2011年03月28日
神経症の人の「思い込み」 27
お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。
今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。
神経症の人は、その人なりの「思い込み」に苦しんでいます。
ある人にとってはとても不安になることが、ある人にとってはまったく問題にされません。
逆にある人にとってはまったく問題にされないことが、ある人にとってはとても不安になります。
これはその人なりの「思い込み」が、異なるからです。
それはそれぞれの不安を否定的に支える、「思い込み」があるからです。
それぞれの不安に、それぞれの「思い込み」は対応しています。
特に神経症の人の「思い込み」で多いのは、「見捨てられる不安」です。
自分が誰か、周囲の人から見捨てられることを恐れるのです。
そして「見捨てられる不安」に支配された人は、見捨てられないために生きることになります。
神経症の人は自分の「思い込み」に支配されて、「思い込み」から自分を守るために生きるのです。
カウンセリングは、その「思い込み」からの解放を目的とするものです。
神経症の人はゆがんだ「思い込み」の中で、解決を進めます。
カウンセリングは、その「思い込み」という迷路から解放するものです。
神経症の人に多い「見捨てられる不安」を持つ人は、他者に執着します。
「見捨てられるという思い込み」ゆえの、執着です。
人にたよりがちな態度を、とりがちです。
それは「見捨てられるという思い込み」ゆえの、態度です。
そしてその「見捨てられるという思い込み」は、他者を二つに分けます。
極端に理想化するか、極端に否定化するかです。両極端です。
他者が極端に理想化されると、「この人はたよりがいのある、申し分のない人」
になります。
逆に極端に否定化されると、「この人は他人を利用する、悪い人」
になります。
このように神経症の人の「思い込み」は、両極端なものになりがちです。
中間はありません。しかし現実は、ほぼ中間で動いているのです。
現実はほぼ中間で動いているのに、神経症の人の「思い込み」は両極端なものです。
その結果、現実がチグハグなものになりがちです。
神経症の人の「思い込み」が両極端であるのは、神経症の人がゆがんだ「思い込み」に支配されているからです。よってそのゆがんだ「思い込み」から解放されることが、カウンセリングの目標になります。
その神経症の人の「思い込み」は、性格的な特徴として生活に現れます。
それは、消極さです。
正確には「性格的な消極さ」であり、何ごとにも積極的にはなれません。
このように神経症の人の「思い込み」は、性格も形成します。
「思い込み」そのものが、性格として固定化します。
その性格として固定化した「思い込み」は、強く固定化します。
個人のすべても、決定するようになります。
神経症の人の「思い込み」の解決は、同時に性格の改善も含んでいます。
このように神経症と性格は、関係しています。
神経症の人は「性格的な消極さ」ゆえに、何ごとにも積極的にはなれません。
これは「見捨てられる恐れ」によるものです。
人に頼りがちな行動を、とりがちです。
自分の本当の気持ちを、かくして生きています。
そのために味気なく、不完全燃焼で生きていることが多いのです。
神経症の人は自分自身の「思い込み」により味気なく、不完全燃焼で生きていることが多いのです。
かつその「思い込み」は、事実ではないのです。
本当にないことを心配しているがゆえに味気なく、不完全燃焼に生きざるを得ないともいえます。
お化けにより、苦しめられているのです。
そのお化けは、サービス精神おうせいな人を求めます。
神経症の人の「思い込み」はその人を、サービス精神おうせいな人にしてしまうのです。
モデルに、より述べます。
ある主婦です。とても献身的な女性です。
ただしとても、その生活には受身の姿勢が目だちます。
不完全燃焼な生きかたです。
その不完全燃焼な生きかたの根底には、「見捨てられる恐れ」があります。
その恐れから、人に頼りがちな行動をとりがちだったのです。
この人は夫を、とても理想化していました。
自分のことを守り、受け入れてくれる人と考えていました。
逆に言えば自分のことを守り受け入れてくれないとすれば、それは自分に責任があると考えたのです。
次回に、さらに述べます。
今日も、神経症の人の「思い込み」を述べます。
神経症の人は、その人なりの「思い込み」に苦しんでいます。
ある人にとってはとても不安になることが、ある人にとってはまったく問題にされません。
