽に生きれば良いのです。

「無理をしない生活」の逆の、「無理した生活」が困難を生みます。
パニックを生みます。

それも日ごろの我慢が原因です。
毎日の我慢が原因です。

理想は「無理せず気楽に」となります。
実際問題として、これは相当に難しい。

ただしそれはエレベータに乗ることから、始まります。
どのように考えても、初めの一歩は同じです。

とにかくエレベータに乗る。
不安でもエレベータに乗ります。

最初は、頑張って!
頑張って乗ります!

それで良いのです。
だが力を抜いてもいきます。

そのために、「自信を持つ」ことです。
いろいろな方向からのアプローチが、「自信を持つ」ことに役立ちます。

ある意味、水泳と同じです。
力を抜くコツを学んでいくのです。

最初は水に飛び込まなければいけません。
恐怖にに飛び込まなければいけません。

ここから先が、水泳の練習です。
水泳の先生から学びます。

そのためには、溺れても先生は助けてくれるという安心感が必要です。
それに支えられ、練習は進みます。

この安心感の獲得だけでも、改善に向かいます。
人によっては、それだけでも改善します。

パニックを心配して、パニックのリハーサルをすることも減ります。
心配は、リハーサルをしているだけです。

非生産的です。
後ろ向きな方法です。

後ろ向きを、前向きに。
チェンジします。

それには安心感が必要です。
だが安心感は信頼感の裏付けが必要です。

その信頼感は、他者信頼に裏付けられます。
さらに究極的には、自己信頼に裏付けられます。

パニック障害だけではなく、非生産的な葛藤は自己信頼の弱さによります。
解放されるためには、自己信頼の確立が必要です。

その自己信頼を、どのように確立するか?
やさしくもあり、難しいことです。

それがカウンセラーとの人間関係です。
関係性です。

このカウンセラーとの人間関係を通して、自己信頼を確立する。
自己信頼を確立の二人三脚です。

それがカウンセリングの役割です。
大きな一本の役割です。

その大きな一本の樹は育ちます。
大きく太くなります。

独り立ちできれば完成です。
樹も人も同じです。

さらに根を張っていくのです。
そのためには、毎日の生活こそが大切です。

当然、毎日の生活のサポートもカウンセリングに含まれます。
カウンセリングには柔軟さが求められます。

カウンセリングの原則は破られてしかるべきものとも言えます。
原則に縛り付けられることがあってはいけません。

そこは柔軟に考えます。
かつ柔軟に進めます。

とにかくエレベータに乗ることです。
不安でもエレベータに乗ってください。

そこから始まります。
ある意味で、それがすべてです。

不安から逃げない。
これが大切です。

2階で降りても構いません。
先ず、乗ることです。

そこから始まります。
あとは、不安に圧倒されないことです。

不安に飲み込まれないことです。
そのためには、身体のリラックスが大切です。

それをこころの片隅において、行動してください。
先ず動くことです。

パニック障害になる人は、傷つきやすい人が多いのです。
そういう人が動き、何かをするのはとてもハードルの高いものです。

その時は、カウンセラーも励まします。
元気づけます。

その元気づけにより、こう語りました。
「私は今まで我慢してきました」

「パニック障害になる人は、我慢しやすい人です」
その我慢から解放されることは、パニックから解放されることに通じます。

我慢よりも行動。
とにかく動くことです。

動くから、次も出てきます。
止まっていても、何も出てきません。

「考える前に動く」
こうなります。

これを身につけていきます。
毎日の生活を通して、身につけていきます。

そのためのカウンセリングになります。
どちらかと言えば、カウンセリングよりもケースワークのスタイルです。

そこで生活の計画を立てます。
旅行の計画でもいいのです。

この人は旅行の計画を立てました。
今いるところを離れたい、放れたいと考えたからです。

今までは、パニックを恐れ遠出できませんでした。
それをやってみようと決めました。

それだけでも評価されることです。
カウンセラーは励まし、勇気付けました。

こうすることにより、現実がカウンセリングの場になっていきます。
現実とカウンセリングは同一平面にあります。

その同一平面において、カウンセリングは行われるべきです。
それが最も効果的です。

現実と、別のところにカウンセリングをおいても効果は薄いのです。
ほとんど効果はないとも言えます。

携帯電話、スマートホンにおけるカウンセリングはとても意味深いです。
いつでも、どこでも困ったときにカウンセリング可能です。

そんなカウンセリングも、現代では可能です。
これにより現実とカウンセリングは同一平面にありえます。

このようなカウンセリングが、最も効果的であることも多いのです。
そのようなカウンセリングも、現在では行えます。

携帯電話、スマートホンが用いられるからです。
その点、とても良い状況です。

旅行の計画も立てられました。
携帯電話、スマートホンにより、旅先でもサポートするようにしました。

旅先でのサポートは支えです。
大きな支えです。

そうやって、現実の中でカウンセリングを行います。
新しいカウンセリングのスタイルです。

現実とカウンセリングは表裏一体です。
別々ではありません。

現実の真っただ中でのカウンセリング。
とても効果があります。

カウンセリングは、カウンセリングのレールに乗せてやるもの。
このように考える人は多いのです。

一昔前のカウンセリングは、そうでした。
今は異なります。

カウンセリングのレールに乗せないほうが、効果が出ます。
レールに乗せたら、レールに乗った分しか効果はありません。

レールから外れたところが、大切なポイントであることも多いのです。
そこに届くことが大切です。

そのために大きく構えます。
「なんでもこい」で構えます。

その気持ちも大切です。
相談者を支えます。

カウンセラーの「なんでもこい」での大きな構えます。
それこそが、安心感を生みます。

あとはともに歩む姿勢です。
苦楽をともに歩む姿勢です。

さらに述べます。



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