逆にある人にとってはまったく問題にされないことが、ある人にとってはとても不安になります。
これはその人なりの「思い込み」が、異なるからです。
それはそれぞれの不安を否定的に支える、「思い込み」があるからです。
それぞれの不安に、それぞれの「思い込み」は対応しています。
特に神経症の人の「思い込み」で多いのは、「見捨てられる不安」です。
自分が誰か、周囲の人から見捨てられることを恐れるのです。
そして「見捨てられる不安」に支配された人は、見捨てられないために生きることになります。
神経症の人は自分の「思い込み」に支配されて、「思い込み」から自分を守るために生きるのです。
カウンセリングは、その「思い込み」からの解放を目的とするものです。
神経症の人はゆがんだ「思い込み」の中で、解決を進めます。
カウンセリングは、その「思い込み」という迷路から解放するものです。
神経症の人に多い「見捨てられる不安」を持つ人は、他者に執着します。
「見捨てられるという思い込み」ゆえの、執着です。
人にたよりがちな態度を、とりがちです。
それは「見捨てられるという思い込み」ゆえの、態度です。
そしてその「見捨てられるという思い込み」は、他者を二つに分けます。
極端に理想化するか、極端に否定化するかです。両極端です。
他者が極端に理想化されると、「この人はたよりがいのある、申し分のない人」
になります。
逆に極端に否定化されると、「この人は他人を利用する、悪い人」
になります。
このように神経症の人の「思い込み」は、両極端なものになりがちです。
中間はありません。しかし現実は、ほぼ中間で動いているのです。
現実はほぼ中間で動いているのに、神経症の人の「思い込み」は両極端なものです。
その結果、現実がチグハグなものになりがちです。
神経症の人の「思い込み」が両極端であるのは、神経症の人がゆがんだ「思い込み」に支配されているからです。よってそのゆがんだ「思い込み」から解放されることが、カウンセリングの目標になります。
その神経症の人の「思い込み」は、性格的な特徴として生活に現れます。
それは、消極さです。
正確には「性格的な消極さ」であり、何ごとにも積極的にはなれません。
このように神経症の人の「思い込み」は、性格も形成します。
「思い込み」そのものが、性格として固定化します。
その性格として固定化した「思い込み」は、強く固定化します。
個人のすべても、決定するようになります。
神経症の人の「思い込み」の解決は、同時に性格の改善も含んでいます。
このように神経症と性格は、関係しています。
神経症の人は「性格的な消極さ」ゆえに、何ごとにも積極的にはなれません。
これは「見捨てられる恐れ」によるものです。
人に頼りがちな行動を、とりがちです。
自分の本当の気持ちを、かくして生きています。
そのために味気なく、不完全燃焼で生きていることが多いのです。
神経症の人は自分自身の「思い込み」により味気なく、不完全燃焼で生きていることが多いのです。
かつその「思い込み」は、事実ではないのです。
本当にないことを心配しているがゆえに味気なく、不完全燃焼に生きざるを得ないともいえます。
お化けにより、苦しめられているのです。
そのお化けは、サービス精神おうせいな人を求めます。
神経症の人の「思い込み」はその人を、サービス精神おうせいな人にしてしまうのです。
モデルに、より述べます。
ある主婦です。とても献身的な女性です。
ただしとても、その生活には受身の姿勢が目だちます。
不完全燃焼な生きかたです。
その不完全燃焼な生きかたの根底には、「見捨てられる恐れ」があります。
その恐れから、人に頼りがちな行動をとりがちだったのです。
この人は夫を、とても理想化していました。
自分のことを守り、受け入れてくれる人と考えていました。
逆に言えば自分のことを守り受け入れてくれないとすれば、それは自分に責任があると考えたのです。
次回に、さらに述べます。
パニック障害から解放される方法 994
パニック障害から解放される方法 993
パニック障害から解放される方法 992
パニック障害から解放される方法 991
パニック障害から解放される方法 990
パニック障害から解放される方法 989
パニック障害から解放される方法 993
パニック障害から解放される方法 992
パニック障害から解放される方法 991
パニック障害から解放される方法 990
パニック障害から解放される方法 989
Posted by counselor at 13:41│Comments(0)
│カウンセリング
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。